推敲履歴保存法

ブログのような文章でも、それなりに<a href="http://tsuruhara9linic.blog116.fc2.com/blog-entry-223.html" target="_blank" title="推敲">推敲</a>を行って、誤字脱字はもちろん、表現や内容を修正します。

そしてさんざん修正したあとで、やっぱり前の方がよかった、と思うこともよくありますね。

こういう場合パソコンでは、簡単に「元に戻す(undo)」ができます。そこが手書きとは大違いです。

どんどん元のバージョンに戻っていくことができますが、しかし単に戻れば済むことでもありません。

例えば、A, B, C, D, Eの順に、改訂してきたとします。

やっぱりBのバージョンが良かったと思うなら、undoを3回行えば、Bまで戻れます。

しかし、Bが良かったけどDの表現も捨てがたいと思ったとき、それらを比較検討するのは面倒な作業です。

AからEまでのすべての表現が、同時に閲覧できる状態で保存されていれば、理想的な推敲環境といえます。

そんな理屈から、私は推敲中の表現のいろんなバージョンを、いちいち保存していくことにしています。

削除しようと思った語句があれば、それを削除せず、「カット」して文章の最後の方に「ペースト」します。

そうすると文末には、推敲履歴がずらっと並ぶことになります。

あとで見返して、やはり復活させたいと思う表現があれば、その部分をコピペすれば済むのです。

これはけっこう有用な文章作成法だと、私は思ってます。特許ものです。マネしてもいいですよ。

行幸

天皇皇后両陛下が「第33回全国豊かな海づくり大会」臨席などのため、昨日まで熊本に滞在されていました。

県民の悲願「くまモンと両陛下の歓談」も実現しました。

「くまモンはお一人なの?」と難問をぶつけてくる皇后陛下も、なかなかユーモアがおありのようです。

天皇の外出を「行幸」と書いて「みゆき」と読んだりします。

私の浅薄な知識の中からは、「今ひとたびの みゆき待たなむ」という百人一首のフレーズが出てきます。

熊本県の関係者もまさに、そのような気持ちだったのかもしれません。

なにしろVIP中のVIPですから、迎える方も盛り上がります。

ところで「みゆき」と聞くと、ある年齢以上の方は、テレビ番組「ミユキ野球教室」を思い出すでしょう。

スポンサーは服地メーカーの「御幸毛織」です。紳士だったら知っているブランドです。

それを何十年ぶりかで思い出し、検索してみたら、そのCMがYouTubeにありました。すっごく懐かしい。

この会社名の「御幸」って言葉は、「行幸」と同義語なんだろうかと確認してみると、違うみたいですね。

行幸は天皇に用い、御幸は上皇や法皇のときに使うようです。ほう。習ったかもしれませんが忘れてます。

ついでに、全国に「みゆき」と名のつく地名は、たいてい天皇の行幸にちなんだものだとのこと。

それならば熊本にもありますね、御幸笛田とか御幸木部とか御幸西無田町とか、あそこらへん一帯。

御幸小学校のホームページによると、この地名は、明治35年の明治天皇の行幸に由来するそうです。

行幸の際にある村で起きた心温まるエピソードによって、その村の名が「御幸村」に改称されたとのこと。

そのエピソードをここに書くと長くなるので、泣く泣く割愛します。

で、なぜ「行幸村」にはならなかったのか、というのが次の疑問。

ブログのネタ

「よくもまあ、次々と(しょうもない)ネタを思いつくものですね」

毎日ブログを書いていると、多くの方からこのような質問を受けます。

このうち( )の部分を口にする人はいませんが、心の中ではきっと、そう思っているのです(被害妄想)。

思いついたアイデアが、<a href="http://tsuruhara9linic.blog116.fc2.com/blog-entry-482.html" target="_blank" title="ブログのネタ">ブログのネタ</a>に結びつくかどうかは、それをどう膨らませるかにかかっています。

これは単に情報の肉付けをすることではなく、もっと興味の湧く別のことを見つけ出す作業です。

たとえばふと感じた疑問は、たとえどんな些細なことでも、なるべく早いうちに<a href="http://tsuruhara9linic.blog116.fc2.com/blog-entry-640.html" target="_blank" title="ネット検索">ネット検索</a>をします。

検索で引っかかったサイトをいくつか読むうちに、さらなる疑問に突き当たれば、それも調べ尽くします。

知識が深まり、裾野が広がるだけでなく、どうかすると脇道に逸れていきますが、それはそれでいいのです。

だから最初に感じた疑問など、単なるとっかかりにすぎません。最終的に落ち着く先は、次のいずれかです。

(1)当初の疑問が解決し、関連情報も得て、ブログ執筆に着手する。

(2)当初の疑問など忘れ、別の事柄に興味が移る。

実際のところ、ほとんどが(2)です。

私のブログ執筆の秘訣は、最初に思いついたアイデアや疑問の解決にこだわらないことかもしれません。

文章術の基本

「文章術」の本はあまり買いませんが、書店で目に留まると、立ち読みすることはよくあります。

それらによく書いてある「基本原則」を、私はあまり守っていません。たとえば次のような事柄です。

(1)「常体(である調)」か「敬体(ですます調)」かを統一すること

個人的には、常体の文章は無愛想で高圧的に感じます。だけど敬体で統一された文章はかったるい。

私自身は、敬体をベースに、常体もどきの「体言止め」を混ぜるのが好きです。

理由は2つ。文字数を減らすためと、文章を歯切れ良くするため。ちょうど、この行の文章がそれです。

(2)言葉やことわざは、その「原義」に忠実に正しく使うべき

でも私は、たとえ誤用でもそれが今風の解釈なら、敢えて誤用のまま使うことで今風の文章にしたい。

ある有名な文章術の本の中で、著者の竹内政明氏は、「こだわる」という言葉が嫌いだと言っています。

本来は「つまらないことに心がとらわれて、そのことに必要以上に気をつかう。拘泥する」の意味だと。

なのに「こだわりの食材」のような肯定的な意味での言い方は間違っているのだ、というわけです。

なんというか、柔軟性のないご意見です。竹内氏こそ、こだわっておいでなのでは?

文の長さ

文学作品は別として、情報を提供するのが目的の文章では、「文は短く」、これが基本でしょう。

このブログは原則として、ひとつの文が全角で50文字以下になるように書いています。

ブラウザ(MacのSafari)で見たときに、ちょうど一行に収まる長さが50字だからです。

それ以上の長さになると、文は途中で次の行に折り返されることになりますが、私はそれがイヤなのです。

短い文のくせに一行では完結せず、二行目に少しだけはみ出すという中途半端な長さが、とくに嫌いです。

なにかこう、不格好というか、未練がましい。どうせなら、文はその行で完結させたいと思いませんか。

以前は、二行にまたがる文を平気で書いていました。わざと長い文を、<a href="http://tsuruhara9linic.blog116.fc2.com/blog-entry-165.html" target="_blank" title="実験的に書いた">実験的に書いた</a>ことさえありました。

しかし最近は、こまめに改行するスタイルが定着しています。ま、ある意味「改行医」(おそまつ)。

なるべく長い文を、しかし一行に収めようとするものだから、文字数40〜50の文がやたら多くなります。

でも考えてみると、ケータイやスマホでこのブログを読まれたのでは、私の努力も水の泡です。

小さな画面で表示したら、50文字の文でも何度も折り返されてしまい、完全に美観を損ねることになります。

スマホでの表示を考慮するなら、すべての文を15字以内の短い文にしなければなりません。書きにくそう。

ペンネーム

まえに<a href="http://tsuruhara9linic.blog116.fc2.com/blog-entry-678.html" target="_blank" title="キラキラネーム">キラキラネーム</a>について書いたとき、私の名前「由一」について触れました。

読みは「よしかず」なのに、こどもの頃、初対面の友達からは「ゆいち」と呼ばれることが多かったです。

つい最近になって、「かず」というのが「一」の音読みだと知りました。これはちょっと意外でした。

つまり「よしかず」は音読み、「ゆいち」は訓読みなんですね。

有名な作家には、本名のを読み方だけ変えてペンネームにした人がいます。

私の好きな「<a href="http://tsuruhara9linic.blog116.fc2.com/blog-entry-286.html" target="_blank" title="安部公房">安部公房</a>」の本名は「あべきみふさ」だし、「松本清張」の本名は「まつもときよはる」です。

訓読みの本名を音読みに変えると、なんか芸術家っぽくなりますね。

だからもしも私が作家になったとき、ペンネームを「ゆいち」にしたら、逆の変化ということになります。

ところで、私が初めて自分以外の「由一」を目にしたのは、洋画家「高橋由一」でした。

これは画家になった後に名乗った名前だそうですが、読みは「ゆいち」。芸術家なのに訓読みです。

その次に目にした「由一」は、プロ野球選手の「髙木由一」。その次が、プロゴルファーの「横島由一」。

2人とも読みは「よしかず」です。

ほかに有名人はいるのかなと調べたら、美川憲一の本名が「百瀬由一(ももせよしかず)」でした。

私はこの「由一」を縦書きにしたときの、<a href="http://tsuruhara9linic.blog116.fc2.com/blog-entry-348.html" target="_blank" title="左右対称">左右対称</a>なところが気に入っています。

なので、名字まで左右対称な髙木由一氏がうらやましい。

星新一賞

「吾輩は猫である」を最後まで読み切れなかった私でも、星新一のショートショートは読みやすかった。

中学時代には、はまりました。SFだけど絵空事とも言えない、ちょっと考えさせらる物語が多いですね。

その名を冠した、日経「星新一賞」が、どういうわけか没後16年の今年になって、創設されました。

「『理系文学』を土俵に、アイデアとその先にある物語を競う賞」とのこと。その課題は、

「あなたの理系的発想力を存分に発揮して読む人の心を刺激する物語を書いてください」(一般部門)

「100年後の未来を想像して物語を書いてください」(ジュニア部門)

規定字数は10,000文字以内(ジュニア5,000文字以内)。応募締切は10月31日。むむ、あと3カ月足らず。

面白い。チャレンジしてみるか。そんな誘惑に駆られた「元少年」が、全国に何百万人といるはず。

そこで私も、まずは「準備」として、星新一を読みなおしてみることにしました。お盆休みもあるし。

ちょうど、1001話全作品を収録した豪華本があるではないですか。いつ買うのか、いまでしょう、ですよ。

で、Amazonから届いたんですけどね、その豪華本。でかい。1001話が、ぎゅうぎゅう詰めです。

お盆休みに読破するのは、どう考えても不可能。応募締切までに読み終えることさえ無理だと思う。

ていうか、読み終えたとしても、私が面白い物語を創作できる保証はまったくありません。

ですが、どのようなものであれ、1編は必ず応募しますので。言っちゃった。

キラキラネーム

「キラキラネーム」 まず、その呼び方がおかしい。

こどもの名前に、特殊な読み方をする漢字を当てることが増えているのは、職業柄よく知っています。

ただ、キラキラネームという呼称は、最近になって知りました。

名前が読みにくいと言うだけで、私は目くじらを立てたりはしません。個性的でいいじゃないですか。

「救急現場で名前を呼べなくて困る」なんて意見もありますが、本質的な問題とは思えません。

読みにくい名字だって、たくさんあります。

それよりも、その子が学校に行き、大人になり、一生その名前で生きていくことを、親は認識しているのか。

そこまで考えた上での命名なのか。それが大事でしょう。

漢字が難しいと、こどもが学校で苦労する、なんて言う人もいますが、名字の漢字だって同じことです。

私も低学年の頃は「つる原由一」と書いていましたが、ある時から「鶴」の文字を書くようになりました。

不格好に大きな「鶴」の字になってしまいますが、それ以来、「鳥」の付く漢字にも興味を覚えました。

私の名前の「由一」にしても、初対面の人から必ず正しく読んでもらえるとは限りませんが、かまいません。

さいわい日本語には「かな」があります。読み方を口で伝えれば、聞き手はそれを正確に書き留められます。

でも、例えば英語ではどうなんでしょう。耳で聞いただけの言葉を記録するとき、どうするんでしょう。

先週「<a href="http://tsuruhara9linic.blog116.fc2.com/blog-entry-97.html" target="_blank" title="刑事コロンボ">刑事コロンボ</a>」を観ていたら、ある人物のことをコロンボが聞き出すシーンがありました。

名前はどのようにつづるのかと尋ねられた相手は、わからないと返答。

コロンボは手帳に、なにやらメモってましたけど、つづりのわからない名前を、英語でどう書き留めるのか?

大型書店

最近行く頻度が減りましたが、本屋さんが好きです。本よりも好きかもしれません。

とくに大型書店では、いつまででも店内を回遊し続けたいぐらいですが、途中で足腰が悲鳴をあげます。

Amazonで本を探すと、関連分野の本をいろいろ紹介してくれるのだけど、役には立っても飛躍がない。

一方、書店をうろつき回ると、目的の本とは無関係の、書名や装丁に興味を引かれて手に取る本があります。

自宅近くに明林堂書店と紀伊國屋書店があるので時々行きますが、あと一歩、気持ちが高ぶりません。

たぶん、店のレイアウトとか品揃えに飽きたのでしょう。

街に出たときは、蔦屋書店とか喜久屋書店とかにも行きますが、店内構造的には、まるぶんが好きです。

まれに上京すると、ジュンク堂とかの超大型店舗には必ず立ち寄ります。もう、テンション上がりますね。

文筆家みたいに、10冊20冊まとめ買いして帰りたいところですが、旅行者なのでそれはムリ。

あとでAmazonで発注するつもりが、帰宅した頃には熱も冷めてしまっています。

衝動的に本を買わせるところも、大型書店の魅力なんでしょうね。

以前住んだことのある髙松では、本屋と言えば「宮脇書店」のことでした。

店の外壁に「本なら何でもそろう」というキャッチフレーズが大きく書かれているのは、比較的新しい店舗。

古い店には「本なら何んでもそろう」と書いてあり、見るたびに「ナンンデモ?」とつっこむのがお約束。

著作権70年

<a href="http://tsuruhara9linic.blog116.fc2.com/blog-entry-338.html" target="_blank" title="著作権">著作権</a>の保護期間が、権利者の死後50年から70年に延長される可能性が出て来ました。

欧米では70年が主流だそうで、<a href="http://tsuruhara9linic.blog116.fc2.com/blog-entry-528.html" target="_blank" title="TPP">TPP</a>交渉のために、日本もそれに合わせようというものです。

しかし本来、著作権は、その著作者に独占的利用権を与え、創作活動へのインセンティブを与えるものです。

死後の著作権が保護されたところで、もはや創作活動には反映されません。

故人の著作のおかげで、いい目をみている人や団体が、保護期間の延長を求めているだけの話でしょう。

70年はもちろん、50年でも長すぎると思います。

今回の件では、「青空文庫が一転曇り空」などと報じられています。座布団一枚。

「青空文庫」というのは、著作権が消滅した作家などの作品を、無料で読めるデジタル書籍(図書館)です。

夏目漱石とか太宰治とかの作品が代表で、もうじき没後50年を迎える三島由紀夫も解禁間近だそうです。

もしも保護期間が70年になると、三島由紀夫の著作権消滅が20年も延期されてしまいます。

それどころか、没後65年の太宰治の著作権が、復活するなんていうことはないでしょうね。

いやいや念のために、今のうちに、著作権フリーの太宰治を確保しておくべきでしょう。

そんなわけで、青空文庫の太宰治の作品を、全部ダウンロードすることにしました。

読むかどうかもわからないのにダウンロードするところが、いかにもセコいですけど。