四面楚歌

歴史ドラマというのは、その結末は周知の事実なのに、それでも最後に大きな感動を呼び起こします。

テレビの中国歴史ドラマ「項羽と劉邦」(WOWOW)全80話がついに、完結しました。

項羽の楚軍と劉邦の漢軍が戦った「楚漢戦争」の最終局面は、「四面楚歌」という故事成語でも知られます。

この言葉は「周囲を敵に囲まれ孤立した状況」という意味で使われますが、あと一歩しっくりきません。

なぜなら、楚軍をとり囲んだ漢軍が、楚軍を孤立させるために歌うとしたら「漢歌」の方が自然です。

しかし実際には漢軍は、夜更けの暗いときに、楚軍になりすまして楚歌を歌ったのでした。これは計略です。

項羽はその楚歌を聞いて、楚の兵たちが漢軍に投降したものと思い込んで、絶望したわけです。

「なりすまし」によって「思い込み」をさせるなど、現代の詐欺にも通用する手口です。

四面楚歌とは「周囲を敵に囲まれて孤立したと思い込んだ状況」というのが、故事に忠実な解釈でしょうか。

以前書いた「<a href="http://tsuruhara9linic.blog116.fc2.com/blog-entry-797.html" target="_blank" title="背水の陣">背水の陣</a>」もそうです。実際には、絶体絶命の状況に見せかけて敵を油断させる計略でした。

考えてみるとあの時代って、計略だらけです。

山を下る

「過去にさかのぼる」という言葉は、よく考えてみると不思議です。

「川をさかのぼる」と同様に、高い方に向かうイメージがあるからです。過去は上の方にあるのでしょうか。

たしかに、「時代が下って」などという表現もあります。

高い位置に過去があり、時は流れて下ってくるものなのでしょうか。

一方で、人も時代も前に向かって進んでいきます。「僕の前に道はない 僕の後ろに道は出来る」です。

これらを総合すると、未来は「前方」かつ「低い位置」にあると、そういうことになりますね。

つまり人生とは、どこかの山頂に生まれ、その山をだんだんと下り、平野を歩き回り、海に向かうものだと。

「人生は重荷を背負って山道を歩むがごとし」と言うと山を登る印象がありますが、実は下っているのかも。

もしも人生を「登山」に例えると、どのようなルートを辿っても、ゴールは山頂に限定されてしまいます。

しかし人生が「下山」なら、山を下りる方向、道の選び方によって、到達する平野もまるで異なります。

後者の方が、人生っぽくていいですね。

鼻毛鯖

鼻毛の生えた鯖を想像すると笑えますが、違います。「鼻毛鯖」は、インターネットスラングのひとつです。

電子掲示板などをたまに読むと、スラングが多くて意味不明なことがあります。

いつも目を通しているIT系の情報サイトでも、記事ではなくコメント欄に、ネットスラングが登場します。

パソコン関連の用語なので、決して下品ではありませんが、不可解な言葉にもよく出会います。

今日はそれが「鼻毛鯖」でした。「鯖」=「サーバー」は知ってます。では「鼻毛」は何を意味するのか。

検索すればすぐわかりますが、何でもネット任せでは思考力が鈍ります。まずは自分の頭で考えてみました。

「ほめぱげ(Home Page)」と同じパターンとすれば、「はなげ」=Han Age? 半歳? わかりません。

降参してググってみると、以前NTT-X Storeで売り出された、NECの「Express5800/S70」のことでした。

汎用性にすぐれたサーバー機で、格安だったため、あっという間に売り切れた人気商品だったようです。

発売の際に、オマケで、Panasonicの鼻毛カッター(ER-GN10)が付いてきたそうです。

それで「鼻毛鯖」と、そういう由来でしたか。別名「鼻毛」とも。もはや、オマケが残って本体の痕跡無し。

ネット住人の思考回路って、面白いですね。基本的に、何でも短くしたがるようです。

ちなみに私の愛用カッターは、もっとスリムでかっこいい「ER-GN20」ですけどね。どうでもいいですか。

音数律

雑誌やテレビ番組等で、よく川柳を見かけますね、サラリーマン川柳とか、ペケポン川柳とか。

その内容はともかく、日本人はどうして、「五七調」とか「七五調」が好きなんでしょう。

もっと広く言えば「音数律」という話になります。日本人は「5音」と「7音」が好きなんですね。

だから字余りの句を聞くと、どこかもどかしく、アンバランスな気持ちになります。

おそらく私は、一般の方よりもずっと、字余りに対して違和感や不快感を感じていると思います。

<a href="http://tsuruhara9linic.blog116.fc2.com/blog-entry-348.html" target="_blank" title="以前も書いた">以前も書いた</a>ように、奇数段の階段を登ると、足底にかかった圧力の非対称性が気になる人間なのです。

いつかこのブログを、音数律に則って書いてみたいと思いますが、これはなかなか難しいでしょう。

もしかすると、長ったらしい都々逸みたいになるかもしれません。

そういえば元日に、<a href="http://tsuruhara9linic.blog116.fc2.com/blog-entry-820.html" target="_blank" title="少々工夫を凝らしたブログ">少々工夫を凝らしたブログ</a>を書いたのですが、読者の皆さまには伝わったでしょうか。

「すべての行の文字数が同じ」というのも工夫のひとつですが、実はもっと別の「企て」があります。

それで思い出すのが、泡坂妻夫著の「しあわせの書ー迷探偵ヨギガンジーの心霊術」という本です。

読んだことのない方には、さっぱりでしょうけど、実に壮大な「仕掛け」が隠されていて、あっと驚きます。

ネタばらしはできません。でもこの本を書くのって、難しいけど楽しかったでしょうね。

ではいつか きっと誰もが 驚くほどの 仕掛けのブログ 書きましょう(都々逸風)。

星新一賞選考中

ご記憶でしょうか、日経「<a href="http://tsuruhara9linic.blog116.fc2.com/blog-entry-679.html" target="_blank" title="星新一賞">星新一賞</a>」のことを。応募することを宣言した、あの星新一賞です。

締切は昨年の10月31日でした。応募総数は、一般部門2,546作品、ジュニア部門511作品だったそうです。

現在、第2次審査が行われています。今月中に第3次審査に移り、最終審査は来月とのこと。

もちろん私も応募しました。まあしかし、ホントに締切ギリギリでしたね。今日はその顛末を聞いてください。

その日は木曜日。翌日は休み(休診日)。仕事を終えると、帰宅する時間も惜しんで、職場で執筆開始です。

もちろん、ある程度構想は固まっていたのですが、文章化が遅れていました。結末も未定でした。

それをわずか数時間で仕上げなければなりません。

夕食を買いに行く暇もありません。家人に連絡して、おにぎりと飲み物などを持ってきてもらいました。

なんとか書き上げ、応募サイトに原稿のアップロードを完了したのが、10月31日の23時59分50秒。

いやあ、ホントにきわどかった。疲れました。もう、バタンキューです。そのまま職場に泊まりました。

ソファーが寝苦しくて、何度も何度も寝返りを打っていると、夜中に物音がして目が覚めました。

次の瞬間、そっとドアが開き、懐中電灯の明かりが見えます。強盗なら、寝たふりを決め込んだ方が安全か。

しかしその明かりの主は「先生ですか?」と尋ねてきました。

セコムの警備員でした。夜中になっても警備システムがONになっていなかったので、見に来たようです。

「あ、いや、締切だったものですから」

このようなとき、いつも私は<a href="http://tsuruhara9linic.blog116.fc2.com/blog-entry-768.html" target="_blank" title="意味不明な返答">意味不明な返答</a>をしてしまいます。

流行語大賞

「史上最多、大賞が4つ」とか言ってますが、突出したものがなくて絞り込めなかっただけの話でしょう。

発表されて3週間過ぎた今頃になって、「新語・流行語大賞」を話題にするのも間が抜けていますが・・・

「<a href="http://tsuruhara9linic.blog116.fc2.com/blog-entry-605.html" target="_blank" title="今でしょ!">今でしょ!</a>」

使いやすいです。同じ予備校講師(古文担当)の「今日何度も言っておきます」も、私は好きです。

「お・も・て・な・し」

気恥ずかしい。ていうか、最後のあの合掌には違和感があります。日本人はあんな挨拶しませんけどね。

「じぇじぇじぇ」

連ドラ見てませんでした。なので意味不明。

「倍返し」

<a href="http://tsuruhara9linic.blog116.fc2.com/blog-entry-677.html" target="_blank" title="半沢">半沢</a>は続編にも期待してますが、原作がバカ売れしたため続編の結末がバレて、制作側も困っているとか。

私が選ぶなら「バナメイエビ」。早口言葉みたいに響きが面白いので。

流行語大賞は「現代用語の基礎知識」の読者アンケートを参考に、選考が行われるそうです。

現代用語の基礎知識と言えば、中学時代には、友達と図書室に行ってよく読んでました。

ある特定の用語のページ部分が、読み込まれてボロボロになっていたのを思い出します。

引っかけ問題

夜明け三時、ドアベルが鳴る。あなたの両親が朝食にやってきた。

家にあるのはイチゴジャム、蜂蜜、ワイン、パン、そしてチーズ。さあ、あなたが最初に開けるのは何?

ある方がFacebookで、このような「なぞなぞ」を出題しておられました。面白い引っかけ問題です。

間違えた回答者が多数いたなかで、私はわりと即座に、正解を思いつきました。

なぞなぞの「ひねり具合」と、私の「ひねくれ具合」が、ちょうど合致したのかもしれません。

私は物事を真正面からとらえるよりも、その側面とか、裏側とか、違う部分に目が行く性格なのです。

それはともかく、冒頭のなぞなぞについて調べてみると、ネットではけっこう有名な設問みたいです。

なぞなぞというのは「ひとひねり」してあって当たり前。いやもの足りない。

現代人には、冒頭のなぞなぞのように「2ひねり」してあるぐらいが、ちょうどいいのかもしれません。

しかし、多くのネット住人たちは、それでも満足しないようです。

まず、午前3時に朝食とはどういうことなのか。その設定自体を問題視する人がいます。

なぜ両親が来たとわかったのか。その部分にかみついて、答えにたどり着かない人もいます。

そういった「重箱の隅をつつく」ようなことは、私もけっして嫌いではありません。ていうか好きです。

「仏壇を開ける」とか「心を開く」なんてふざけた回答もあるようですが、これも意外と好きです。

気色ばむ

「猪瀬都知事が気色ばむ一幕もありました」と報道キャスターが冒頭に言うので、どれどれと見てみました。

たしかに、いつも努めて冷静に釈明している猪瀬氏にしては、思わず地が出たか、少しイラついていました。

しかしこれを「気色ばむ」などと表現するのなら、世の政治家の大半は、いつも気色ばんでいます。

それどころか、委員会の野党議員などはみな、激おこぷんぷん丸です(若者言葉を使ってみました)。

ところで「気色ばむ」の読み方ですが、標準の「けしきばむ」よりは「きしょくばむ」の方が私は好きです。

まず耳で聞いたとき、「けしき」からは「景色」をイメージしてしまい、「気色ばむ」の意味に合わない。

逆に「きしょく」からは「気色が悪い」を連想するので、ネガティブなイメージが「気色ばむ」に合います。

文字を読む場合でも、一字目の「気」を見た瞬間に「き」と読めてしまう。「け」ではなくて。

こういう風に、最初の漢字の読みに引きずられてしまう他の例を、ひとつ思いつきます。「重複」です。

「ちょうふく」が標準なのですが、放送以外の実生活では「じゅうふく」の方をよく聞きます。

おそらく、一文字目の「重」を見た瞬間、「じゅう」の方をイメージしやすいからでしょう、たぶん。

もっと気になるのは「気色ばむ」の「ばむ」の方です。またいつか、じっくり考えてみます。

背水の陣

テレビの中国歴史ドラマ「項羽と劉邦(全80話)」の今回、第64話は「背水の陣」を描いていました。

こういった<a href="http://tsuruhara9linic.blog116.fc2.com/blog-entry-223.html" target="_blank" title="故事成語">故事成語</a>が登場するたびに、中国の歴史の奥深さを感じます。

言うまでもなく「背水の陣」とは、川を背に布陣し退却できない形にして、決死の覚悟で戦うことです。

漢軍の韓信は、10万を超える趙軍との戦いにおいて、わずか1万の兵を、川を背に必死で戦わせました。

実はその裏で別働隊が、趙軍の幟を漢の幟に差し替えて、城を占領したかに見せるという裏工作をしました。

つまり背水の陣には、2つの意味があるわけです。

(1)自軍が必死に戦う

(2)敵軍を油断させる

さらに、後の時代に諸葛孔明は、敵に「何か策がある」と思わせるために、背水の陣を敷きました。つまり

(3)敵軍を牽制する

という新たな活用法を見いだしたわけです。これは韓信の故事を利用したハッタリです。さすが孔明です。

韓信が圧倒的に不利な布陣を敷いたのは(2)の意味があればこそ。(1)だけなら、ただのヤケクソです。

ところが現代の「背水の陣」は、(1)だけの薄っぺらな意味になってしまっています。

故事成語では、得てして表面的なところだけが受け継がれて、本質を見失っているようなことがあります。

じゃあ、ほかにどんな例があるのか、と聞かれると困りますが、調べときます。

ワープロ文書

手首の<a href="http://tsuruhara9linic.blog116.fc2.com/blog-entry-21.html" target="_blank" title="腱鞘炎">腱鞘炎</a>に苦しんでいた頃、毎日パソコンで書いている文章の多さが気になっていました。

<a href="http://tsuruhara9linic.blog116.fc2.com/blog-entry-379.html" target="_blank" title="当時">当時</a>計算してみたら、その文字数は1日あたり約2万字でした。ひと月に約50万字です。

文庫本1冊が10〜20万文字だそうなので、私は毎月、約3冊分執筆していることになります。

もっとも、電子カルテでは「コピペ」を多用しており、すべての文字を手打ちしているわけではありません。

一般にワープロでは、よく使う単語やフレーズは辞書登録してあり、最小限のキー入力で文書を作れます。

例えば当院のMacで「つる」と入力すれば、「つるはらクリニック」に変換されます。

考えてみると、ワープロ(パソコン)というのはずいぶん、文字入力作業の労力軽減に役立っています。

とくに「推敲しやすいこと」は、執筆活動において、手書きに比べて圧倒的に有利なところです。

ところが一方で、文筆家の中には、いまだに手書きで執筆している人もいます。

創作スタイルへのこだわりなんだろうなと思っていましたが、別の意義もあることを最近知りました。

それは「推敲しにくいこと」だそうです。

手書きの場合、頭の中で考えに考え抜いてから、文字にしなければなりません。まさに「一文字入魂」です。

そう言われると私のワープロによる創作活動など、まったく重みがなく、軽薄な感じがしてきます。

サラっと入力して、でも削除して、また打ち込んで、いじくり回して、だんだん変な文章になっていきます。