詐欺サイトの日本語はなぜ変なのか

詐欺メールや詐欺サイトに気をつけましょう、その見分け方は「日本語」です、などと言われています。

日本語がちゃんとしてたら詐欺じゃない、と聞こえるのは問題ですが、たしかにチェックポイントですね。

「ChatGPT」に、詐欺サイトの日本語はなぜ変なのかと尋ねてみたら、次のような予想通りの回答でした。

(1)外国人が運営している、(2)自動翻訳ソフトを使っている、(3)彼らの日本語スキルは不十分

詐欺サイトの日本語って、概して「中華風」な香りがしますよね。

小学生でもやらない句読点の打ち方とか、突然現れる敬語とか、日本人にはマネできない表現を目にします。

前から言ってるように、彼ら(誰?)が改善すべき点は、日本語ネイティブを校閲者に雇うことでしょう。

そこで試しに、次の文をいろんな翻訳サイトで中国語に翻訳し、それをさらに日本語に再翻訳してみました。

元の文:

詐欺サイトの日本語って、小学生でもやらない句読点の打ち方とかするし、校閲なんてしてないんでしょうね。

【Google翻訳】

日本人は詐欺サイトで小学生でも使わないような句読点を使うし、校正もしないだろう。

【みらい翻訳】

詐欺サイトの日本語は、小学生でもやらない句読点の入力方法であり、チェックはしない。

【DeepL翻訳】

詐欺サイトの日本語の句読点は小学生にも通用しないし、校正もしてないんだろうな。

【weblio翻訳】

ウェブサイトに詐欺を働く日本語と研究しない句読点の法はさらには小学生を掠って、校閲しなくしましょう。

面白さから言えば、weblioの圧勝です。

早起きは三文の徳

枕元の目覚まし時計は5時45分にセットしてますが、2回スヌーズするので、実際に起きるのは5時55分です。

「ピピピッ」とアラームが鳴ると、瞬間的にスヌーズボタンを押し、たぶん即座に寝入ってしまいます。

スヌーズのとき、私はたいてい夢を見ます。2回連続のスヌーズなので、夢の内容はしばしば続き物です。

その2話を終わらせる5時55分のアラームが鳴ると、こんどは急に覚醒度が増し、スッと起き上がります。

この急速な覚醒–起床過程は、「速起き」と書きたくなるぐらいの、私の得意(特異)な体質によるものです。

昔、勤務医時代に、病棟や救急病院の当直をしていた長年の経験の中で、培われたものかもしれません。

「速起き」だけでなく、私は比較的「早起き」でもあります。早く起きてリッチな朝を過ごしたいのです。

一般に、「早い」は時刻、「速い」は速度、についての表現だとされていますが、意外と例外がありますね。

「早食い早糞は男子の一芸」なんていう、あまり上品ではないことわざがあります。

飲食と排便のスピードが速いことを言っているのに、「早」の字を例外的に使っています。「早口」も同様。

江戸時代には「速」を「はやい」と読むことはなかったそうなので、その時代からの言葉なのでしょう。

そういえば私は、毎朝起床直後に便意を催します。これも特異体質かもしれません。

なので起床後の最初のトイレで、小と大を同時に済ませてしまいます。これが本来の「早糞」でしょうか。

「話の腰をもむ」

毎日数十人もの「健康に何らかの不安などがある方」と、短時間の面談をしています。つまり、対面診療です。

「体調良好」とか「経過順調」で済むような方も多いですが、それでも、話が長いか短いかは別問題です。

多くの情報を語っていただける方(よくしゃべる方)からは、内容を取捨選択しながら、聞き役に徹します。

それでなお情報が不足するなら、少し質問をします。するとまた、さらに多くの情報を語っていただけます。

一方で寡黙な方には、お困りの概略を尋ねつつ、徐々に掘り下げて聞き込んでいくことになります。

診療ではなく一般の会話では、その場で誰が何の事柄について話し始めたか、私はそれを大切にしています。

以前、<a href="http://tsuruhara9linic.blog116.fc2.com/blog-entry-3842.html" target="_blank" title="SNSでの会話について書いた">SNSでの会話について書いた</a>ことがありますが、対面での会話ならなおさらのことです。

「コロナどうなるかねぇ」に対して、「それよりマイナ保険証ってどうなん?」と話題を変えるのは論外です。

「昨日、鶴屋で有名人見たよ!」という発言に、「私はけっこうよく見かけるよ」とマウントとるのもNG。

何よりも、話の腰を折らないことが、聞き手として守るべきいちばん大事なルールだと、私は思っています。

興味津々な相づちを打ち、ときに驚嘆し、あるいは落胆して見せ、話し手には存分に話させてあげましょう。

そして話がこなれてきた頃を見計らって、「そういえば私も」と自分の話を切り出すのが奥ゆかしいのです。

以前の私は、自己中な誰かに自分の話の腰を折られても、それをそのまま許容してしまう腰砕けな性格でした。

ですが年と共に図太くなり、最近は腰を折られてもひるまず、頑固に自分の話を続けられるようになりました。

こうして最悪の場合、自己中と頑固者がそれぞれの話を続けて平行線をたどったりします。

ブログ更新連続11年

いわゆる「<a href="http://tsuruhara9linic.blog116.fc2.com/blog-entry-3846.html" target="_blank" title="間の日">間の日</a>」の今日、当ブログは連続投稿11年に到達。1日も欠かさず、11年間書き続けてきました。

もっと長期のブログも多数あると思いますが、写真無し文章のみの連続記録は、案外珍しいかもしれません。

誰かが新たに私の記録を追い抜こうとしても、私が書き続けている限りは誰にも抜くことはできません。

とは言え、当ブログもいつかは途切れることになるでしょう。その原因として想定されるのは、

(1)健康上の理由(病気、外傷、錯乱、昏睡、死亡など)

(2)技術的障害(Macの故障、通信障害、投稿サイトのシステム障害など)

(3)投稿不可能(拉致・監禁、天変地異、ミサイル直撃、日本沈没など)

(4)うっかり忘れ

(5)気力の喪失

(6)覚悟の上でのブログ終了

あり得るのは(2)で、怖いのは(4)です。いちばん正しい終わり方は(6)なのかもしれません。

そのためには、説得力のある理由を説明し、前もって終了日を告知する、いわゆる「出口戦略」が必要です。

たとえば、75歳になったらやめるとか(オイ、そこまでやるのか)。

<a href="http://tsuruhara9linic.blog116.fc2.com/blog-entry-615.html" target="_blank" title="なだいなだ氏">なだいなだ氏</a>の最終投稿は、亡くなったその日でした。そう考えると、(5)や(6)なんて甘いですかね。

「オヤジギャグ」その場限り

日頃、診療の合間などに、たまに「オヤジギャグ」を言うことがあります。オヤジなので。

聞き手からはさまざまな反応がありますが、大別すると次の3パターンになるでしょうか。

(1)「面白い!」

逆に辛いです。「ほめ殺し」です。どうかご容赦願います。

でも本心からの言葉なら、これはもう「天使的」対応ですね。オヤジ冥利に尽きます。

(2)「つまらん」

正しい態度です。なんならため息をつき、眉もひそめてください。

「つまらん。お前の話はつまらん」とフルコーラスで言ってもらえると、完璧です。

(3)「あ、もう一度お願いします」

いちばん辛くて恥ずかしい仕打ちです。真面目に聞き直さないでください。

オヤジギャグというのは「勢い」で言ってます。その場限りなのです。聞き取れなかったら、それまでです。

Wikipediaが「オヤジギャグ」について辛辣に解説している中で、次の記載を見つけました。

「思春期以前の特に男児はオヤジギャグを過剰なまでに好む傾向がある」

そう。ヒネリ皆無のベタなダジャレは、男の子が大好きなんですね。オヤジの脳って少年返りしてるのかも。

言語道断な発言は、失言にあらず

首相秘書官が、性的少数者や同性婚カップルを差別する発言をしたために、更迭されました。

このような発言は、その人の「本音」や「本性」が露呈したものであり、「失言」では済まされません。

「言語道断だ」と岸田首相は斬り捨て、報道番組の出演者もみな、苦々しい顔をして同じ言葉を使います。

そんな中、今朝のモーニングショーでパックンが「げんごどうだん」と言ったのを私は聞き逃しませんでした。

パックンって、英語はともかく、日本語はまだ私の方が上かもしれませんね。

「言語道断」は、本来は<a href="http://tsuruhara9linic.blog116.fc2.com/blog-entry-142.html" target="_blank" title="仏教語">仏教語</a>なので、前にも書いたように漢字の読みは「<a href="http://tsuruhara9linic.blog116.fc2.com/blog-entry-2433.html" target="_blank" title="呉音">呉音</a>」。「言」は「ごん」です。

いや最近は「げん」も許容されるのかも、と思って調べてみましたが、そんな「揺れ」は起きてないようです。

先程のパックンに続いて玉川氏が発言。あえてまた「言語道断(ごんごどうだん)」という言葉を使いました。

わざわざ正しい読み方で言ってみせたのは、パックンに、そっと誤りを気付かせる配慮だったのでしょうか。

でもそれに気づいたパックンは、もしかすると、顔から火が出るほど恥ずかしい思いだったかもしれません。

そう考えると、番組中では誤りを指摘せず、放送後にこっそり教えてあげるのが最上の策ではなかったのか。

いや、もしかすると玉川氏は、マウントを取ろうとして、あえて生放送中にそのような指摘をしたのかも。

ビル・ゲイツ氏の「読書ルール」

「天才ビル・ゲイツに学ぶ 読書を“血肉”にするための5つのルール」という記事を読みました。

(1)電子書籍ではなく、紙の本を読むこと

ゲイツ氏は、読書中にひらめいたアイデアを、本の余白にメモるそうで、それが紙の本のメリットだとか。

メモのほか、マーカーを引いたり、ページの隅を折ったりする人もいますが、ちょっとマネできませんね。

ざっと読んで情報を拾うのがネット、汚さず大切に読みたいのが書籍、という棲み分けが私にはあるからです。

(2)いったん読み始めた本は最後まで読み切ること

あらかじめ丁寧にリサーチし、最後まで読む価値があると思える本を選ぶそうですが、私とは真逆ですね。

書評やネット記事で目にした本を、私は即座にポチるので、自宅に届いた頃には興味が半分は失せています。

また、読み進むうちに最後まで読む価値があるかどうかがわかるのであり、買う前に予測など私には無理。

(3)読書をする際は、まとまった時間を取って集中すること

読書のために、少なくとも 1 時間は中断のない時間を確保すべきだとゲイツ氏は言います。

彼は忙しいからせいぜい1時間なのでしょう。私は半日ぐらい暇がないと、ゆっくり読書する気になりません。

一方で、旅先でスキマ時間に本を読むという、妙に格好を付けた行為自体は好きです。

(4)関心が強いテーマは複数の本を読むこと

たしかに私も時々やります。ある本を買うとき、同じ分野や同じ著者の本をついでに買ってしまいがち。

でもその3,4冊が手元に届くと私の物欲はすっかり満たされ、どの1冊をも読まない可能性すらあります。

たまに大型書店に行くと、テーマこそばらばらですが何冊も大人買いしてしまい、積ん読まっしぐらです。

(5)本を読んで考えたことをアウトプットすること

ゲイツ氏はブログで多くの本の書評を執筆しているそうで、最初から書評を書くつもりで読むのでしょう。

この考えは理解できます。私もたとえば芥川賞受賞作などは、そのような気合いで真面目に読みます。

書評というほどではないにしても、当ブログでネタにするつもりで読むだけでも、けっこう疲れます。

政治家は曖昧な表現を好む

「いま、国際情勢は、不安定化、流動化しています」

岸田首相は今夜の記者会見で、防衛力強化の必要性を説くための前提として、冒頭のように述べました。

「いま、国際情勢は、不安定で流動的です」

このように言った方が日本語としてはこなれていますが、敢えて堅苦しい表現を使いたがるのが政治家です。

「不安定に向かっている」という意味での「不安定化」なら、現時点ではまだ安定しているのでしょうか。

いやおそらくは、「すでに不安定だが、ますます不安定になっている」の意味なのでしょう。

「流動化」にしたって、「いまから流動的になる」ではなく「ますます流動的になる」という意味のはず。

政治家は何にでも「化」を付けたがります。

前にも書いたように、「加速する」と言わずに「加速化する」と言うのがいい例です。

「加速する」=「速度が増す」であるならば、「加速化する」=「加速度が増す」と考えるべきです。

つまり、実際に加速するかどうかではなく、今後加速する方向であるという間接的な表現なのです。

「化」をつけることで、何もかもが具体性や確実性を欠き、「前向きに善処」と同じ精神論になります。

言葉尻を曖昧にして言質を取られないような発言をするのは、政治家の性(さが)なのでしょう。

詐欺グループの日本語は、いつまでたっても完成度が低い

「ETCパーソナルカードWebサービス」から、「ETCに支払情報が変更」という件名のメールが届きました。

これはありがたい。おかげで今日のブログネタができました。

「ETCに支払情報が変更」

中華風な香りがしますね。続いて、どのような本文が待ち受けているのでしょうか、見ていきましょう。

「今日、ETCに支払情報が変更されたことが発見しました」

冒頭からいきなり違和感炸裂です。そうですか、発見しましたか。にしても「が」が多いね。

「お早めに当社までご連絡くださいませ、ご容赦のほど宜しくお願い致します。」

バカ丁寧なところには好感が持てますが、句読点の付け方がへたくそ。

「お忙しい中お邪魔して申し訳ませんでした」

惜しい、「あり」がない。いや、「オハヨゴザマス」的な今風の表現なのか、「モウシワケマセン」。

「ご本人認証下記携帯電話でQRコードをスキャンする確認ください」

もうちっと、ちゃんと書けや。騙す気あるの?

前から言ってますけど、日本語ネイティブの校閲者を雇うか外注した方がいいですよ、詐欺グループの方。

「接種します」の主語は何(誰)?

ワクチンを「接種する」と言いますけど、(1)一般の方と(2)医療従事者とでは、意味合いが真逆ですね。

(1)「明日、家族みんなでインフルエンザワクチンを接種します」

(2)「明日、約100人にインフルエンザワクチンを接種します」

動詞「接種する」には、(1)「接種を受ける」、(2)「接種操作を行う」の2つの意味があるわけです。

これらの主体(主語)を通常、(1)は被接種者(2)を接種者と言うので、(2)が正しい用法なのでしょう。

「接種する」は他動詞であり、被接種者としては「接種される」と受動態で使うのが本則かもしれません。

でも、「明日、家族みんなでインフルエンザワクチンを接種されます」とは言わないですねぇ。

いや、「昨日接種されたワクチンはめっさ痛かった」と、受け身のニュアンスを出したいときには使いますか。

似たような動詞に「手術する」があります。「胃を手術します」は、医者だけでなく患者も使います。

患者としては本来「手術される」はずなのに、自分の体をいわば客観視して「手術する」と表現するわけです。

「来週接種しましょうね」などと私も日常的に言ってますが、よく考えたらその主語は曖昧です。

このような、主語が自分でも相手でも同じ意味で使える動詞って、日本語特有かもしれませんね。