文字だけのブログ

「ブログに写真がないんですね」というご意見(ご指摘)を、久しぶりに頂戴しました。

<a href="http://tsuruhara9linic.blog116.fc2.com/blog-entry-559.html" target="_blank" title="数年前">数年前</a>に、ブログに写真を掲載しない理由を書いたことがあります。

文章を毎日書くだけでも苦労しているのに、このうえ写真まで掲載しなければならないなんて苦痛だと。

それに、写真にコメントを付け加える形式のブログは、文章としての面白味がなくて好きじゃありません。

じゃあお前のブログは文章だけで面白いのかといわれると、そこは、アレですけどね。

とは言え、「写真が無いと何か殺風景ですね」と言う方が時々(年に2人程度)おられ、気にはなっています。

この際、「写真と文章は関係ありません」という形ででも、むりくり写真付けてみましょうか?

ただしそれでも、写真選びで毎晩苦労することは目に見えています。

旅行時や孫が帰省してきたときなら良いですが、そうでなければ花ちゃんの写真ばかりになってしまいます。

それに私は、苦労してネタをひねり出し、文章書いて推敲し、ギリギリ締切に間に合わせるのが好きなのです。

昔から、締め切りに追われたり仕事がハードだったりすると、逆にちょっと楽しくなる性格なんですよね。

あまり好きじゃないブロッコリーを毎晩1株食べ続けているのも、たぶんその性格ゆえでしょう。

どっこいしょ

特集記事 「『どっこいしょ』を考察する」

第1部:「どっこいしょ」の言語学的考察

・「どっこいしょ」って、そもそも何?

・「どっこいしょ」の語源を古代まで探る

・正しい「どっこいしょ」アクセントは?

・派生語「どっこらしょ」が生まれるまで

・海外版「どっこいしょ」あれこれ

コラム:「どっこいしょ」は、サンスクリット語だった!?

第2部:「どっこいしょ」を科学する

・「どっこいしょ」は必要か

・「どっこいしょ」の有効性を検証する

・「どっこいしょ」と筋電図

・ヒアルロン酸に抗「どっこいしょ」効果はあるのか

コラム:ロコモと「どっこいしょ」

第3部:「どっこいしょ」の周辺

・「どっこいしょ」に、どんな漢字を当てますか?

・「どっこいしょ」禁止ゲームが楽しい

・接頭語「うんとこ」と接尾語「のしょ」の使い方

・まるで意味が違う「どっこいしょ」と「よっこいしょ」

・「よっこいしょーいち」を商標登録していた、まさかのあの会社

コラム:横井さんと小野田さん

てな感じの雑誌が出たら、即買いします。

い抜き言葉?

「早っ!」

診察室で緊張して固くなっている子どもが、スムーズに診察が終わった瞬間に、こう言いました。

イヤな検査や痛い処置もなく診察が終わり、ほっと安堵感から出てきた、いかにも今風の言葉ですね。

思いのほか早かったことを大げさに驚いて見せる、テレビ等でよく聞く表現です。私も時々、口にします。

驚きを表す言葉は、短く瞬時に発音できるものほど、そのホットな気持ちを強く表現できるのでしょう。

「寒いっ!」よりも「寒っ!」、「スゴいっ!」よりも「スゴっ!」なのです。

このような表現は「語幹用法」の範疇に入るのかもしれませんが、「い抜き言葉」と呼んでもいいですかね。

たとえば「<a href="http://tsuruhara9linic.blog116.fc2.com/blog-entry-1708.html" target="_blank" title="ら抜き言葉">ら抜き言葉</a>」は、すでに市民権を得つつあります。

単に短くて言いやすいだけでなく、尊敬や受け身と可能表現を明確に区別できるという利点があるからです。

「い抜き」にそのようなメリットはありませんが、い抜き言葉には勢いがあるのが特徴です。

「言葉のゆれ」はおおむね発音しやすい方向に向かうので、い抜きもやがては一般化するかもしれません。

あ、待てよ。本来の「い抜き言葉」は、「書いている」→「書いてる」のような表現のことでしたっけ?

文字数を減らせるので、原則として1文を1行で書いてる当ブログでは、こっちの「い抜き」は重宝してます。

ということで、何が言いたいのかよくわからなくなりました(いつものように)。寝よっ。

あっ!(と、ガバッと布団から起き上がるイメージで)。「寝よっ」は「う抜き」か。

「憮然」を間違う世代

文化庁が昨日発表した「国語に関する世論調査」の結果を、多くのメディアが一斉に報じています。

たとえば「憮然」の意味を、「失望してぼんやりとしている様子」だと正解した人はわずか28%だったと。

テレビのキャスターらは、「これはゆゆしき問題ですね」と言わんばかりに、苦々しい顔をします。

詳しくは報じてくれないので、視聴者はなんとなく、最近の若者の日本語は乱れてる、という意識を持ちます。

ところが、実際に文化庁の報告を見てみると、報道がとんだミスリードだということが分かりました。

「憮然」の正解率は、平成15年度は16%、19年度は17%でした。今回の28%は、劇的に改善した数値です。

まず、この経時的変化をきちんとおさえている報道が、私の見た限りではひとつもありません。

さらに、一部の新聞では言及していますが、年齢が若いほど正解率が高いという、予想外の結果が出ています。

正解率は、16〜19歳で約7割なのに対し、50代は24%、60代以上は2割を切っています。

「憮然」を間違えて理解しているのは、若者ではなく、中高年世代なのです。

そういえば昔、学生時代に、「現役:偶然、一浪:当然、二浪:平然・・・」と続く言葉遊びがありました。

その三浪が「憮然」で、以後「唖然、愕然、慄然、呆然」などが登場します(順序には諸説あります)。

当時の私は恥ずかしながら、憮然を、「腹を立てている様子」という誤った意味で認識していました。

今思えば、その解釈ではシックリこないことに気付くべきでした。

他動詞と自動詞

扁桃腺を腫らした子が最近よく来院しますが、予想に反して、溶連菌やアデノウイルスが検出されません。

つまり、それら以外の病原体感染による、急性扁桃炎というわけです。熱は高めですが、けっこう元気です。

「扁桃腺を腫らした子」と冒頭に書いたのは、「扁桃腺が腫れた子」と書くよりも、表現に味があるからです。

「腫らす」は他動詞で、「腫れる」は自動詞です。

患者は意図的に扁桃腺を腫らしているわけではないので、自動詞で書いた方が、医学的には正しいのでしょう。

しかし敢えて他動詞で書くことで、「腫らしてしまった」という苦悩や後悔を表現できるような気がします。

同様に、「熱が出た子」よりも「熱を出した子」の方が好きですが、よく使うのは「発熱した子」ですね。

漢語を使うと叙情的なニュアンスが消えてしまい、いかにも科学的・客観的で無味乾燥な表現になりますね。

前にも書いたことがある、自動お湯張り浴槽のアナウンス「<a href="http://tsuruhara9linic.blog116.fc2.com/blog-entry-1418.html" target="_blank" title="お風呂が沸きました">お風呂が沸きました</a>」は、自動詞です。

これを他動詞で「お風呂を沸かしました」と言われると、「そう言うあんた誰?」とツッコみたくなります。

自動詞も他動詞もある動詞の場合、主体(主語)をボカしたいときに、自動詞を使うのかもしれません。

だからたとえば病状を客観的に表現するときは、「腫れる」「熱が出る」の方が適切なのでしょう。

そしてもっと(いかにも)医学的に言おうとすれば、「腫脹する」「発熱する」となるのでしょう。

一方で将来、AI家電が家中に配置される時代になると、それらはみな擬人化してくるかもしれません。

アナウンスもたぶん、他動詞を使い始めるのでしょう。「お風呂を沸かしましたよ」みたいに。

こっそり推敲を遂行

当ブログは、たいてい夜執筆し、しばしば深夜に投稿しています。さいわい夜は筆が進みます。

ただ、十分に推敲できてないまま0時の締切前に滑り込むことがあり、翌朝改めて推敲し直す場合があります。

昨日のブログの場合、今朝になって最終行の「不払い」を「未払い」に変えました。

二つの言葉の使い分けを、今朝の頭で考え直したものです。すなわち、

【不払い】違法またはモラル違反であることを知りつつ、しばしば悪意を持って、意図的に支払いをしない行為

【未払い】経緯はどうあれ支払いを怠っている状態であり、たいていは悪意はなく、今後支払う可能性がある

ところで、「<a href="http://tsuruhara9linic.blog116.fc2.com/blog-entry-1751.html" target="_blank" title="恋文は夜書くな">恋文は夜書くな</a>」というタイトルで前にも書いたことがあるように、夜の文章は尖りがちです。

なので翌朝読み返して、「書きすぎたな」と思ったら、こっそりと書き換える場合もあります。

これは狭義の推敲とは異なり、過激な表現を多少穏健な言葉に置き換えて体裁を整える、いわば化粧です。

いつも夜中に最新稿を読まれる方におかれては、私の過激な一面を常に感じ取っていただけるかもしれません。

さらに翌日にも2度読みするような酔狂な方なら、もしかするとその化粧具合を察知できるかもしれません。

しかしできることなら、そのようなビフォーアフターの読み比べはご遠慮願います。なんか、恥ずかしいので。

酔った勢い

「酔った勢い」で不道徳な行動が現れるのではなく、元々のその人の道徳観がその程度であっただけ。

このショッキングな研究結果を、Facebookの紹介記事で見ました。その通りでしょうね。身につまされます。

日頃は抑制されているその人の本性が、酩酊によって解き放たれ、表に出てしまうのでしょう。

人が本性をさらけ出すきっかけとなるのは、なにも酩酊だけではありません。

誰かから激励されたり、叱咤されたり、煽られたり、癒やされたり、いろんな状況が影響すると思います。

その場の雰囲気で、勢いづいて「<a href="http://tsuruhara9linic.blog116.fc2.com/blog-entry-2063.html" target="_blank" title="失言">失言</a>」をする政治家なんてのは、その典型例でしょうね。

うっかり言い間違えたのではなく、うっかり本音を吐露してしまっただけですから、取り消しは無意味です。

そのような事をいつも考えている人間なのだなと、世の中に知られてしまってからでは取り返しがつきません。

一方で、つねに慎重に言葉を選んで決して本性を現さない悪党がいたとしたら、それもまた厄介です。

むしろ、失言を繰り返している人間の方が、ある意味正直かもしれません。本心を隠し通せないのですから。

酔って醜態を晒す人なんてのは、その意味ではかわいいものです。やることなすことが、おおむね想定内です。

酔ってもなお抑制的・理性的な人が、何かをキッカケにブチ切れたときこそ、想定外の事態になりそうです。

もちろんそれも、その人の本性の発露なのでしょうけどね。

「令和」の発音

今日、当院で予防接種を受けた7人のうち2人が、今年5月以降の生まれ、すなわち「令和ッ子」でした。

だいぶ前、手術患者が平成生まれであることに驚いて、「平成ッ子やあ」と言ってたことを思い出します。

あの頃の、「昭和→平成」の落差に比べると、このたびの「平成→令和」の改元には、私はすぐ慣れました。

生涯で2度目に遭遇した改元ということもありますが、今回の改元は平成元年の時の焼き直しに思えるのです。

菅官房長官が新元号を供覧したあの瞬間は、かつての小渕長官のやり方をあえて踏襲したものでした。

今の時代、モニタで表示することもできたのに、30年前と同じく手書きの色紙で提示したわけですから。

「新しい、元号は、令和であります」

そう発表した菅官房長官の言葉の最後の方は、実はよく聞こえませんでした。その時の動画を見直すと、

「新しい、元号は、令和でありまふ」

みたいな、<a href="http://tsuruhara9linic.blog116.fc2.com/blog-entry-937.html" target="_blank" title="小保方風">小保方風</a>の尻すぼみ発音をしています。官房長官も、首相に似て滑舌が悪いのです。

新元号の発表会見で菅官房長官は、「令和」を「 レ ↘ イワ 」のように「頭高型」で発音しました。

しかし巷では、「レ↗イワ」のような「平板型」のアクセントも混在しています。

NHKは、その両方のアクセントを許容する方針のようですが、やがて優先順位を付けることになるでしょう。

「昭和」の場合でも、普段は平板型で発音していても、特に強調したいときには頭高型になったりします。

「令和」はまだ真新しいので、いまのところは強めの発音である頭高型を使っているような気がします。

考えてみると、「明治は」頭高型、「大正」は平板型と、ほぼ限定的なアクセントですね。

同音異義語の「明示」や「大将」と区別しようとする意識が、昔からあったのかもしれません。

最近の他の元号とは異なり、「令和」って同音異義語が少ないですね。調べた限りでは「例話」だけです。

その「例話」は平板型発音。なので「令和」は、頭高型が定着するかもしれませんね。

今村夏子ついに芥川賞

<a href="http://tsuruhara9linic.blog116.fc2.com/blog-entry-2141.html" target="_blank" title="芥川賞">芥川賞</a>は、<a href="http://tsuruhara9linic.blog116.fc2.com/blog-entry-1750.html" target="_blank" title="今村夏子">今村夏子</a>の『むらさきのスカートの女』に決まりました。選考会では断トツの高評価だったとか。

今村氏は近年、私のイチオシの作家なのですが、芥川賞候補になったのは3度目。まさに3度目の正直でした。

さっそく今夜、Kindleで読みました。ていうか、この作品、まだ読んでなかったのです。スミマセン。

(以下、内容の詳細は書きませんが、当然ながらネタバレ注意です)

例によって、今村流の不隠な雰囲気が全体を包んでいます。もう最初っから、ヤな感じが漂います。

あいかわらず中学生が書いたような平易な文章ですが、ヘタに文学的過ぎる小説よりは私はよっぽど好きです。

「今村さんは独自の、狂気を突き抜けた先にある哀れさのようなものを描ける人だと再認識できました」

こう語るのは、選考委員の小川洋子氏。まあ、どうなんでしょう。そこまで言いますか。

今村作品では、3年前の芥川賞候補作になった『あひる』がいちばん好きですね。たぶん、短いからでしょう。

それと比べると、2年前の『星の子』も今年の『むらさきのスカートの女』も、ちょっと冗長に感じました。

今村氏は若い頃に清掃のアルバイトをしていたそうで、その経験が今回の受賞作にもつながっています。

これはちょうど、『コンビニ人間』の村田沙耶香がコンビニでバイトをしていたことと同じパターンです。

そういえば、『むらさきのスカートの女』と『コンビニ人間』って、なんか似ています。

今日も読んでてデジャブがあったのは、そういうことか。

バイトって、その弱く不安定な立場と難しい人間関係が、リアルな小説の題材になりやすいのかもしれません。

さて、私は若い頃、どんなバイトをしてきたっけな。ちょっと思い出してみましょう。(で、小説書く?)

気温と体温

当院の問診票の右上には、院内で測った体温を記載する欄があります。

来院して検温して初めて、「あらっ、八度五分ありました」と、熱があることに気づく方もけっこういます。

「八度五分」というのはもちろん、「38度5分」のことであり、しばしば「三十」の部分は省かれます。

これを「38.5度」と言うこともできますが、体温の場合は伝統的に「○度○分」という表現をよく使います。

一方で気温の場合には、「36.5度」のような言い方が慣用表現とされています。

民放ではたいていこれを使っており、普通にわかり易く感じます。

ところが、NHKは今なお「36度5分」のようにしか言いません。まるで体温みたいで私は違和感があります。

最近の「NHK放送用語委員会」でこの点が議論されましたが、結局、従来通り「○度○分」でいくようです。

気温も体温もいずれも同じ温度を指すものであり区別する必要はない、というのがその理由です。

いやいや、区別すべきでしょう。体温というのは、単に体の温度を示すだけの数値ではありません。

とくに「熱」は、身体の兆候を現す重要な「所見」であり「体調」そのものです。

「九度」だというだけで、その人の病状を端的に表現することができ、医療者も身構えるのです。

言葉は世間の慣用に従って変化するのが自然なので、NHKのかたくなな態度は、いけません。

と、以前は考えていたのですが、状況によっては気温でも「○度○分」もアリかと、最近は思っています。

たとえば猛暑日の気温。「38.5度」よりも「38度5分」と聞いた方が、いかにも暑そうで汗ばみます。