原発事故

福島原発事故の評価が、チェルノブイリ並みのレベル7に引き上げられました。

「同じレベル7でもチェルノブイリとはまったく違います」と言う人がいますが、「では、どちらが深刻なのですか」と切り返したくなる気分です。

ところでチェルノブイリ原発事故といえば、その放射線被害の大きさばかりが記憶に残っていますが、事故のいきさつを、あらためて調べてみて驚きました。

もしも何らかの原因で緊急炉心停止装置が故障し、停電によって外部電源も途絶え、おまけにディーゼル発電機もうまく稼働しない状況になった場合に、どのようにして冷却用の電力を確保できるのか。

電源喪失時の対処法を「実験」する中で起きたのがチェルノブイリの事故だったようです。

原発においては、昔から電源喪失を恐れてきたことがわかります。

そのチェルノブイリから四半世紀もたった今、電源喪失による原発事故が起きたことに愕然とします。

絶対に冷却を止めてはならない核燃料という「暴れん坊」を、人類はまだ手なずけることができていないようです。

使用済み核燃料プールの無防備さにも驚きました。

いくら原子炉本体がきわめて頑丈な圧力容器や格納容器で守られているとしても、建屋の天井が無くなると、外から核燃料プールが丸見えです。

プールが破壊されたら、おそらく制御不能の大惨事になるでしょう。

原発を存続させるのなら、隕石の直撃や航空機テロにも耐えられるぐらいの、あきれるほど徹底した安全対策をしてもらいたいです。

震災と健康問題

被災地の惨状が、だんだんと詳しく伝わってきています。

今日は、医療分野で気になること。

まず、被災者の健康問題。

震災によるケガや避難後の体調悪化だけでなく、必要な医療が中断されたことによる持病の悪化も大問題です。

急病患者への医療もままならないでしょうし、癌や心臓病などで手術予定だった人たちはどうなっているのか。

被災地の過酷な環境で医療に従事する人たち。想像を絶するものがあります。

ニュースの大半を占めているのは、原子力発電所事故に伴う放射能汚染問題。

「一部で高レベルの放射能が検出されましたが、その他の地点では健康被害をもたらす放射能は検出されませんでした。ご安心下さい。」

官房長官は今日もこのような語り口です。

「多くの地点では健康被害をもたらす放射能は検出されませんでしたが、一部では高レベルの放射能が検出されました。ご注意下さい。」

どうしてこのように言えないのか。危機感の欠如を感じます。

米国と韓国は、自国人を原発から80キロ退避させたというのに。

被爆覚悟で原子炉の冷却作業に従事している人たちのことを思うと、涙が出ます。

製薬工場の被災で、供給停止の危機に直面している薬があります。

日本でただ一カ所、あすか製薬のいわき工場で作られていた、甲状腺ホルモン剤です。

これは日本中の、甲状腺機能低下症の患者さんにとっての一大事です。

緊急輸入等で対処できると思いますが、こういった薬は、全国に分散して生産または貯蔵するような仕組みにはできないのでしょうか。

話はそれますが、ACジャパンのTV CMはどうにかならないものでしょうか。

趣旨は悪くないのですが、あれだけ何度も同じものを見せられると、さすがにちょっと・・・。

CMが流れている間だけ、TVの電源が切れる仕組みにできませんか。節電にもなります。

大震災

未曾有の大災害が起きました。

言葉が見当たらず、ブログ更新を躊躇するうちにも、刻々と状況が変わっています。

津波の規模が大きすぎて、従来の沿岸対策ではまったく歯が立ちませんでした。

「想定外」という言葉が繰り返されますが、では今後、どのレベルまで「想定」すべきなのか。

二重三重の安全策が講じられていたはずの原子力発電所に、毎日新たな異常が出現し、不具合は連鎖し、放射能汚染の拡大が懸念されています。

これだけの緊急事態だというのに、電力会社の隠蔽体質は変わらず、情報を矮小化して発表する傾向が見られます。

首相や官房長官の発言にも、楽観的・希望的表現が目立ちます。

不用意な発言によるパニックを恐れているのか、それとも悪い予測を口にすることを忌み嫌う日本人の体質なのか。

事ここに至っては、チェルノブイリ級の事態を想定した対策を打ち出したとしても、だれも政府を責めることはないでしょう。

これまで私は、反原発の立場の人々の考えを前近代的で非科学的と見ていましたが、それは偏見でした。

これを機に、日本は脱原発をリードする国になってはどうでしょうか。

それはドイツではなく、被爆国日本・地震国日本の宿命的役割かもしれません。

日本よりも経済規模の小さな多くの国々が、いま日本に援助の手をさしのべようとしてくれていることを、素直にありがたく感じます。

みな同じ地球人だという思いになりました。

被災された方々には心からお見舞い申し上げます。

災害規模があまりに大きく、被災者の救援活動は難航し、復興のことまで考えると途方に暮れてしまいます。

西日本に住んでいて直接的被害がない自分に、いまできることは何か。

とりあえず、いちばん即効性のある支援といわれている「節電」に取り組んでみたところです。

ワクチン接種また中止

<a href="http://tsuruhara9linic.blog116.fc2.com/blog-entry-71.html" target="_blank" title="無料接種">無料接種</a>が始まったばかりの3つのワクチンが、事実上すべて「凍結」されてしまいました。

<a href="http://tsuruhara9linic.blog116.fc2.com/blog-entry-80.html" target="_blank" title="こんどは">こんどは</a>ヒブワクチンと小児用肺炎球菌ワクチンです。3月5日から接種中止になりました。

これらのワクチン接種後の乳幼児が4人死亡したことを受けて、厚労省は接種一時見合わせの通達を出しました。

その後さらにもう1例の死亡例も報告されました。

当院でも2月から無料接種進行中でしたが、今は接種中止の連絡に追われています。

すでに接種済みの方からは「接種したが大丈夫なのか」との不安の問い合わせも多く寄せられます。

いずれのワクチンも、すでに世界中で10年以上前から2億人以上に接種されてきた実績があります。

それを輸入してそのまま日本で使っているだけなので、今回の死亡原因がワクチンにあるとは、一般的には考えにくいです。

厚労省で今夜、その因果関係を評価するための会議が開催されました。

結論は「因果関係は肯定も否定もできない」とのことで、さらに検討が続けられるようです。

接種再開は遠のきました。

一日も早く「安全宣言」が出されることを望みます。

子宮がんワクチンの危機

ついに恐れていたことが起きました。<a href="http://tsuruhara9linic.blog116.fc2.com/blog-entry-75.html" target="_blank" title="子宮頸がん予防ワクチン">子宮頸がん予防ワクチン</a>の品切れです。

予約を取って毎日順調に接種を行っていたのですが、昨日突然、メーカー(GSK)から「新規接種の差し控え」の依頼がありました。

ワクチンは供給停止となり、今後接種予定の方は全員キャンセルです。

国内在庫ワクチンは、すでに1回目の接種を済ませた方の2回目の接種用に限って供給されます。

熊本市では2月から無料接種が始まっていましたが、わずか1カ月で接種は事実上「凍結」される形です。

3月1日から無料接種を始めたばかりの福岡市に至っては、すっかり出鼻をくじかれてしまいました。

品切れの原因にもあきれます。

国の助成が昨年末に決定してから自治体の無料接種が始まるまでの期間が、メーカーの予測より思いのほか早かったので、供給が追いつかなくなった、というのです。

メーカーが自治体の機動力を甘く見た結果で、お粗末な話です。

ところでいま、気が気でないのが高校1年生。

ワクチンの無料接種対象学年が中1から高1までなので、3月中に接種しなければ、無料接種が受けられなくなります。

それなのにまさかのワクチン切れ。このままでは無料接種は絶望的です。将来自費で接種すると約5万円かかるワクチンだけに一大事なのです。

聞くところによれば、GSKは高校1年生の接種期限の延長を厚労省に交渉中とのこと。

かつて新型インフルエンザの輸入ワクチンが大余りしたとき、違約金なしで購入契約を解約させろという国の無理難題に、GSKが応じた経緯があります。

なので交渉はきっとうまくいくと思います。

(追記)

厚労省は3月7日、いまの高校1年生の初回接種期限を来年度(高2)まで延長することに決めました。

問題山積でゴタゴタしているのに、この件は迅速に決定してくれました。ありがたいです。

休肝日

アルコールから肝臓を守るための大切な1日、それが休肝日です。

ひとには勧めていますが、自分自身を振り返ると、アルコールを摂取しない日がおそらく年に3日もありません。

そこでこのたび私は、毎週水曜日を休肝日に制定しました。

この決定事項を、気が変わらないうちに我が家の「冷蔵庫管理人」に通達して周知徹底を要請し、自ら背水の陣を敷きました。

そしてその水曜日の夜。

当然この日は、ノンアルコール・ビールを飲む日と思って帰宅したところ、管理人によるとそのようなものは調達していないとのこと。

アルコールを含んでいなければ肝臓には負担にはならないのだから、休肝日においてもノンアルコール・ビール摂取は許容される、という私の理論は通用しませんでした。

ビール会社各社に要望します。

ノンアルコール・ビールの缶には「休肝日対応」とか「休肝日でも飲めます」とか明記してくれませんか。

カンニング

いつか韓国でも起きた、ケータイを利用したカンニング事件が、日本でも起きました。

試験中に、監督の目を盗んでケータイを操作するだけでも至難の業なのに、発信内容はけっこう詳細で長文です。

よほど巧妙に入力したか、超人的に入力が速いか、あるいは特別な装置を使ったのか、いずれにしても監督体制を強化する必要はありそうです。

ハイテク化が進めば、メガネに仕込んだカメラからの画像をネットに配信するとか、普通のデジタル腕時計に見えるけど文字情報を受信できる装置であるとか、次々に出てきそうです。ていうか、すでに売られているかもしれません。

こうなってくると、試験会場に妨害電波を出すか、それが問題なら試験室を電磁的にシールドするとか、特別な対策が必要になるかもしれません。

しかし考えてみれば、入学試験で評価する学力とは何なのか。

人工知能を脳に埋め込んだ天才がいたとすると、それは個人の能力でありカンニングでとは言わないでしょう。

頭に埋め込んだものが、ネットとつながった通信装置だったとしても同じこと。

ならば、体内に埋め込んでいなくても、ネット情報にアクセスできるデジタル端末を、「からだの一部のように」自在に操れるなら、それもある意味個人の能力と言えなくもない。

そこまでを含めて個人を評価するような、そんな試験もアリかもしれません。

ショウガ焼き

今晩の夕食は、豚のショウガ焼きでした。

ショウガやタマネギの作用で豚肉が柔らかくなる料理のはずですが、やたらに固くカリカリに焼くのが我が家風です。

思い出すのは、めったに自炊していなかった学生時代のある日、ショウガ焼きにチャレンジしたときのこと。

いったい何を買えばいいのか、結論が出ないうちに近所のスーパーに到着しました。

まずは、確実に必要と思われる豚肉を確保。

ついで野菜コーナーに行くと、木箱に山盛りのショウガ発見。

どうやら量り売りをしているようです。今回の場合1個で十分。

形のいいものを手に取り、計量のため、おばちゃんに手渡しました。

「ひとつだけ?」と怪訝そうな顔でしたが、私も「2個以上は必要ないでしょう」という顔で応じました。

おろし金も忘れずに購入。

帰宅して、豚肉を焼きながら、ショウガをすりおろします。

すると、にゅちゃぁ~という感触。

私が買ったのは、サトイモだったようです。

ちり紙

トイレでは、脈絡もないことを考えたりします。

最近のトイレットペーパーは手触りが柔らかいです。

たいてい「二枚重ね」で、時には「色つき」「香り付き」などあるけれど、共通しているのはいずれも「エンボス加工」になってきたことでしょうか。

こどもの頃、くみ取り式便所で使っていた「ちり紙」も、シワシワして、少しうねっていました。

ここで、「ちり紙」の読み方は、もちろん「チリシ」です。

そして「チリシ」で連想してしまうのが「『漢書』地理志(かんじょチリシ)」

受験生が必ず知っておくべき、紀元前後の日本について初めて記載された中国の文献です。

「楽浪海中に倭人あり、分かれて百余国を為す。」という部分が有名です。

これを習ったとき、なぜか「べんじょチリシ」というフレーズを着想してしまい、以来そのフレーズはどうしても忘れられないムダな記憶として、数十年にわたり私の脳(海馬?)の一部を占拠し続けています。

この文献名をもっと詳しく言うと、「『漢書』地理志・燕地」となります。

私の海馬を占拠するフレーズについてはこれ以上書きません。

トイレで考えたことだけに、つまらない話でした。

見出しと本質

「子宮頸がんワクチンで副作用、失神多発」

子宮頸がんを予防するワクチンが最近日本に導入され、国による助成も決まりました。

しかしその出鼻をくじくかのように、昨年末、冒頭のように報道されました。

こういったニュースの場合、見出しにだまされてはいけません。

この場合の失神は、痛みによる一時的な自律神経の反応です。安静によって解決します。

皮下注射する他のワクチンとは異なり、このワクチンは筋肉注射するので、痛みも強いのです。

おまけに接種対象は、感受性が強くて痛みに弱い、若い女性ばかり。

実際の失神者の数は、40万人のうちの21人でした。「多発」したと言うべきかどうか。

「注射の痛み」による副作用だというのに、冒頭の見出しではこのワクチンに欠陥があるかのような印象を与えます。

たしかに有効性においては議論の余地もあり、医学的な検証が必要なワクチンです。

しかし「失神」報道は、本質をはずれています。

読者に誤解を与えない報道をするように、マスコミには良識が求められます。

同時に、キャッチーな見出しに惑わされず本質を見抜く読者の見識も。