サンノゼ

「<a href="http://tsuruhara9linic.blog116.fc2.com/blog-entry-2800.html" target="_blank" title="WWDC2019">WWDC2019</a>」という、Appleの発表会(開発者イベント)が開催されたのは、サンノゼの会議場でした。

「<a href="http://tsuruhara9linic.blog116.fc2.com/blog-entry-2801.html" target="_blank" title="重大インシデント">重大インシデント</a>」を起こしたANA機が離陸したのも、同じく、カリフォルニア州のサンノゼ空港でした。

つまり過去2日間のブログは偶然にも、「サンノゼ」がらみだったというわけです(だから何?)。

サンフランシスコ湾南岸一帯を「シリコンバレー」といいますが、サンノゼはその中核都市のひとつ。

サンノゼにはCisco、その東のサンタクララにはIntel、隣のサニーベールにはYahooの本社があります。

その東のマウンテンビューにはGoogleの、南のクパチーノにはわれらがAppleの本社があります。

実はずっと以前から疑問でした。なぜ「San Jose」の綴りで「サンノゼ」と言うのか。

どうせスペイン語読みを踏襲したかなんかだろうと思い、ググりもしてきませんでしたが、今日ググりました。

違いました。スペイン語読みだと、むしろ「サンホセ」だそうじゃないですか。

米国人も、ゆっくり正確に発音する時は「サンホゼ」だったり、さらっと発音すると「サノゼ」だったり。

ま、こんなネット上の未確認情報の又聞きの受け売りをここで披露してもしょうがない。

もしかすると、日本語で言う「連声(れんじょう)」みたいなものかもしれませんね(素人の意見です)。

連声というのは、「観音(カン+オン→カンノン)」とか「天皇」とか「因縁」のような音変化のことです。

フランス語の「リエゾン」も、似たような発音規則ですよね(よく知らんけど)。

そしてどうでもいいけど、「リエゾン」と「連声」って発音もそっくり。連声ってリエゾンの当て字?

いつか米国西海岸に行くことがあったら、必ずサンノゼを訪れて、現地人の発音を聞いてみたいものです。

その時は当ブログで、受け売りではない私自身の調査結果をご報告します(10年ぐらいお待ちください)。

人一倍飲む

かつて「成人病」と呼ばれ、いまは「生活習慣病」ですが、本来は「生活悪習慣病」というべきでしょう。

その診療を行っている立場としては、自分自身の生活習慣に改善の余地があることを、苦々しく思っています。

いわゆる「休肝日」など、年に3日あるかないかというのが、つい最近までの私のアルコール摂取習慣でした。

ところが最近、次のように考えを改めたのです。「深酒をする予定があれば、その数日前から断酒しよう」と。

実はコレ、私がずっと続けている「1日1食生活」にも通じます。すなわち「楽しみの前の我慢」です。

明日2倍飲む予定なら、今日は断酒する。5倍飲むつもりの宴会があれば、その前の4日間は断酒しておく。

肝臓への負担等が、そのような単純計算で手当できるとは思いませんが、断酒しないよりはマシでしょう。

それに、4日断酒したあげくの5日目に5倍も飲めるはずがありません。結局、総飲酒量は減らせるのです。

そう言えば、「倍飲んだ」って言ったら、「2倍飲んだ」ってことですよね。つまり「倍=2倍」。

辞書(日国)を引くと、「一倍」とは「二倍の古い言い方」とあります。ちょっと考えると不思議です。

じゃあ、「1倍=2倍」ならば、数学的には「倍=0」となるのかというと、そういうわけでもありません。

たとえば「人一倍」という場合には、厳密には「人の二倍」ではないにしても、比喩的には二倍なのでしょう。

つまり「人一倍」とは、「人 + もう1倍」という、加算的な意味だと理解すれば腑に落ちます。

ちょうど楽天などのポイントでいうところの「2倍」が、「+1倍」の意味になるのと同じですね。

ブログ更新連続7年

毎日ムキになって書き続けている当ブログは、今日で連続更新(投稿)が7年に達しました。

「2013年以降では、当ブログの連続更新記録は、世界最長タイ記録です」

当たり前のことをエラそうに書くと、そうなります。この手の表現は、ときどき色んな人が使いますね。

「私は最年少の大統領候補ではないかもしれないが、最も若い女性大統領になるだろう」

ヒラリー・クリントン氏が大統領選に際して、年齢で不利だと言われる悪評を、このように喝破していました。

「上南部2丁目で小児科といえば、当院がいちばん評判が良いです」

当院しかないですからね、上南部2丁目で小児科やってるのは。なお「評判が悪い」にも置き換え可能。

さてさて、いったいあと何年書き続けられるでしょうね。

「毎日書く」のが苦しくなったら、「7日分の密度のブログを毎週1回書く」という手法で切り抜けようかな。

これはインチキじゃありませんよ。1回内服したら効果が1週間続く、骨粗鬆症の薬と同じ理屈ですから。

となると、「30日分の密度のブログを毎月1回書く」という戦術だってアリでしょう。

でもやっぱり、作文の宿題や日記のように、毎晩苦しみながら書くからこそ、逆に楽しいのです。

夜23時を過ぎてもブログネタが決まらないとき、たぶん私は半泣き状態になっています。

だから、23時59分台に無事投稿を終えたときの、その達成感がたまりません。

『妻のトリセツ』

話題の本『妻のトリセツ』(黒川伊保子著)を、焼肉店で順番を待つ間に読破しました。

グイグイ引き込まれるように読めた、と言うよりも、内容が少々薄っぺらなので、すぐに読めるのです。

「夫婦あるある」的な部分も多いのですが、その「ステレオタイプ」な記述がだんだんイヤになる本です。

そう思っていたら、黒川氏が監修したグリコの子育てアプリの宣伝サイトが、炎上しているそうですね。

利用者から「女性を馬鹿にしている」との批判が相次いだため、グリコはサイトを取り下げたとのこと。

報じられたそのサイトを見てみたら、「トリセツ」と同じ内容が書かれてるじゃないですか。

この本は女性からの批判が多いそうです。著者が男性だったら大ブーイングだったことでしょう。

男からすれば参考になる部分もわずかばかりありますが、女性がこれ読んだらイヤだろうなと思いますね。

ちなみにわが家では、家人はこの本を読もうとしません。「タイトルがすでに気に入らん」そうです。

性別でも血液型でも県民性や国民性も、ステレオタイプな見方は面白いですが、科学的根拠には乏しいもの。

納得できるものには「あるあるっ!」と賛同し、そうでないものは左へ受け流す(古い)程度のものです。

ある脳科学者は「男女の平均に差が出ることはあるが、個人差の方が大きい」と言ってます。まさにそれです。

面白おかしく書いとけばいいものを、説教じみて断定するものだから、私は読んでてむかついてくるのです。

でもそれって、どんな著述にも言えることですかね。・・・他山の石としましょう。

あ・らへん

女の子のお腹を触診しながら「どこが痛い?」と訊くと、「真ん中らへん」という返答。

若者言葉でよく耳にする「らへん」ですが、目くじらを立てるほど嫌いな表現じゃありません。

それが間違いなのはわかっています。

「ここらへん」=「此処等(ここら)+辺(へん)」を、「此処+らへん」のように誤解した結果です。

このように誤った解釈で言葉が変化する現象を「<a href="http://tsuruhara9linic.blog116.fc2.com/blog-entry-1601.html" target="_blank" title="異分析">異分析</a>」と呼ぶことは、前にも書きました。

異分析はたいてい、言葉の分かりやすさや使いやすさを追求した結果なので、しばしば親しみがもてます。

「等(ら)」と「辺(へん)」を重ねた「らへん」には、よりアバウトに表現しようという遠慮を感じます。

若い方に何かを尋ねると、「あ、○○です」と、冒頭にいちいち「あ」が付くことがありますね。

将棋の藤井聡太七段も時々、そのようなしゃべりをしているのをテレビで見かけます。

「ああそれは」を短縮した形の「あ」なのか、ワンクッション置いて答えようとする表現なんでしょうね。

若い人は敬語や婉曲表現に自信が無いので、それを補おうと、新表現を繰り出してくる傾向があります。

「大丈夫ですか」とか「よろしかったですか」などもみな、その範疇と言えるかもしれません。

冒頭の女の子に、腹部を押さえながら「痛い?」と訊いたら「あ、痛い」と、「あ」付き表現。

すかさず「誰に会いたい?」とツッコんだのですが、スルーされました。

ほぼほぼ大丈夫

聞いてて違和感のある言葉だった「ほぼほぼ」ですが、ほぼほぼ慣れましたね。

少々言いにくい言葉なのにどういうわけか広まっているのは、その語呂の面白さゆえでしょうか。

最初に聞いたときにはすぐ『ボボボーボ・ボーボボ』を思い出しましたが、この話は膨らませないでおきます。

「よろしかったですか」などの若者言葉にはいまだにムカつく私ですが、「ほぼほぼ」にはなぜか寛容です。

文法的に間違ってるわけじゃないし、なんなら自分でも使ってみたりもします。あくまで、わざと、ですけど。

わざと使ってるうちに自分の中で定着してしまうのは避けたいですが、ミイラ取りになるかもしれません。

似たような言葉でいうと、「まずまず」という表現が、「まず」と同様の意味で使われることがありますね。

このとき、「まず大丈夫」と「まずまず大丈夫」では、どっちがより大丈夫なのでしょう。

あるいは、「まあ元気」と「まあまあ元気」では、どっちが元気?

「まず大丈夫」=「90%大丈夫」ならば、「まずまず大丈夫」=「まず(まず大丈夫)」=「81%大丈夫」

数学的にはこのような感じで大丈夫でしょうか。

いやいやむしろ、繰り返すことで強調するというのが本来のはず。「まずまず大丈夫」の方が大丈夫なのです。

なので「ほぼほぼ」も、「慣れた」>「ほぼほぼ慣れた」>「ほぼ慣れた」、という順番ですかね。

「現代用語の基礎知識2018」にも「『ほぼほぼ』は『ほぼ』よりも確実性の高いときに使う」とありました。

ていうか、そんなことはほぼほぼ考えずに、ほぼほぼ「ノリ」で使ってると思いますけどね、世の人々は。

ゾフルーザ出番待ち

「新しいインフルエンザ治療薬『<a href="http://tsuruhara9linic.blog116.fc2.com/blog-entry-2346.html" target="_blank" title="ゾフルーザ">ゾフルーザ</a>』って、よく効きますか?」

最近そのように尋ねられたのですが、申し訳ありません、まだ一度も処方したことがないのでわかりません。

理屈や前評判ではなく、自分で処方してその効果を実感してみたいものですが、まだその機会がないのです。

医薬品の名称にはうるさい私ですが、「ゾフルーザ」は発音しやすいのに個性的で、ザ行の響きが良いですね。

「ノックアウト(XO)」+「インフルエンザ(influenza)」→「XOFLUZA」という命名法だそうです。

「XO」で「ゾ」と読ませるところがミソでしょうか。でも「XO」といえば、私がすぐに思い出すのは、

(1)ブランデー

XOとは「extra old」の意味。めっちゃ古い(=熟成年数がとても長い)、ってことですね。

VSOPよりもナポレオンよりも上のランクだと、私は理解しています。最近は、ほとんど飲まなくなりました。

(2)XO醤

この分野にうといので、解説不能です。名前の由来はブランデーのXOをまねたようですが。

(3)キサンチンオキシダーゼ(xanthine oxidase ; XO)

食物中の遺伝子成分に含まれる<a href="http://tsuruhara9linic.blog116.fc2.com/blog-entry-1148.html" target="_blank" title="プリン塩基">プリン塩基</a>、アデニンとグアニンが代謝されると、キサンチンになります。

そのキサンチンを酸化して尿酸に変える酵素がXOで、そのXOをブロックする薬が「XO阻害薬」です。

高尿酸血症の方の多くが、XO阻害薬(商品名「ザイロリック」など)を飲んでいます。

ザイロリックは「ザ」で始まるので、「Xa」なのかと思えばそうじゃなくて「Zyloric」。つまらん。

そういえば、カトリック教会の聖フランシスコ・ザビエルは、「Xavier」ですね。

山口市の母校(中学校)の正門前の丘(亀山)の中腹に、ザビエル(サビエル)記念聖堂がありました。

90年代に火災で焼失し、その後再建された新聖堂を、実はまだ私は見たことがありません。

山口にはもう、だいぶ行って(帰って)ないってことですね。

苦肉の策

9月29日のネタとして「苦肉の策」に触れるのは、意外にも、今回が初めてです。

その語源とされている、私の好きな三国志の名場面は、あえて身内を痛めつけて相手をだます計略でした。

偽りのいさかいによって激しくムチ打ちされた部下が敵に偽装投降し、敵陣内で放火を敢行した作戦です。

映画『レッドクリフ』でも描かれた「赤壁の戦い」の中のエピソードなので、結構知られている話ですよね。

投降が偽装であることを悟られないためには、次の条件が重要でした。

(1)ムチ打ちの刑に処されるまでの経緯が自然であること

(2)ムチ打ちの程度があまりにもひどく、敵に寝返ることが自然に見えること

(3)それらの一部始終を、敵のスパイが見ていること

つまり、偽装とは思えないほど重い刑罰を、敵のスパイに目撃させることが、成功の秘訣だったわけです。

身内(=肉)を苦しめれば苦しめるほど、敵はだまされるわけで、ムチ打ちのリアリティーがカギですね。

「苦肉の策」とは、それほどまでに味方を痛めつけることを前提とした計略なわけです。

なので「苦し紛れにひねり出した妙案」ぐらいの意味で「苦肉の策」を使うのは、厳密には間違っています。

苦肉の策とは、「自らを傷つけて相手をだまし、信用させて油断を誘うこと」とすべきでしょう。

その意味では今日のブログも、苦肉の策と言うにはおこがましい、単なる苦し紛れのダジャレネタです。

誤飲と誤嚥

「子どもがタバコを食べた」「オモチャを飲み込んだ」などという電話相談を、ときどき受けます。

毒物か、腐食性があるか、尖っているか、そしてお子さんの様子はどうか。

誤飲・誤食したモノの内容や子どもの病状によっては、日赤などの救急病院に直行していただきます。

子どもが口にするモノは、さまざまです。保護者の方におかれましては、くれぐれもご注意ください。

「誤飲」「誤食」「誤嚥」の3つの言葉は混同されやすく、そもそも、厳密な定義があるのかも疑問です。

昔は、これらの意味をひっくるめて、広い意味で「誤嚥」を使っていたような気がします。

しかし最近では、「誤嚥」は「飲み込むべきモノを誤って気道に吸い込んでしまうこと」の意味で使います。

その一方で「誤飲」は、「飲み込んではならないモノを誤って嚥下してしまうこと」です。

つまり、誤って嚥下してしまったのが「誤飲」で、ちゃんと嚥下できなかった場合が「誤嚥」です。

日本語的には、しっくりきませんね。

「飲み込む(=嚥下する)」ことを英語で “swallow” といいますが、「ツバメ(燕)」も “swallow” です。

当然、両者は同語源かと思いきや、そうでもない。スペルが同じなのは、偶然の一致のようですね。

中学生時代に、スズメの “sparrow” と、ツバメの “swallow” を、私はよく混同していました。

で、私なりの覚え方。「進め!、じゃないのが、座ろう!」

さくらももこ氏死去

「さくらももこの訃報を目のあたりにして『神のちから』(さくらももこ 小学館)を引っ張り出した」

週刊文春の『私の読書日記』欄で、三上延氏がそのように書いていたので、私も引っ張り出してみました。

『神のちから』が書斎にあることは、わかっていました。震災後の片付けの時に、目にした記憶があるのです。

では、どこにあるのか。メインの、作り付けの棚ではありません。そこは今、スコッチが占領してますから。

古い(購入して20年以上を経た)本ばかりを収納した、いちばんへんぴな書棚を探してみます。

はたして、前後に重なった本の後ろ側のいちばん日の当たらない場所に、その『神のちから』はありました。

まあ、もともと書斎自体に日は当たりませんけどね。窓は小さい上に、シャッターを下ろしてますから。

あらためて読むと、ひどくシュールですね。四半世紀ぶりに読んだのに、ほとんど内容を覚えていました。

とくに私が好きなのが『<a href="http://tsuruhara9linic.blog116.fc2.com/blog-entry-1769.html" target="_blank" title="それていくかいわ">それていくかいわ</a>』です。当ブログの読者なら、お分かりいただけるでしょう。

『神のちから』に収録されている最後のエッセイは、「こんすたんちのーぷるのおもいで」です。

それは、「まだ見ぬ土地、コンスタンチノープルよ、さようなら。おなら。」で締めくくられていました。

そのシュールさは、私にはとうていマネできません。『ちびまる子ちゃん』とのギャップも、なかなかです。

53歳という若さで、さくらももこ氏の命を奪ったのは「乳がん」でした。

息を引き取る前の最後の言葉は、「さようなら、おなら」だったかもしれません。