ビールが最初

最近の話題と言えば、「餃子とラーメンの出された順番に腹を立てた男」の事件でしょう。

餃子を先に、と頼んだのにラーメンが先に来て、キレた男が店に居座り、不退去容疑で逮捕されたという話。

ネットでは、「気持ちはわかる」「店が悪い」「男性も大人げない」などのコメントを寄せられています。

ある人は、「調理時間を考慮して、まず餃子だけを先にオーダーすべきだった」と言います。

つまり、餃子よりもラーメンの方が、短時間で出来上がることを考えて注文しろ、というわけ。なるほど。

しかし、ここに生ビールが加わると、どのように注文しようとも、まっさきにビールから提供すべきです。

もしも、ラーメン→餃子→生ビール、の順で持って来られたら、私でもキレるかもしれません。

正月に某とんかつ店で食事したとき、ビールを頼んだら、「ビールは最初にお持ちしますか」と訊かれました。

そのマニュアル化された質問に、少々ムッときます。ビールをいつ飲むかなど、訊くまでもないでしょうに。

たしかに確認は必要ですが、「ビールはすぐお持ちしますね」と言ってくれたら、ずっと好感が持てたのに。

30年ぐらい前に、東京の某レストランで食事をした時のことを、思い出します。

待っても待っても、注文した生ビールが来ません。ビールはまだかと2,3度言ったのに、先に食事が来ました。

しょうがなく、スープをのみ、サラダを食べ・・・、そこでやっと、ビール登場。

会計のときにクレームを付けて、結局ビール代はタダになりましたが、いま思えば、若気の至りでした。

ビールサーバーの調子が悪かったのかもしれません。今ならもう少し、紳士的態度をとったと思います、多分。

煮詰まってあんこ

わが家のぜんざいは、何度も火を通すうちに煮詰まって、あんこ状になっていきます。それがまたいいのです。

以前、来客時に、そのあんこに途中で水を足したことがありますが、味がぼやけてしまい後悔しました。

それ以来、どれほど煮詰まっても、途中で水は足さないのが、わが家のぜんざいの掟です。

「煮詰まる」には、「議論や考えなどが出つくして、問題点が明瞭な段階になる」という意味もあります。

ところが文化庁の調査によると「(議論が)煮詰まる」を、本来とは逆の意味で使う人が増えているようです。

(1)「(議論や意見が十分に出尽くして)結論の出る状態になること」(平成19年56.7→平成25年51.8%)

(2)「(議論が行き詰まってしまって)結論が出せない状態になること」(平成19年37.3→平成25年40.0%)

言葉のゆれには色々なパターンがありますが、このように正反対の意味になると、意味の取り違えが心配です。

30代以下では(2)の意味で使う人が大半とのこと。これでは異世代間の会話が、コントになり兼ねません。

上司「例の計画は、煮詰まったかね」

部下「もう、煮詰まっちゃいました」

わが家のぜんざいの場合、「煮詰まる」の意味は(1)でも(2)でもありません。しいて書くなら、

(3)「(意見が完全に出尽くして)まったりとした状態になること」

大納言ぜんざい

子どもの頃は、デパートやスーパーの初売りが1月4日だったので、三が日の街中はひっそりしていました。

もちろん、コンビニなんてありません。一般の商店も飲食店も、三が日はすべて閉店していました。

となると3日間、食べるものはひたすら「おせち(お節)」ということになります。あと、お餅とみかん。

いまでは、保存食という意義はうすれましたが、おせち料理を絶やすわけにはいきません。

縁起物であり文化であり、故郷の味や地域の特産など、いろんなものを代々伝えて行かなければなりません。

おせちの定番のうちでも、私が好きなのは「黒豆」です。豆全般が好きなのです。<a href="http://tsuruhara9linic.blog116.fc2.com/blog-entry-453.html" target="_blank" title="ぜんざい">ぜんざい</a>も好きだし。

そして前から思っているのは、黒豆(黒大豆)でぜんざいを作ったらどうなるんだろう、という疑問。

「黒豆」はまだ試していませんが、「大納言小豆」のぜんざいなら、以前いちど作ったことがあります。

煮ても腹が割れないところから、殿中で抜刀しても切腹しなくてい良い「大納言」の名が付けられたこの小豆。

かなり煮詰めたので、さすがの大納言の腹も割れましたが、それでも豆の形が保たれているのはさすが。

大粒で食べ応えのあるぜんざいが出来上がりましたが、見かけが煮豆風で、ぜんざいっぽくないのが難点です。

お雑煮とお餅

朝食は日ごろ摂らない私ですが、お正月は例外。今朝は伝統的な、おせち料理をいただきました。お酒も。

つい昨日知ったのですが、東日本は「角餅文化圏」なんですね。お雑煮にも「角餅」を入れるとか。驚きです。

農水省のサイトによると、関ヶ原を境にして、東が「角餅」、西が「丸餅」と、はっきり分かれるようです。

山口県で生まれ育ち、西日本だけを移り住んできた私には、餅とは丸いモノという固定観念があります。

臼と杵で餅をつき、皆が一斉に手で丸めるという年末の光景を、幼少期にたびたび目にしてきたからです。

餅を手で丸める作業を省いて、刃物で切った四角い餅など、風情の無い工業製品のように思えてしまいます。

家の上棟式(棟上げ)のとき、角のとがった餅をまいたのでは危険じゃないのか、心配になります。

東日本が角餅なのは、人口の多い江戸で、大量生産しやすくするために始まった工夫だといわれています。

しかも角餅文化圏のお雑煮は、すまし汁仕立て。「味噌をつける」のをいやがる武家文化の影響だそうです。

一方で関西では、伝統的な宮廷文化が残っており、丸餅で味噌仕立て。と、そこまでは納得できます。

ところが、中国・四国・九州になると、なぜか丸餅のすまし汁仕立て。これは、どうしてなんでしょうね。

などと書いてますが、私は子どもの頃、お雑煮の餅は表面がヌルヌルして、あまり好きではありませんでした。

当時の私のお餅の食べ方は、きなこ餅オンリーでした。今は雑煮の餅でも食べますが、大人だからです。

お雑煮の餅で独特の風習があるのは、香川県でしょうね。なにしろ、白味噌仕立てにあんこ餅を入れますから。

私は高松に3年間住んでいたことがありますが、その間、あんこ餅の雑煮を食べることはありませんでした。

現地の人たちは、絶対美味いとすすめてくれるのですが、私には勇気がなかったのです。

ステーキの温度管理

ステーキを美味しく焼く方法は、どうやら2つに大別できるようですが、それが真逆です。

(1)まず表面をよく焼き、その後、内部に適度に火を通す

肉汁を漏らさないようにと、私が日ごろBBQで行ってきた焼き方も、おおむねこの手順。

表面をしっかり焼いた後、火から下ろし、アルミホイルで包み、余熱だけで火を通す方法もあるそうです。

(2)ゆっくり弱火で内部まで火を通し、最後に表面をよく焼く

最初は低温で加熱するのがミソで、こちらの方法が料理科学にかなっているとか。

肉を焼くときの内部温度は60度前後が望ましく、65度を越えてはならない、などとよく言われます。

したがって、(1)の後半も(2)の前半も、内部が65度を越えないように火を通すのがポイントです。

しかし実際問題として、肉の内部にちょうど良い具合に火が通ったかどうか、素人が見極めるのは難しいもの。

専用の温度計を使って、肉の内部温度を測定しながら焼くのも面倒。では、どのように温度管理をすべきか。

思いつきました。60度のお湯で肉を温めて火を通し、最後に表面をさっと焼いたらどうか、と。

本日、実験しました。失敗するともったいないので、グラム198円の、お手頃価格の豪州肉を準備しました。

鍋にたっぷりのお湯を沸かします。火を止め、温度計を入れて温度を見ながら、64度に調整します。

あらかじめ室温に戻しておいた肉を、ジップロックに入れて密閉し、湯に浸し、鍋に蓋をします。

庭に出て、BBQの炭火を起こします。約20分後には、最強の火力となりました。

ここで、肉が浸かっている鍋の湯の温度を見ると、57度でした。温度管理は、思いのほかうまくいきました。

肉を湯から出してみるとしかし、ジップロック内には、多量の肉汁が出ていました。イヤな予感がします。

もたもたしているうちに、炭火の火力が落ちたため、肉の表面を焼くだけのために、10分以上かかりました。

果たしてステーキは、火が通り過ぎてカチカチ、しかも旨味ゼロ。実験大失敗です。

加工肉と大腸がん

「加工肉を毎日50g食べ続けたら、大腸がんにかかる確率が18%増える」

WHOがこのたび発表した、国際がん研究機関の報告が、世間を騒がせています。

毎日50gって、そんなに大量の加工肉を食べなきゃいいでしょう、と思ったら大間違い。

フランクフルト1本が約50gなので、下手したら、その2倍、3倍を食べる日だってありそうです。

それよりも問題は、18%という数字の持つ過大なイメージが、一人歩きしていることです。

かつて胃がんが多かった日本ですが、「食の欧米化」によって、大腸がんが増えています。

2013年の統計では、日本人の約8%が、一生のうちに大腸がんと診断されたそうです。けっこう多いです。

もちろん、早期発見された場合には、ほぼ100%根治できます。

その8%が、18%増えるというのなら、8+18=26%になるのかというと、そうではありません。

8%の18%、つまり8x0.18=1.44%だけ増えるので、9.44%になるということです。

では、加工肉がなぜ悪いのか。加工に用いる化学物質が問題とも言われます。

化学物質と同様に、高温加熱も良くないらしいですね。

以前、焼き魚や<a href="http://tsuruhara9linic.blog116.fc2.com/blog-entry-1153.html" target="_blank" title="フライドポテト">フライドポテト</a>による発がんが問題になりましたが、それと同様のメカニズムでしょう。

タンパクやアミノ酸に高熱を加えすぎると、よからぬ反応が起きるようです。

BBQで肉を焼くときにも、ほどほどの火加減で、ゆっくり火を通した方が良いのかもしれません。

そして、焦げすぎた部分は食べないこと。でも、そのカリッとした部分がまた、美味いんですけどね。

解凍法に解答はあるのか

冷凍肉を解凍するときに大事なことは、以下の2点です。

(1)細菌を増殖させない(安全のため)

(2)肉の細胞を壊さない(旨味のため)

流水や室温での解凍は、細菌が繁殖しやすいので、よくない方法だといわれています。

また冷蔵庫で解凍するような、解凍に時間がかかる方法では、肉の旨味が流出してしまうそうです。

ゆっくり解凍すると、肉の内部の水が大きな氷の結晶を作るので、細胞を破壊してしまうからです。

氷結晶が生成する温度を「最大氷結晶生成帯」と呼び、これをゆっくり通過するほど氷結晶は大きくなります。

肉などを凍結する場合には、この温度帯をできるだけ短時間のうちに通過させ、氷の結晶を小さく留めます。

つまり「急速冷凍」によって、食品の品質を保つことができるわけです。

解凍する場合も同様。最大氷結晶生成帯をすばやく通過させるほど、細胞を傷めずにすみます。

つまり「急速解凍」によって、食品の品質(そして味)を保つことができるのです。

間違いがないのが、氷水による解凍だといわれています。あちこちのサイトでも紹介されています。

その氷水よりも熱伝導の良い、アルミ製の解凍器具も購入しましたが、思ったほどうまくいきません。

なので日ごろはもっぱら、バットに氷水を張って、真空パックに入れた肉を2,3時間浸して解凍しています。

ところが、冷凍肉を解凍せずに、そのまま焼くのも悪くないと知りました。

考えてみれば、最大氷結晶生成帯を通過する時間は、この方法が最短です。細菌が繁殖する心配もありません。

温度ムラが無いように、強火で一気に焼くのがポイントでしょうか。

そこで今日は、冷凍肉をいきなりBBQで焼いてみました。強火で両面を6分間焼き、弱火の蒸し焼きで12分。

これは良い感じの火の通りでした。もうこれからは、解凍不要と思った次第。

無洗米はどうなのか

わが家でもときどき「無洗米」の袋を見かけます。手抜きかと思ったら、必ずしもそうとは言えないようです。

「無洗米」という言葉については、あちこちで語り尽くされたネタですが、まずはそこから。

炊飯前に「洗う必要の無い米」が無洗米。そのツッコミどころは重層的です。

(1)「無洗米」=「洗っていない米」という意味にとれるんじゃないの、という日本語としての問題

(2)そもそも米は、「洗う」のではなく「研ぐ」ものだ

無洗米の英訳には、 “pre-washed rice” や “no-wash rice” が見つかります。これじゃ外国人も困りそう。

「無洗米」がしっくりこないのなら「既洗米」にすればいい、という意見もありますが、

(3)無洗米製造では、精白米表面の肌ヌカを特殊な方法で剥ぎ取る方法が主流で、米を洗ってはいない

だいたい、炊飯前に米を研ぐ「儀式」こそ、日本の伝統ではないのか、とお怒りの方もいるかもしれませんが、

(4)無洗米工場で除去したヌカは肥料や飼料に使えるが、家庭から出る研ぎ汁は環境汚染につながる

なるほど、無洗米は必ずしも手抜きではなく、環境に優しいようです。これは一考の余地があります。

私が思いついた名称は「無糠米(むこうまい)」。これ、いいでしょう。肌ヌカを完全に除去したという意味。

あるいは、「精白米」をさらに白くしたという意味で「純白米」。

象印などから「家庭用無洗米精米器」が出ています。玄米でも精白米でも、精米して無洗米にできるそうです。

炊飯の直前に精米できるし、研ぎ汁も出ないというのは、とても良いですね(すでに欲しくなっている)。

秋刀魚は七輪に限る?

帰宅して玄関のドアを開けた私を、今晩出迎えてくれたのはサンマの香りでした。サンマが旬です。

夕食には、皮が少し焦げたぐらいの、アツアツのサンマを、できれば2匹ほどいただきたいものです。

私は醤油はかけません。何もかけず、そのまま食べるのがいちばん美味い。

専用の細長い皿に、骨格標本を残すかのごとくに、綺麗に食べ上げるのが流儀でしょう。

漱石の「猫」には「三馬」という当て字が登場します。「秋刀魚」が考案されたのは、明治後期とのこと。

このように複数の漢字からなる「熟字」を訓読みしたものは、「熟字訓」と呼ばれます。

「秋=サ、刀=ン、魚=マ」ではなく、「秋刀魚」の3文字の塊で「さんま」なのです。

当て字と言えば当て字ですが、音読みの「三馬」よりも、訓読みの「秋刀魚」の方が、味があります。

いやいや、そんな話を書きたいのではなく、問題はサンマの焼き方です。

IHクッキングヒーターには、いろいろ不利な点がありますが、サンマもフライパンで焼く羽目になります。

オール電化って、調理のバリエーションを減らし、その結果、味覚にも妥協を強いるものなのです。

それではいけません。せっかくBBQ用品を完備しているのなら、サンマは七輪で炭火焼きでしょう。

そこで予習。炭火は着火してから少し置き、灰被りの状態になってから、遠火の強火で焼けと。ふむふむ。

網で焼くとくっつきやすいので、串焼きにしろと。なるほど。早速、魚用の金串をネットで購入しました。

物品の準備だけは、いつも完璧です。決行は3日後。(つづく)

蕎麦屋巡り

蕎麦を久しく食べてないことに思い至り、休診日の今日は、蕎麦屋巡りをすることにしました。

巡りというからには、何軒か「ハシゴ」しなければなりません。もちろん中心市街ではなく、周辺山間部です。

熊本近郊で蕎麦といえば、黒川温泉の近くにある、南小国そば街道でしょうか。まずはそこから。

数軒あるうちの、有名な「吾亦紅(われもこう)」に、昼ごろ入店。民芸調の、雰囲気の良い店です。

「吾亦紅セット」をざるそばで注文。噛み応えがあり旨い。デザートの「葛きり」で満腹になりました。

そば街道で何軒かハシゴするだけでも十分なのですが、それでは芸がありません。おまけにお腹もすいてない。

時間稼ぎも兼ねて、次は、阿蘇を中心として南小国とは正反対に位置する、南阿蘇に向かいます。

噴煙は東に漂っていたので、西側のルート(赤水経由)で南下しました。

南阿蘇は「久木野庵」という店を選びました。十割蕎麦は売り切れていたので、二八の「せいろ蕎麦」を注文。

ちなみに「十割」に疑問の余地はありませんが、「二八蕎麦」の由来には、諸説あります。

(1)蕎麦粉と小麦粉の配分説:「八二」じゃないのか、「二八うどん」はどう説明するのか、等の問題あり。

(2)十六文という価格説:2x8=16というシャレ。もっと安い価格の頃から二八蕎麦が存在する点が矛盾。

元々の由来はともかく、いまは(1)の意味で使っていますが、私は(2)の遊び心が好きです。

久木野庵の二八蕎麦は「外二仕立」でした。蕎麦粉10:小麦粉2の意味ですね。厳密には二八じゃありません。

この店では「蕎麦がきぜんざい」をデザートに選択。甘さ控えめですが、蕎麦がきがズッシリきました。

超満腹になったので、今日の蕎麦屋巡りはこれで終わりです。ハシゴは2段止まり。