ワクチンでは、「副作用」と言わずに「副反応」を使います

「こないだのワクチン、どうでしたか?」

新型コロナワクチンの3回目接種後に初めて受診された方には、たいていこのような質問をしています。

「どうもなかった」という方もいれば、「高熱が出ました」「2,3日寝込みました」という方もいます。

このような「副反応」については、昨年来の周知徹底が行き届いているので、皆さんわりと冷静です。

「高熱が出ましたが、大丈夫でしょうか」と問い合わせて来る方は、滅多にいません(たまにいます)。

一般の医薬品で「副作用」と呼ぶような現象について、ワクチンでは以前から「副反応」と表現しています。

前者は薬の「薬理作用」に付随するもので、後者はワクチンの「免疫反応」に付随するものだからでしょうか。

敢えて言い換えるなら、副作用は薬の「異常作用」であり、副反応は生体の「異常反応」という解釈です。

しかしおそらくその両者には、厳密な意味での生理学・薬理学的な差はないでしょう。

以前「HPVワクチン」問題が起きたとき、副反応という言葉がごまかしのように捉えられたりしました。

「ワクチンのせいじゃなく、体の異常です」と、まるで責任逃れのように聞こえるからです。

コロナワクチンで市民権を得た「副反応」ですが、「副作用」とは言いたくないニュアンスはつねに感じます。

英語ではいずれも「side effect」であり、両者を使い分けているのは日本(語)だけだといいます。

日本人独特の婉曲表現というか、一種の本音と建て前なのかもしれませんね。

「7年7カ月ぶり」

プーチン・ロシアのウクライナ侵攻。ひどい話です。ふと、昔聞いた「しりとり歌」を思い出しました。

「スズメ、メジロ、ロシヤ、・・・」、その次は、「ヤバンコク、クロパトキン、・・・」と続きます。

国際原油相場が急騰し、その指標のひとつが7年7カ月ぶりに1バレル=100ドルを上回ったと報じられました。

お前、原油相場に興味があったのかと、驚かないでください。興味あるわけないじゃないですか。

私の興味は、NHKのアナウンサーが、「7年7カ月」を「シチネンナナカゲツ」と読んだことです。

別のニュースでも同じ。NHKでは必ず、「7年」は「シチネン」で「7カ月」は「ナナカゲツ」なのです。

調べてみると一般に、「七」の読み方は、伝統的な「シチ」から徐々に「ナナ化」が進んでいるようですね。

逆に言うなら、伝統的な言葉では「ナナ」よりも「シチ」を使うのだと。「七回忌」とか「将棋七段」とか。

それとは別に、順序を表すときは「シチ」で、数量を表すときは「ナナ」、のような原則もあるそうです。

なので7番目の月である「七月」は「シチガツ」で、期間を表す「七カ月」は「ナナカゲツ」なわけですか。

たしかに私も、「七月」を「ナナガツ」と言うのは、「シチ」と「イチ」の聞き間違いを防ぎたい時だけです。

じゃあ「七年」はなぜ「シチネン」なのか。伝統?、「ナナネン」が言い難いから?、よくわかりません。

過渡期かもしれませんが、現時点で「7年7カ月」は、「重箱読み」的に「シチネンナナカゲツ」なのです。

「逆に」の用法

「何か処方しましょうか?」

「逆に、何がありますか?」

今日の発熱外来で、PCR検査用の検体を採取した後、何か解熱剤でもご希望かとお尋ねしたときの会話です。

【逆に】

(1)反対に、あべこべに(←原義)

(2)むしろ、かえって(←最近の用法)

(3)それよりも、そんなことより(←マウント)

(4)まあ(←なんとなく言葉をつなげる)

逆にこんな感じでしょうか。

昨今の「逆に」は、応用範囲が広がってますね。これを用法が誤りだと目くじらを立てたりはしません。

逆に自分でも(2)などは「効果的に」使ってみたいですね。

冒頭の「逆に」は (1), (2), (3) の混合で、「それよりも、むしろ、反対に、尋ねますけど」の意味でしょうか。

私はその想定外の質問に戸惑ってしまい、「解熱剤とかあります」と応えるのがやっとでした。

逆に、「何か焼きましょうか?」「オススメ何かあります?」みたいな、焼き鳥屋の会話も思い出しました。

『ブラックボックス』読中感

<a href="http://tsuruhara9linic.blog116.fc2.com/blog-entry-2843.html" target="_blank" title="「芥川賞」">「芥川賞」</a>。私はまた、獲り損ねました。敗因はたぶん、私が何も(小説を)書いていないことでしょう。

受賞したのは、砂川文次氏(31)の『ブラックボックス』。都内の区役所に勤める公務員作家ですか。

自衛官時代に『市街戦』でデビューし、芥川賞は3回目の候補だったといいますから、かなりの人物です。

さっそくKindleで購入し、どら焼きを食べながら読み始めました。

これはまた、文が短くて読みやすい。まるで自転車をシャカシャカこいでいるような、スピード感があります。

ところが、短い文ばかりをハイスピードで読んでいると、なんだか過呼吸のような息苦しさを感じてきました。

面白いものですね。やたらに句読点の少ない<a href="http://tsuruhara9linic.blog116.fc2.com/blog-entry-165.html" target="_blank" title="『苦役列車』">『苦役列車』</a>で感じた低酸素とはまた異なる息苦しさです。

いや待て、夜10時を過ぎてから小説を読み始めるのも、どうなの。宿題(ブログ)を先に済ませとかなきゃ。

そう思い直して、いまコレを書いています。読書感想文は明日以降に書くことにします。

ところで、「過呼吸症候群(過換気症候群)」の患者さんは、「空気が足りない」と訴えます。

息を吸おうとしても十分に吸えない、肺に入ってこない、そう感じてますます呼吸が速くなります。

これは気のせいではありません。本当に空気が入らないのです。なぜなら、息を十分に吐いていないからです。

なので対処法は、いったん、息を完全に吐き出すことです。吐き出したところで少し息を止めたら、完璧です。

昔よくやっていた「ペーパーバッグ法」は、低酸素を来す危険があるので、今は勧められていません。

外来で使う外来語

世間を騒がせている「オミクロン株」ですが、すごく怖いのか、ぜんぜん怖くない(かもしれない)のか。

感染がまた世界中に広がって、しかしいつしか普通の風邪になっていく、今はその過渡期なのでしょうか。

よくわからないので横道にそれて、「omicron」の英語の発音で気になったことなど。

私はてっきり「オウマイクロン」(「マイ」にアクセント)と言うんだろうと思ってました。

しかし実際に外人が言ってるのをTVで見てたら、ほとんどが語頭にアクセントの「オミクラン」ですね。

コロナ禍でよく耳にする外来語としては、前に<a href="http://tsuruhara9linic.blog116.fc2.com/blog-entry-3495.html" target="_blank" title="「ウイルス(virus)」の発音">「ウイルス(virus)」の発音</a>について書きました。

「ワクチン(vaccine)」もよく聞きますが、発音は後半にアクセントのある「ヴァクスィーン」ですね。

たまに外人が来院して、「ヴァッスィネーションやってるか?」みたいに尋ねてくることがあります。

なんて?(pardon?)と聞き返して、やっと予防接種(vaccination)のことだとわかります。

日本語では「ワクチン」の「ワ」を強く言うものだから、英語の発音とのギャップが大きいのです。

こういうのを、ワクチンギャップと言うのかもしれませんウソ。

医学知識や用語の多くはドイツから入って来たため、ドイツ語読みが定着している、という説があります。

私もそう思ってきましたが、確認したら「Vakzine」の読みは「ワクツィーン」で、アクセントは後半です。

日本語とのアクセントが一致しないのが気に入らない。

そういえば、ワクチンを考案したのはパスツール。ドイツ人じゃなくてフランス人じゃないですか。

で、フランス語「vaccin」の発音を聞いてみると、「ヴァクスァン」でアクセントは語頭にある。

つまり、日本語の発音は、ドイツ語の発音にフランス語のアクセントが加味されたと、そんな感じですかね。

近代のワクチン・感染症学は、独仏の両国が牽引したゆえでしょうか。

ちなみにイタリア語の「vaccino」は、「ばっちいの」と聞こえます。

よなのふりよるばい

阿蘇が噴火して火山灰が降っています。

そのことを「よなのふりよる」と言う人がいて、火山灰のことを「よな」と呼ぶことを昨日知りました。

<「よな」とは、火山の噴煙とともに噴き出される灰。火山灰。九州、阿蘇地方でいう。>

辞書(大辞泉)にはそのようにありました。ほぼほぼ阿蘇限定の、火山灰表現のようですね。

となると、「よなよなよなのふる(毎晩のように火山灰が降る)」という言い方もできるわけですか。

夏目漱石の『二百十日』は、阿蘇登山を嵐で断念した漱石の体験を元にした、青年2人の会話の物語です。

その中に次のような一節がありました。

「御山が少し荒れておりますたい」

「荒れると烈しく鳴るのかね」

「ねえ。そうしてよながたくさんに降って参りますたい」

「よなた何だい」

「灰でござりまっす」

「よな」の語源って、何でしょう。「与那国」などの「与那」と同根で、砂の意味だという説があります。

もしかするとその起源は、旧約聖書の『ヨナ書』にまで遡れるかもしれませんうそ。

最初に「主語」を言え

減りましたね、新型コロナ感染者。当院の発熱外来も減ってるし、熊本県の新規感染確認者数も一桁です。

「九州沖縄で・・・あわせて118人となっています。県別では、沖縄県で43人、福岡県で・・・」

NHKの九州沖縄地方のニュースでは、いつも8県の新規感染者を、多い順にすべて教えてくれます。

画面で数字が出ているので、全部言わなくても良さそうですが、視覚障害者等にも配慮しているのでしょうか。

でも、続くフレーズが問題。今日は、こうでした。

「また、ふくお、沖縄県で5人、福岡県と長崎県でそれぞれ1人の、合わせて7人の死亡が確認されました」

出だしの言い間違いはともかく、これが死亡者数の数であることが、最後まで聞かなければわかりません。

たぶん死亡者数だろうなと思いながらも、いったい何の人数なのかと、ずっと疑問を引きずってしまいます。

このような、聞き終わらなければ「主語」がわからないようなニュース原稿は、私には納得がいきません。

「また、死亡者数は、沖縄県で5人、福岡県と長崎県でそれぞれ1人が、確認されました」

このように言うべきでしょう。「見出し」となる重要語は、まず最初に提示しなきゃ。

ラジオ放送は当然ですが、テレビでも、音声だけ聞いている視聴者(聴取者?)もいるのです。

こういった点にはNHKも気を配っているはずですが、ローカル局の場合は徹底していないのかもしれません。

文字の原稿でも基本は同じ。当ブログでも、キーワードはなるべく文頭に書くよう意識しています。

ただし、何らかの効果を狙った場合は別。私はむしろ、そういう例外的な書き方の方が多いかもしれませんが。

「まず、隗より始めよ」

誰か政治家(誰か忘れた)が先日、「隗より始めよだ」なんて言ってましたが、いつも引っかかる言葉です。

<a href="http://tsuruhara9linic.blog116.fc2.com/blog-entry-1653.html" target="_blank" title="だいぶ前">だいぶ前</a>にも書きましたが(なんと、熊本地震の前日!)、また書きます。

彼は「まず、やれるコトからやれ」という意味で使っていました。それは決して誤用ではありません。

でも元々の故事では、「まずは優秀でない者を優遇すれば、賢人が続々と集まってくる」という意味でした。

単に「手近な」ところに手を付けるのではなく、「とるに足らない」ところから始めるのが、キモのはず。

その意味では、「下位より始めよ」と書いたっていいぐらいですよね。

私は中学時代にこの言葉を習ったとき、「まず私を厚遇せよ」と王に進言した隗の厚かましさに呆れました。

そしてこの考え方は、日本人の奥ゆかしさとは相容れないだろうなと感じました。

だから日本では、「手近なところから一歩一歩やれ」みたいな、実直なことわざに変化したのでしょうね。

「<a href="http://tsuruhara9linic.blog116.fc2.com/blog-entry-1617.html" target="_blank" title="情けは人のためならず">情けは人のためならず</a>」が、「その人のためにならない」の意味で誤用されることが多いのも、同様です。

日本人は、誠実・謙虚を尊ぶので、自分の利益を期待して他人に情けを掛けることなど、ヨシとしないのです。

何かを説得したい時に、無機質な「理詰め」だけではうまくいきません。「情緒」がとても大事です。

新型コロナワクチンを恐れる人には無理強いせず、自ら接種したくなるように丁寧に説明をしてきました。

「<a href="http://tsuruhara9linic.blog116.fc2.com/blog-entry-3623.html" target="_blank" title="北風と太陽">北風と太陽</a>」にならった作戦です。「ジャパネットと夢グループ」と言い換えてもよいでしょう(違うか)。

ウイルスであってウィルスではない(と思う)

「新型コロナウイルス」のように、「virus」に相当するカタカナ表記は「ウイルス」です。

「イ」を小さく書いた「ウィルス」を、最近見たことがありません。たぶん昔はありました。

しかしこれを発音する場合、ニュースでは時々「ウィルス」という発音を耳にします。

さらに不思議なことに、「ウィルス」発音は、テレビよりもラジオのニュースでわりと頻繁に聞きます。

今でこそ「ウイルス」ですが、私が子どもの頃は、表記も発音も「ビールス」でした。

これはおそらく、ドイツ語 (Virus)の読み「ヴィールス」から来ており、「V音」が「B音」になっただけです。

私の記憶では、いつの頃からか「ウィールス」と濁らなくなり、やがていまの「ウイルス」に至ります。

NHKでは1976年の放送用語委員会で、「ビールス」よりも「ウイルス」を優先して使うと決めたようです。

英語(virus)の発音は「ヴァイラス」です。

医者同士や学会等では、日常的によく使います。ただし日本人同士だと、発音は「バイラス」ですけどね。

ラテン語だと「ウィールス」に近い発音のようです。日本語「ウイルス」は、ラテン語由来なんでしょうか。

以上のように「virus」の「vi」の元々の発音は、「ヴァイ (英)」か「ヴィー (独)」か「ウィー (羅)」です。

なので「ウィルス」は間違い。たぶん「wi」で始まる外来語と混同してるんでしょう。(個人の見解です)

筒井康隆『ジャックポット』毒中感

筒井康隆を久しぶりに読みました。短編集の『ジャックポット』です。思った通り、筒井節が炸裂しています。

まだ全部は読んでませんが、すでに私の精神が披露宴。全話読めるかどうか、震度1ほどの自信もありません。

言葉遊びと言うにはほどがある、不適切・不穏当な言葉がイヤと言うほど登場します。(以下、ネタバレあり)

ネットなら炎上して燃え尽きるような問題表現が、書籍だからこそ自由自在の書き放題なんですね、逆に。

「親しき仲にもコロナあり」「一難去ってまたコロナ」「のど元過ぎればコロナを忘れる」「弱り目にコロナ」

こんなのは、品の良い方。よい子はうっかり読まない方が良い本です。

ただ、最後に収載されている『川のほとり』は、ホントに切なく、静かに泣かせる話でした。

癌で昨年亡くなった息子さんとの、夢の中での邂逅。それが夢だとはわかっていても、静かに会話を続けます。

私は不意に、江戸末期に博多の聖福寺の住職だった、僊厓義梵 (せんがいぎぼん) 和尚の話を思い出しました。

正月にめでたいことを書けと殿様に言われて、「親死ね 子死ね 孫死ね」と書いたことでも知られる人です。

この逸話を、中学生時代に美術の木本先生から聞きました。後に、山口県立美術館の館長になった人です。

その木本先生があるとき「絵心とはなにか」という宿題を出しました。親に訊いて、次の授業で提出せよと。

あれから半世紀近くたっても時々思い出しますが、先生が求める答案は何だったのか、いまだにわかりません。