「ウェストミンスター宮殿」

エリザベス女王の弔問に訪れる市民の列が途切れず、その予想待ち時間は一時、24時間を超えたとのこと。

英国民の思いは、比較するのは酷でしょうけど、我が国で行われる予定の国葬とはずいぶんレベルが違います。

女王が亡くなって巻き起こったのが、「『女王』は『じょおう』なのか『じょうおう』なのか問題」です。

もちろん前者が本則だとはわかってますが、それでも実際の発音は後者が多いんじゃないかというわけです。

Facebookでこの話題が出たとき、私は次の様にコメントをしました。

「エリザベス女王」と言うときは「じょおう」のこともありますが、「女王陛下」のときは必ず「じょうおう」になってますね、私の場合。

「天皇」とか「皇后」とか「国王」は4拍(4または3音節)で発音してるので、「女王」もそれと同じように「じょうおう」または「じょうおー」と発音した方が、重厚感があってシックリくる気がします。

(もしかすると実際には「じょーおー」と言ってるかもしれませんが)

で、いま私が気になってるのは、エリザベス女王の棺が置かれ、弔問者が訪れている宮殿の読み方です。

メディアの表記と発音は「ウェストミンスター」ですが、「ウエスト」と発音するキャスターもいます

NHKは7年前に、「wo」発音の外来語の発音と表記の原則を、「ウオ」から「ウォ」に変更しました。

これによって「ウオッチ」が「ウォッチ」に、「ウオッカ」が「ウォッカ」になった話は<a href="http://tsuruhara9linic.blog116.fc2.com/blog-entry-1336.html" target="_blank" title="前に書いた">前に書いた</a>通りです。

その際に、「wi」「we」音については、「ウイ」「ウエ」が原則とされました。

ならば「ウエストミンスター」であるはずなのですが、いつのまにか原則が変わったんでしょうかね。

でも私は「ウエスト」派。NHKでも時々「ウエスト」を耳にします。まだ「ウエ」→「ウェ」の過渡期なのか。

「0日目」という表現がムカつく

「自宅療養期間は発症日を0日目として、10日間です」

「10日間」といいながら、じつはトータル「11日間」です。お役所の表現は、わかりにくい。

「自宅療養期間は発症した日の10日後までです」って言えばいいのに、といつも思う。

「前後に他の予防接種を行う場合においては、原則として13日以上の間隔をおくこと」

コロナと他のワクチンの接種は「2週間以上あける」ルールですが、お役所言葉だと「13日以上」となります。

これも考え方は同じ。お役所は「中に挟まる日数」を言うので、普通に数える庶民感覚とはずれています。

「微熱が2日目まで出ました」「2日目まで痛かった」

新型コロナワクチンの接種後の経過を患者さんに尋ねると、こんな返答をよく聞きます。

この場合の「2日目」は接種の翌日を意味します。一般の方は、接種した当日を「1日目」と表現するようです。

実はこれ、私にはわずかに違和感があるので、「接種日」とか「翌日」という言葉を使うようにしています。

「0日目」という言葉だけは、絶対使いたくないですね。お役所はこの言葉を撤廃してほしい。

防府に日本三大天神

昨日のブログの「白紙に戻そう検討使」の意味が分からん、という方がいらっしゃったので、念のため説明。

「遣唐使」を停止した年(西暦894年)の覚え方(語呂合わせ)ですね。元受験生ならきっと知ってるはず。

停止を決めたのは菅原道真です。後に無実の罪で大宰府に左遷されて、その怨霊が雷神になった人ですね。

流される途中で寄った松﨑(いまの山口県防府市)で、いつかこの地に住みたいと言ったそうです。

その証拠に、左遷の2年後に道真が大宰府で亡くなったその日、防府に神光が現れ瑞雲が棚引いたとか。

というわけで日本三大天神は、北野・太宰府・防府なのです。これは小学校で習いました(防府出身なので)。

「とりあえずビール」という時に、いちいち「ヌサもとりあえずビール」と言う友達が学生時代にいました。

百人一首に取り上げられている、菅原道真の歌がその由来。これもまた、受験戦争の弊害と言えるでしょう。

「このたびは 幣(ぬさ)も取りあへず 手向(たむけ)山 紅葉(もみぢ)の錦 神のまにまに」

(今度の旅は道祖神に捧げる幣も用意できませんでした。手向けの山の紅葉を捧げるので、神よ御心のままに)

「幣(ぬさ)」という読みは耳慣れませんが、字面は「紙幣」でお馴染みの漢字です。

私は高校時代に、「神のまにまに」から「紙の money, money」を連想しました。つまり紙幣です。

このことは大学時代にABBAのヒット曲「Money, Money, Money」に出会った時に、また思い出しました。

『おいしいごはんが食べられますように』読後感

<a href="http://tsuruhara9linic.blog116.fc2.com/blog-entry-3760.html" target="_blank" title="芥川賞">芥川賞</a>には、高瀬隼子さんの『おいしいごはんが食べられますように』が選ばれました。

今回も私が受賞を逃した理由は、前にも書いた通りです(小説を書いていないから)。

受賞作はすぐ読むのが私の流儀(礼儀?)ですから、いまKindle版で読みました(以下、ネタバレあります)。

タイトルから、WFP(国連世界食糧計画)的な視点で書かれた啓蒙書かと私は一瞬思いましたが、違います。

「人間の中の多面性がよく描かれている」と選考委員の川上弘美氏は言いますが、それほど複雑な話でもない。

小さな職場の中での人間関係の、悪く言えばどうでもいいようなことが、ただ書き綴られているだけです。

なんなら、WFPから苦情が出そうな感じの食糧描写も少し、登場します。

「ごはん」つまり食事の場面が多く描かれていますが、豪華なフレンチとか、そういう料理ではありません。

そう書くと誤解されそうですが、決して食べ物や食材にこだわった内容ではなく、主体は心理描写ですから。

女性が書いた小説なんだなぁと思わせる部分が所々にあって、そこが私には妙に新鮮でした。

誰かのトークをずっと聞いているような、ごくごく自然な文体なので、悪く言えば気合が入らない小説です。

でもちょっとだけ<a href="http://tsuruhara9linic.blog116.fc2.com/blog-entry-2843.html" target="_blank" title="不穏な雰囲気">不穏な雰囲気</a>もあって、それがあるから読み進めてしまいます。やっぱり不穏は大事ですね。

前回の芥川賞の『ブラックボックス』(砂川文次著)のようなスピード感はなく、歩く速さで読めます。

「ごぼうの党」があるのなら、「サル党」があってもいい

「サル痘」のニュースを聞いててずっと気になるのは、その主な症状である「発疹」の読み方です。

NHKなど、メディアはみな「はっしん」と読んでいますが、医療従事者が言うときは普通「ほっしん」です。

このように、国語辞典に出ている読み方と、医学用語としての読み方が異なる言葉は、よくあります。

例えば「腹腔」を、メディアは「ふくこう」と言いますが、医療現場では「ふっくう」です。

歴史的な観点からどちらが「元祖」なのかはともかくとして、医学用語の読み方の方が私はしっくりきます。

なぜなら、「はっしん」には同音異義語が多い一方で、「ほっしん」にはそれが比較的少ないからです。

日国を引くと、前者は「八神・発信・発振・発疹・発軫・発進・発震」、後者は「法身・発信・発心・発疹」。

とくに前者の「発信・発振・発進」は日常的によく使う言葉ですが、後者でよく使うのは「発疹」だけです。

これは「腹腔」でも同じで、その意味では、医学用語は同音異義語を嫌う傾向があるとも言えます。

「発足」とか「発端」のように、「発」を「ほつ」と読む言葉には、何か「こなれた」印象がありますね。

でも手元の「新明解第3版」では、「ほっしん」は「『はっしん』の老人語」となっていてガッカリします。

第6版からは「『はっしん』の古風な表現」に改善していますが、古風だとしても、業界標準なんですけどね。

「鶴」も「熊」も「柿」も常用漢字だけど「栗」はちがう

NHKが昨年11月に、次のような調査を行ったそうです。

「テレビの字幕スーパーとしては, どれがもっともよいと思いますか」

 a.「山で栗を拾う」

 b.「山でくりを拾う」

 c.「山でクリを拾う」

年齢層や学歴による差は少なく、約7割強の方が、漢字で書くのが良いと回答したようです。

これを踏まえてNHKの放送用語委員会は、今後は漢字の「栗」を使うことに決定する方向だと。

こんな簡単な漢字でも、常用漢字表に含まれていない漢字は原則として使わないのがNHKなのです。

お役所の作ったルールに盲従せず、メディアはわかりやすさを優先してほしいものですけどね。

そもそも、前回の改定で常用漢字表に「柿」が追加されたのに「栗」は見送られたのって、意味不明でしょう。

NHKの委員らの意見で私が気になったのは、読みやすいから漢字を使おうという、短絡的な議論です。

たしかに、「山で栗を拾う」 は読みやすいですが、もっと大事なのは漢字と仮名のバランスです。

漢字と仮名が適度に交互に並んでいるからこそ、日本語として読みやすいのです。たとえば、

 a.「昨日栗拾いをした」

 b.「昨日くり拾いをした」

 c.「昨日クリ拾いをした」

であれば、私が書くなら 「くり」か「クリ」ですね。漢字ばかり続けるよりは目に優しいからです。

漢字と仮名を使い分けて、読みやすい字面に「調整」できるのは、他の言語にはない日本語の特徴ですよね。

「カムチャツカ半島」

「カムチャツカ半島」の火山で起きた大規模噴火では、日本への津波の影響はなかったようです。

そのニュースを聞きながら私はしかし、「カムチャツカ」という発音(と表記)が気になってなりません。

ずっと「カムチャッカ(着火)」と思ってましたが、いつから「カムチャツカ(茶塚)」になったのでしょう。

戦前の日本語では、促音(小さい「ッ」)で書くべきところを、大きな「ツ」で書いていました。

たとえば、「行って」と書かずに「行つて」と書いて「イッテ」と読むような具合です。

戦後になってその表記が正された際に、本来は促音ではないのに促音になってしまった言葉があります。

それが「カムチャッカ」であり「ウオッカ」なのだと、色んなところに書いてあります。

そこで、ロシア語の原音に近い表記に修正したのが、「カムチャツカ」や「ウオツカ」なんですね。

そんなことも知りませんでしたが、しかし、日本語としては発音しにくいですね。促音の方が言い易い。

最近になって、「ウオッカ」の方が定着しているという理由で、表記・発音が「ウオッカ」に戻されました。

じゃあ「カムチャツカ」の方はどうなの。文化庁はぜひ、アンケートをとってほしいですね。

あ、でも地名については、現地の発音に近い表記に変える動きがありますよね。「キーウ」みたいに。

日本語として定着しているかどうかよりも、原音を優先するのでしょう。で「カムチャツカ」ですか。

でも、ロシア人の動画見たら「カムチャー(トゥ)カ」ですね。促音じゃないけど「カムチャツカ」でもない。

ブログ連続10年

「前震と本震の間の日」として記憶されている4月15日ですが、当ブログの連続投稿記念日でもあります。

この10年間、1日も欠かさず、毎日投稿を続けてきました。

コロナ禍でも、地震が起きても、<a href="http://tsuruhara9linic.blog116.fc2.com/blog-entry-2871.html" target="_blank" title="旅先">旅先</a>でも、<a href="http://tsuruhara9linic.blog116.fc2.com/blog-entry-2541.html" target="_blank" title="締切間際">締切間際</a>なのにネタが無くても、なんとか書き続けて来ました。

面白いことを書こうとすると悩みますが、投稿を中断して後悔するのが恐ろしくて、無理くり筆を進めます。

コロナや社会問題を書くのは気が重いですが、アホな話や失敗談でも思い出せれば、その日は筆が走ります。

助けになったものを2つ挙げるなら、体調が安定していたことと、世の中のあちこちにWi-Fiがあったこと。

逆に言うなら、ネット環境が悪くて焦ったことは何度もありました。書いても投稿できないのは最悪です。

そうか。いつか連続投稿を途切れさせてしまったら、ネット環境のせいにしよう。ホントは書いてたのに、と。

ブログ以外に、ほぼ毎日、10年以上続けているものが、あと2つあります。

息してるとか、心臓動かしてる、じゃないですよ。小学生じゃあるまいし。

<a href="http://tsuruhara9linic.blog116.fc2.com/blog-entry-2386.html" target="_blank" title="毎晩1株ブロッコリーを食べる">毎晩1株ブロッコリーを食べる</a>ことと、<a href="http://tsuruhara9linic.blog116.fc2.com/blog-entry-1719.html" target="_blank" title="1日1食生活">1日1食生活</a>。前者は11年以上、後者は16年以上続いています。

でも実は毎日じゃなくて、ブロッコリーが高い日は食卓に上らないし、昼食もたまには食べます。実は今日も。

そうそう、先日から始めた朝晩の「<a href="http://tsuruhara9linic.blog116.fc2.com/blog-entry-3800.html" target="_blank" title="ぶら下がり">ぶら下がり</a>」は、背骨の痛みが強まったので中止しました。

中止して数日したら、背骨の痛みはウソのように改善しました。なのでぶら下がり再開の予定無し。

何かを続ける場合、それを続ける価値があるかどうかはともかく、やめるなら傷の浅いうちが良いですね。

SNSでの会話は楽しく(願望)

それほど「デキ」た人間ではない私ですが、そのくせ他人の非礼や不遜な言動にはイラっとします。

ただし基本的に「シャイ」なので、声高に非難するようなこともなく、ひっそりイラつき続けるのみです。

Facebookなどでのコメントのやりとりを見ていると、「大人」な対応ができてない大人が目に付きます。

以下、自分のことはまるっと棚に上げて書きますので、そこのところは優しくご配慮の上でお読みください。

(1)我田引水な人

会話というのは、最初に言い始めた人(スレ主)の趣旨を踏まえて、穏やかに楽しく展開させるのが大人です。

自分勝手な話題にすり替え、自己中な展開に持ち込むことは、会話の乗っ取りに他なりません。大嫌いです。

(2)思いやりのない人

自分の意見を述べることは構いませんが、たとえ誰かに反論するときでも、守るべきマナーがあるでしょう。

「たしかにそれも一理あるけど」とか「その考え方も理解できるけど」みたいな「枕詞」が大切なんです。

(3)強情な人

険悪な展開になりそうだと感じたら、早めに撤退する勇気が必要です。それは負けでも勝ちでもありません。

どうしても引き下がらない人は、その人なりの根拠や自信があったとしても、傍目には見苦しいものです。

私自身、たぶん(1)(2)は大丈夫ですが、(3)は自信がありません。だから議論が嫌いなのです。

数字で個性を出してみる

保険会社の「チューリッヒ」が、ロシア支持を誤解されぬよう、企業ロゴ「Z」の使用をとりやめたとのこと。

そう聞いてすぐ同社のサイトを見たら、まだ出ています。どうやら、SNS上での使用だけ中止したようですね。

さて「Z会」はどう出るか。

「Z」の文字を書くとき、真ん中の斜めの線を横切るように、短い線を書き加えることがありますよね。

あれは「ストローク」といって、私も格好付けに書いてます。でも本来は「2」と区別するためのものですね。

いや確かに、ストローク抜きで「Z」を書いたら、よほどカクカク書かない限り、2との区別が付きません。

「D」や数字の「7」にストロークを付ける人を見かけますが、これはちょっと気取った感じが私はイヤです。

もちろんそれぞれ、本来は「O」や数字の「1」と区別しやすくするためなんでしょうけどね。

そもそも外人の書く「1」は、頭がやたらに大きく折れ曲がっていて、ほとんど「逆V」になってますからね。

これは「1」と「l (Lの小文字)」を区別するためなのでしょうけど、日本人にはあまりピンと来ません。

しかしおかげで「1」と「7」を区別する必要が生じ、「7」にストロークを付けることになったと推測します。

でも公的な文書でもなければ、わざとストローク付きで数字を書くのも個性的かなと、急に思い始めました。

数字の「4」は、横棒が縦棒の右には突き出さない書き方をすると、いかにも外人(かぶれ)風になりますね。

「2」の左下を丸くしたアヒルみたいにするとか、「3」の上を平らにして「ろ」みたいにしてもいいかも。