2月に行われた医師国家試験の合格者が、昨日発表されました。8千人近い医師が、新たに誕生しました。
私が受験したのは1985年。その前年までは春と秋に行われていた試験が、この年から春の1回になりました。
ちょうど私の学年は、共通一次試験が始まった年。試験改革の色んな荒波を、もろにかぶった学年なのです。
試験会場は、福岡の親不孝通りにあった予備校でした。おそらく水城学園か、そうでなければ九州英数学舘。
いまとなっては、どちらの予備校も姿を消し、親不孝通りの名称すら失われてしまっています。
私の頃の医師国家試験は4月上旬に行われ、合格発表は5月下旬でした。
その合否もわからぬうちに、4月から病院研修がスタートしました。無資格なので見習いみたいなものです。
しかし見習いとはいえ、診察・採血・回診準備・手術の助手・標本整理などで、多忙な日々を過ごしました。
そのような暫定研修医生活が1カ月ほど経ったころ、ようやく、国家試験の合格発表の日が訪れました。
万一不合格となると、その日をもって病院勤務は終わり、翌日から受験勉強に戻るという、過酷な運命です。
自己採点の感触で、まあ合格しただろうと思ってはいても、発表当日は、ひどく緊張したものです。
研修医仲間と、奪い合うようにして見たのは、その日の夕刊だったでしょうか。合格者名の一覧です。
探しました、「鶴原由一」の4文字を。しかし、何度見ても無いのです。
ただそこに、「鶴田由一」という、ソックリな名前は、ある。きっと誤植だろう。そうに違いない。
翌朝いちばんに、厚生省に問い合わせてみると、やっぱり新聞社のミスでした。しっかり仕事しろ、新聞社。
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