カルテとラテン語

迫ってきた「<a href="http://tsuruhara9linic.blog116.fc2.com/blog-entry-502.html" target="_blank" title="コンクラーベ">コンクラーベ</a>」ですが、その語源について、やはり触れておかなければならないでしょう。

ローマ法王の選出においては議場に「外鍵」がかけられて、枢機卿たちは外界と遮断され閉じ込められます。

「新教皇を決定するまでは、外に出てくるな」というわけです。その意味では「根比べ」です。

コンクラーベ(conclave)という言葉は、<a href="http://tsuruhara9linic.blog116.fc2.com/blog-entry-484.html" target="_blank" title="ラテン語">ラテン語</a>の “cum + clavi” から派生したもです。

英語風に書けば “with a key” で、「鍵がかかった」という意味になります。

このラテン語の ”cum” という前置詞を見ると、医師になって1年目の研修医時代を思い出します。

当時、九大第一外科では、カルテの表紙に記載する病名は、ラテン語で表記するのがキマリでした。

たとえば「胆石症」の場合。

日本語表記などは論外。英語で”Gallstone”と書いても、専門用語で”Cholelithiasis”と書いてもダメ。

“Cholecystitis chronica cum concrement” と書かなければ、教授回診のとき叱責を受けました。

英訳すると “Chronic cholecystitis with stones” でしょうか。「石を伴った慢性胆嚢炎」という意味です。

結石の無い「無石胆嚢炎」の場合には、”cum” のかわりに “sine” を使います。“without” の意味です。

“cum”にはなじみが無くても、”c”の上に横棒を引いて”with”の意味で使う記号は、医者がよく使います。

今日はどうも、あまり一般ウケしない話題でした。

否定と肯定

何かに対して否定的な人は、それに対して肯定的な人よりも、概して声が大きいものです。

一般に、肯定的な表現よりも否定的な表現の方が、語気が強く、インパクトがあるような気がします。

ならば、肯定的な意見を強調したいとき、あえて否定的に表現するのも、ひとつの作戦だと思います。

たとえば私は、複数のワクチンの同時接種を推奨していますが、これにはいまだに懐疑的な方もおられます。

<a href="http://tsuruhara9linic.blog116.fc2.com/blog-entry-387.html" target="_blank" title="同時接種を啓蒙">同時接種を啓蒙</a>する文章を、否定派の人にも読んでもらうためには、どんなタイトルにすればいいのか。

いろんなパターンを考えてみました。

(1)「同時接種は安全です」 普通すぎてインパクトなし。

(2)「同時接種はなぜ安全か」安全であることを前提にしてしまう。最近よく見かける、強引なパターン。

(3)「同時接種は安全なのか」否定派の興味を引きつつ、実際には肯定するという、巧妙な作戦。

(4)「同時接種は危険なのか」表現を裏返してみましたが、これはあと一歩か。

(5)「同時接種が危険な理由」危険だとする理由を列挙し、しかしそれらを科学的に否定していく構成。

私は(5)を採用しようと思います(いつ?)。インパクトがあって、肯定派も否定派も食いつきそう。

まず否定派の考え方に理解を示し、しかしその誤りを丁寧に説明する手法は、何にでも応用できそうです。

アイデア管理

私だけの特技でもないでしょう。誰でもつねに、何かしらのアイデアを次々と着想しているはずです。

しかしそれらを、記憶し、整理し、育て上げるためには、工夫が必要です。

思いついたことは、すぐに調べたり考えたりするのがいちばんですが、その時はなかなか時間がとれない。

いつか調べとこう、あとで考えよう、と先延ばしするうちに、何かを思いついたことさえ忘れてしまいます。

そのような「思考上の課題」とでもいうべきものを、どのように解決していけばよいのか。

私が到達した方法は、忘れないうちに書き留め、折に触れて反芻し、時機が来たらまとめる、というもの。

ごく当たり前のことですが、これをシステム化したところが、私の工夫と言えば工夫です。

まず、何か思いついたら、なるべく迅速に、紙かスマホかパソコンか、ともかくどこかにメモします。

これは可能なら、数秒以内に行います。10秒以上経過すると、アイデアはどんどんぼやけます。

私の<a href="http://tsuruhara9linic.blog116.fc2.com/blog-entry-184.html" target="_blank" title="短期記憶力">短期記憶力</a>の問題なのか、<a href="http://tsuruhara9linic.blog116.fc2.com/blog-entry-268.html" target="_blank" title="雑念">雑念</a>が多いのか、せっかく思いついても、たちどころに忘れてしまうのです。

紙のメモではすぐ散逸するので、できるだけ迅速に、クラウド上の特定のファイルに書き込みます。

実はこのファイルこそが、<a href="http://tsuruhara9linic.blog116.fc2.com/blog-entry-226.html" target="_blank" title="ブログ原稿ファイル">ブログ原稿ファイル</a>に他なりません。

書き込まれたアイデアを、ときどき眺め、調べたり考えたりしながら肉付けし、だんだんと膨らませます。

そしてそれなりの「まとまり」ができたとき、その結果発表の形がブログというわけです。

ファイルには、まだ日の目を見ないアイデアの断片が、数えてみると現在170件ほど蓄積されています。

「<a href="http://tsuruhara9linic.blog116.fc2.com/blog-entry-480.html" target="_blank" title="いつか書こう">いつか書こう</a>」と思っている「私の課題」でもあるのですが、そのほとんどはまだ、手つかずです。

例えば「Mr.ビーン引退」とか「ハングルと漢字」とか。どうやって料理すべきか、見当もつきません。

文書作成ソフト

公的文書を詳細に見ていると、タブやインデントの代わりに「スペース」を使ったものをよく見かけます。

あるいは、表計算が必要でもないのに「Microsoft Excel」で作られた文書も、しばしば見かけます。

そんなところに違和感を感じながらも、私自身の文書作成ソフトの使い方は適切なのか。考えてみました。

(1)ワープロソフト

印刷用や提出用の文書を作るときに使っています。

とくに論文などの長い文章を書くときには最適ですが、そもそも最近は長い文章を書かなくなりました。

(2)表計算ソフト

表計算を含む書類だとか、文書全体が表の場合に限り、私も限定的に使っています。

文や語句の頭揃え(タブ・インデント)のために使うのは邪道であり、それではあとで応用が利きません。

(3)テキストエディタ

Macを使う前、MS-DOSの時代には、MIFESというソフトを使っていました。

単純に文章を書くだけなら、テキストエディタがいちばんです。しかし下記の理由で、今は使いません。

(4)データベースソフト

紆余曲折の末、私が今いちばんよく使うのは、<a href="http://tsuruhara9linic.blog116.fc2.com/blog-entry-242.html" target="_blank" title="データベースソフト">データベースソフト</a>です。このブログを書くときもコレ。

あとで検索しやすいので、短い文章をたくさんまとめて保存するのにうってつけです。

完成した文章だけでなく、書きかけのものも、ただ思いついただけのアイデアでさえ、同時に管理できます。

私にとっては「過去に書いた文章」よりも、「いつか書こうと思うもの」の方が大事なのです。

パーセント

「安全性が1,000パーセント確認されるまでは運航させない」

ボーイング787の相次ぐトラブルを受けて、米運輸長官はこう発言しました。

1,000%なんて言い方をするのは、日本人だけだと思っていましたが、米国人も同じなんですね。

確認作業において、100%を越えるものは無いはずです。

1,000%の確認が存在するというのなら、日頃は10分の1しか確認していない、ということになります。

このような場合の100%を越える数値は、なにかを強調したいときの、誇張した比喩的表現です。

その数値が大きいほど「誇張度」が大きいことになります。

「100%」と言い切る自信がなくて、むしろ大きな数値を口にしてしまうのかもしれません。

何かを隠そうとして、思わず誇張してしまう場合もあるでしょう。

つまり、パーセントの数値が大きければ大きいほど、ウソっぽいと思わなければなりません。

たとえば橋下徹氏はかつて、大阪府知事選に出馬するのかと問われて

「20,000パーセント出馬はありません」

と答えました。いま思えば、これを即座にウソだと見破らなければなりませんでした。

むしろ、100%と言い切られた方が、よっぽどホントらしく感じます。

と思っていたら、一連の787トラブルの初期の頃に、ボーイングの開発責任者である副社長が、

「787は100パーセント安全だと確信している。私もいつも乗っている」

と発言していたようです。まさにその発言の後、トラブルが相次ぐことになりました。

根拠のない100%が、いちばんウソっぽい。

政治家のてにをは

政治家の演説を聞いていると、「てにをは」が気になります。「を」が多いのです。

たとえば先月、選挙結果を受けて、野田前首相はこう言いました。

「民主党の代表を辞任をいたします」

「を」が多い。どうしてこうなるのか。私の考えはこうです。

政治家は、言質を取られないために、言葉を選んで、区切りながらしゃべる癖があります。

それなのに失言が多いのは、また別の話。

区切るのは時間かせぎのためです。区切るためには「助詞」を付ける必要があります。その結果、

「民主党の、代表を、辞任を、いたします」

という、へんてこな文になってしまったのではないか。私はそう考えます。

「民主党の、代表の、辞任を、いたします」

これなら問題ないのですが、助詞の「の」が連続するので、無意識に「の」を避けてしまうのでしょう。

「民主党の、代表を、辞任、いたします」

書く文ならこれが普通ですが、話す文で「辞任」の体言止めは少し強すぎるので、抵抗があるのでしょう。

「民主党の、代表を、辞任を、することを、決意を、いたしました」

ときにはこんな感じの、くどい言い方も耳にします。とにかく政治家は「を」が多い。

元旦

あけましておめでとうございます。

今日ばかりは、ダイエットはお休み。朝からおせちとお屠蘇(ていうか普通の日本酒)をいただきました。

年賀状を確認し、出し忘れていた方への賀状を書いて、北郵便局にチャリで(飲酒運転)持ち込んで投函。

午後には、家族で両親宅に赴いて新年の挨拶をして、さらに健軍神社での初詣も済ませました。

ところで、毎年正月になるとモヤモヤすることがあります。それは「元旦」という言葉の誤用が多いこと。

「元旦」というのは「元日の朝」のことです。

ところがどうも、元旦を元日の意味で使う人や使われる場面に、しばしば出くわします。

「元旦は昼過ぎまで寝てた」なんて言うのはおかしいでしょう。昼はもはや、元旦ではないのです。

「元旦の朝はすがすがしい」なんて聞くとイライラします。「頭痛が痛く」なりそうです。

元旦という言葉は、きわめて限定的に使われるべきものなのです。

とか、えらそうなこと言う私ですが、年賀状には平気で「平成25年元旦」と書いて出しました。

それが、どう考えても元日には届きそうにもないような、遅い投函だったのに、です。

そこで来年は、「平成26年新春吉日」と書こうかと思っています。

ていうか、もっと早めに投函すればいいのかも。

是々非々

政治家って好きですね、この言葉「是々非々」。

他党との政策協議について質問されたときなどに、必ず登場します。「是々非々で対応します」と。

質問に対して具体的な返答を避けるために使われる、便利な言葉ですが、内容がありません。

「その都度判断する」「適正に対処する」「前向きに検討する」などにも似たニュアンスを感じます。

でも、語感が好きなので、いまマイブームです。家人に何か問われても、「是々非々」があれば万能です。

その語源をたどれば、「荀子 修身篇」だそうです。学校で習ったことがあるような無いような・・・

「是是非非謂之知、非是是非謂之愚。」という一節がその部分。

「是を是とし非を非とするのを知といい、是を非とし非を是とするのを愚という。」と訳すそうです。

つまり、「良いことは良い、悪いことは悪いと、道理によって正しく判断すべきである」ということです。

ところが政治家は、「ケースバイケースで考える」ぐらいの意味で、この言葉を使っている印象があります。

誤用と言うよりほかありません。

由緒正しい用例を求めて検索してみると、太宰治に突き当たりました。

「ロマネスク」の中で、喧嘩次郎兵衛を描写した部分。

「彼の気質の中には政治家の泣き言の意味でない本来の意味の是々非々の態度を示そうとする傾向があった」

太宰に言わせれば、政治家の使う「是々非々」は泣き言の意味のようです。

くまモンの発音

「くまモン」大人気ですが、最近とくに気になるのは、その「くまモン」の発音です。

すでに多くの方々が指摘しているように、そのイントネーション(アクセント)は人によって異なります。

(1)「低高高高」パターン:「ポケモン」「熊本」「ライオン」などと同じアクセント(平板型)

(2)「高低低低」パターン:「ピグモン」「仙台」「カマキリ」などと同じアクセント(頭高型)

(3)「低高低低」パターン:「ピロシキ」「福岡」「ヒマワリ」などと同じアクセント(中高型)

まずお断りしますが、「ピグモン」をご存じない方は、「仙台」でご理解下さい。

私などは絶対(1)だと思うのですが、テレビでよく耳にするのは(2)です。まれに(3)も聞かれます。

似たようなことで、昔から気になるのが「山口」です。

私は山口県出身です。こどもの頃からイントネーションは(2)でした。周囲もみな同じでした。

ところが、県外者の発音はたいてい(3)です。さすがに(1)は聞いたことないですが。

地名の発音は、現地人の発音を標準とすべきだと思います。

ゆるキャラの発音も同じでしょう。熊本は、地元の発音をしっかりアピールすべきです。

とか言いながら、ホントに(1)が熊本で主流なのかどうか、急に自信がなくなりました。

そこで念のため、熊本県庁の担当部署に問い合わせてみました。

すると、驚きの回答は「頭にアクセントがあります」・・・なんと(2)が「正解」でした。

とくに明文化しているわけではないそうですが、県ではその発音で統一しているとのこと。

ショックです。私の認識が誤っていました。

起承転結

学校で習った「文章の書き方」の基本は「起承転結」でした。

手元の新聞の「コボちゃん」を見ると、たしかに基本通りの展開です。

教科書的な文章の場合、「起承転」の部分まで読むと「結」が予測できることが多いです。

もはや「結」は不要なのでは? ブログのような短い文章の場合には、そういう展開もアリだと思うのです。

言ってみれば「起承転」です。その尻切れトンボな終わり方が、読者に余韻を与えます。

私のブログの文章は、必ずしも論理的に展開する構成ではありません。

文章の途中から、テーマがだんだんずれていき、ずれたままで終わることもよくあります。

この場合は「起承転転」です。その発散する終わり方が、読者にストレスを与えます。

文章全体のテーマやバランスを無視して、むしろ細部の表現に凝るのも楽しいものです。

山をテーマに書き始めたと思ったら、それを構成する木々の、そのまた枝葉の描写で終わったりします。

ちょっと面白いフレーズや気の利いた表現を思いついたら、どのようにしてそれを使おうかと考えます。

推理小説で言えば、先にトリックを思いついて、そのあとでプロットを作るような、そんな感じです。