量子力学

ヒッグス粒子とかの話題が出ると、私の中の理系の血が騒ぎ出します。

すると必ず手を出すのが、相対論や量子力学の本です。

そしてそのたびに、それが私にとって、やっぱり理解不能な学問であったことを思い出します。

たとえば量子力学は、「不確定性原理」とか「光量子仮説」の理解から始めなければなりません。

しかし私がわかっているのは「原子や素粒子の挙動は確率分布によって理解する」ということぐらいです。

「シュレーディンガーの猫」という話があります。

量子力学を理解するための、有名なたとえ話です。

箱の中にラジウムと猫が入れられていて、放射線が出たら猫が死ぬような仕組みにしてあるという妙な設定。

ラジウムの状態は、放射線を出す状態と出さない状態の両方を、重ね合わせた状態であると解釈します。

ならば猫の状態は、死んでいる状態と生きている状態の両方を、重ね合わせた状態である、と。

半死半生?

そんなことを考えていたとき、突然思いついた言葉が、「漁師力学」 

このひらめきには、思わず膝を打ちました。

ところがググってみたら、すでにたくさんあります。みな考えることは同じですね。

あるサイトで目にした記述。

「漁師力学において、魚群がどこにいるかは、網を入れてみないとわからない」(魚群不確定性原理)

こういうパロディーを、まじめに考えるのって、楽しいですね。

で、もう一つ思いついたのが「早退論」

これもなかなか良いのでは? もちろん相対論のパロディーですよ。

こんどはググっても出てきません。もしや私がオリジナル?

う〜ん、確立してみたいですね、早退論。もちろん特殊と一般で。

ヒッグス粒子

ヒッグス粒子が「発見」されました。

こういうニュースを聞くと、にわか素粒子物理学ファンになってしまいます。よくわかってないのに。

ヒッグス粒子は、ビッグバンの100億分の1秒後、宇宙が1000兆度まで冷えた頃に「発生」したのだとか。

他の素粒子に「水アメのように」まとわりついて、万物に質量を与えているのだそうです。

それから137億年。

いまや私の腹まわりにも、無数のヒッグス粒子がまとわりついて、質量を与えてくれています。

すべての物質は、陽子、中性子、電子の3つの素粒子によって構成されていると、かつて学校で習いました。

これ以上分割できない最小単位だと。

ところがその後、その陽子や中性子も、さらに小さな「クォーク」から構成されていることが判明。

それどころか、クォーク以外にも素粒子が次々と出てきて、もう理解するのを諦めていました。

今回のヒッグス粒子は、17番目の素粒子だそうです。

ちょっと目を離している間に、ずいぶんと増えたものです。

17番目にして最後の素粒子だといいますが、どうして今回が最後だとわかるのかがわかりません。

ちなみに、わからないことの総本山は、やはり「宇宙の始まり」でしょうね。

主流の学説によれば、ビッグバンの前、宇宙はある1点から始まったそうです。

点なので体積はゼロ、密度は無限大です。

その点の周囲には何があったのか、なんてのは愚問ですね。

雨量計

まぁそれにしても、よく降りますね。

雨どいの出口から、とめどなく雨水が溢れ出てきます。

配管の途中にタービンかませたら、そこそこ発電しそうな勢いです。

中学校の頃、校舎の屋上の、階段室のそのまた上に、雨量計が設置されていました。

本来登ってはならない場所ですが、私は友人の江藤君とそこに登ったことがあります。

雨量計を見るためです。2人とも「気象好き」だったのです。

これが結構面白い装置でした。

直径20cmぐらいの円筒の下が漏斗状になっていて、その下にます(水受け)があります。

ますは2個つながっていて、全体でシーソーのような形になっています。

一方のますに「ある分量」の水が入ると、バタンと下がって水を排出、もう一方のますが漏斗の真下に来る。

雨が降ればシーソーが「パタンパタン」と何度も動き、「パタン」の回数によって雨量がわかるわけです。

さらに面白いのはここから。

シーソーの中央部分には密閉された容器が接続されていて、中に水銀が少量入っていました。

「パタン」のたびに密閉容器の傾きが変わり、水銀の玉が容器内を行ったり来たりするようです。

その容器の中心部に、2つの電極が飛び出しています。

「もしや水銀がスイッチ?」

そうなのです。水銀が電極部分を通過するたびに通電し、そのパルスが記録計に送られる仕組みなのでした。

理系心をくすぐるこのメカには、当時おおいに感動したものです。

環境への配慮のためか、今の雨量計には水銀スイッチは使われていません。

メカとしての面白さが半減しましたね。

光よりはやいもの

「世界で一番はやいものは何と思う?」

ニュートリノではありません。世界中を騒がせた実験結果は結局、誤りでした。

思い出すのは、小学校時代の中村A君です。

彼がある日、冒頭の質問をしてきたのです。「世界一はやいものは何か」と。

私は即座に「光」と答えたのですが、彼はしたり顔で首を横に振り、「神経」と言い放ちました。

彼の説明によれば、右手で左手を触ったとき、その瞬間、左手がそれを感じているからだと。

「絶対違う」と、その時は思ったのですが、うまく反論できず、中村君は勝ち誇ったようにしていました。

私はどのように反論すべきだったのか。あれから40年以上、折に触れてそのことを考えてしまいます。

人間の神経を刺激が伝わるスピードは、毎秒1~100メートルだから、というのはダメです。

小学生にもわかるように説明しなければなりません。

右手で左手を「触ったとき」と、左手がそれを「感じたとき」の両者を、よく吟味してみます。

「触ったとき」というのは、左右の手の接触を目でとらえ、それが神経によって脳に伝わった時です。

「感じたとき」というのは、左右の手の接触を手で知覚し、それが神経によって脳に伝わった時です。

両者が同時であっても、それは、目から脳までの神経の伝達時間と手から脳までの神経の伝達時間が同じ、ということにしかなりません。

ああ、そう言えばよかったのか。

そもそも前者では、接触の様子が、光によって手から目まで伝わる時間が無視されています。

その時間が無視できるほど光ははやい、という前提がすでにあるわけです。

本当のツッコミどころはそっちなのかもしれません。

6月10日

「6月10日」というタイトルの作文を書いたことがあります。中学生のときです。

その内容は、小学6年のときの6月10日に起きた事件についての思い出でした。

今から40年前の話ですが、脳細胞に活を入れながら、思い出してみます。

断片的な記憶で書きますので、中途半端な終わり方をするかもしれません。

当時、電子工学に興味があった私は「科学クラブ」に所属していました。

活動場所は理科室。

顧問の先生の名前は、忘れました。ややご高齢の理科の先生で、アマチュア無線の愛好家でした。

私を含めてほとんどの部員は、ラジオの作製とアマチュア無線の免許取得のための勉強をしていました。

しかしそんな中で、ひとり、化学実験ばかりやっている男がいました。

原君です。彼のお父さんは国鉄マンでした。

その日私は、いつものようにラジオのパーツをハンダ付けしていました。

一方原君は、水素ガスを発生させてそれを燃焼させるという実験をしていました。

多量に集めた水素ガスに、原君が着火した、まさにその時、爆発が起きました。

フラスコなどのガラス器具が粉々に割れて飛び散り、原君は顔などにケガをしました。

爆発音は、給食室にまで聞こえたといいます。

(追記)

中途半端すぎたので、後日談を。

私のラジオは、卒業までには完成しませんでした。

アマチュア無線の免許もとれず、その後興味も失せました。

後日談も中途半端。

光格子時計

人類は原子時計でもまだ満足できないのか、さらに上を行く精度の、光格子時計なるものが開発されているようです。

誤差100億分の1秒を目指しているとのこと。

2019年の国際度量衡委員会で「秒」の再定義がなされる際、原子時計にかわって光格子時計が新しい基準になる見込みだそうです。そうですか。

原子時計が、現在の国際標準時(協定世界時)の基準になっていることは、<a href="http://tsuruhara9linic.blog116.fc2.com/blog-entry-183.html" target="_blank" title="以前にも">以前にも</a>書きました。

では、実生活において、原子時計は「直接的に」役立っているものではないのでしょうか。

「クオーツではだめなんですか」と蓮舫氏風に思う方もいるでしょう。

実は、大いに役立っているのです。よく知られているものでは、GPSがそうです。

GPS衛星は、地上2万キロ以上のところを回っています。

みな、原子時計を積んでいて、正確な時刻情報電波を地球に向けて発信しています。

カーナビやスマホは、複数の衛星からの時刻情報のわずかな差を計算して、位置を正確に割り出しているわけです。

だから、クオーツ程度の正確さでは、ダメなんです。

となると、将来もっと科学が進歩すれば、いずれ光格子時計の出番が来るのでしょう。

そのとき「原子時計ではだめなんですか」と言うようでは、ダメなんでしょうね。

金環日食

熊本では部分日食でしたが、それすらも、天気が悪くて見えませんでした。がっかりです。

ところで、今回の金環日食を機に再認識した、いくつかの科学的事実があります。

「大きさがまったく異なる天体なのに、太陽と月は地球からの見かけの大きさがほぼ同じ」

偶然にも、太陽と月の距離の比率と直径の比率がだいたい同じということです。

だから皆既日食もあれば金環日食も楽しめる。

でも太陽はやがて赤色巨星となって膨張するので、その後は金環日食ばかりですね。

「月食は満月の夜に、日食は新月の昼に起きる」

残念ながら、半月とか三日月は月食にはなりません。なったら形が面白そうなんだけど。

「新月は、目に見えないだけで、毎月空には昇っている」

たまたまその後ろを太陽が通過したときに、影となった新月が見え、人はそれを日食という。

つまりわれわれは日食のとき、突如出現した新月に驚いているようなものです。

だから、日食の主役って、月なのでは?

そこで、その主役である、日食時に見える黒い月のことを「影月」と命名してみました。

念のため調べたら、月食のとき、月が地球の半影に入った状態を「半影月食」というらしく、この4文字の中に「影月」が含まれています。

まぎらわしいので「影月」はやめて、「陰月」でどうか。

と思ったら、これは旧暦4月の異称とのこと。じゃあ「暗月」ではどうだ。

調べたらこれ、新月と同じ意味でした。だから日食時の月の呼び名としても、うってつけかも。

日食と邪馬台国

金環日食を前に、期待が高まっています。

古代の人たちはこのような現象を、どう思って見ていたのでしょう。

もしも皆既日食だったら、もはや天変地異以外の何ものでもなかったでしょう。

きっと、後世まで伝えられていくはずです。

天照大神(あまてらすおおみかみ)の「岩戸隠れ伝説」が、まさにそれではないかという考え方があります。

天照大神が天岩戸に隠れると世の中は暗黒になり、再び外に出たら世界が明るくなった、というのが古事記や日本書紀にかかれた有名な伝説です。

伝説には元となった史実がある、と考えると、この話が皆既日食を表している可能性があるのです。

古代の日本では、西暦247年と248年に北部九州で皆既日食が起きたことが、天文学的に裏付けられています。

ところが魏志倭人伝によると、邪馬台国の女王卑弥呼が死んだのが、西暦247年または248年とされているので話が面白くなります。

ここに「天照大神=卑弥呼」説が浮上し、さらに「邪馬台国九州説」が有力となるわけです。

魏志倭人伝の解釈や日食の計算には異論もあるようですが、九州人としては、この説を推したい。

それを確認すべく、インターネットで過去の日食の正確なデータを調べてみました。

北海道大学のサイトで、過去5000年間の日食情報をすべて表示してくれるページを見つけました。

調べたい年代を入力すれば、日食が見られたエリアや時間帯が詳細に表示されます。

247年と248年の日食を見てみると・・・なんと、皆既日食エリアが九州とは微妙にずれている!

調べなきゃよかった。

うるう秒

「うるう秒」の7月挿入が決まりました。3年半ぶりです。

<a href="http://tsuruhara9linic.blog116.fc2.com/blog-entry-173.html" target="_blank" title="このまえ「うるう年」のことを書いた">このまえ「うるう年」のことを書いた</a>ばかりなのに、どこまで「うるう」が好きなんですか、とつっこまれそうな話題です。

時刻というものは本来、人の生活リズムの根幹となる太陽の運行、つまり地球の自転によって決めるものです。

ところが厳密に計測すると、地球の自転周期がふらふらしている。

そこで、原子時計で「時間を再定義」し、世界中に複数設置されている原子時計のの平均時刻をもって、「国際原子時」が定められたわけです。50年以上前のことです。

原子時計は、ひたすら正確に時を刻んでいるのですが、一方で地球の自転周期は、だんだんと長くなっている。

そこで、ときどき「うるう秒」をはさんで時刻を遅らせて微調整する必要が出てきた。

このようにして修正されたものが世界標準時(「協定世界時」)です。

現時点で、協定世界時はすでに、国際原子時よりも34秒遅れているとのこと。

今年の7月1日の午前9時(日本時間)からは、これが35秒遅れになるわけです。

私の疑問は、うるう秒の頻度です。

70年代から90年代までほぼ毎年挿入されていたのに、1999年以降は現在までたったの2秒だけ。

潮汐摩擦がおもな原因とされる、地球の自転周期の遅れは、理論上は遅くなる一方のはず。

なのにうるう秒の頻度が減るのはなぜなのか。

自転速度の遅れを減らす因子が作用しているとすれば、それは何なのか。

マントル対流の影響? 私の知識ではよくわかりません。

人工衛星打ち上げの影響? たいてい東向きか南北向きに打ち上げられているそうなので、自転を遅くすることはあっても速めることはなさそうです。

ただしイスラエルだけは、人工衛星を西向きに打ち上げているとのこと。どうやらこれが怪しい。

ヘンな夢

「大きくなったら火星人になりたい」と言えばそれも「ヘンな夢」ですが、今日の話は眠っているときみる方の「夢」です。

私の場合、夢は全部ヘンです。

時間的・空間的に脈絡が無いストーリー展開は、覚醒時にはとうてい着想できません。

夢には、情報を整理して記憶を定着させる働きがあるといわれています。

ならば昨夜私がみた夢において、どのような情報整理が行われたのか。

【物語】

私は、知人のD先生の診療所で、手首の電気治療を受けていましたが、ベッドの上に立ったままです。なぜならそのベッドでは別の患者さんが診察中だから。わたしは自転車で仕事に出発。ところが鶴屋百貨店の角でカバンを忘れたことに気付き、店員さんに自転車を見てもらっている間に、あわてて徒歩で帰宅。実家の勝手口を開けると先ほどの患者さんがまだ診療中。

こんな感じの、オチも何もない話です。

【分析】

そももそD先生は整形外科医ではない。彼とは最近「飲み会」してないことを思い出しました。

私の腱鞘炎と五十肩は、完治ではないけど寛解状態。なので整形外科通院をサボっていましたね。あと1カ月ぐらいリハビリを受けた方がいいのだろうけど。

ウチのクリニック、胃腸炎流行期などには、点滴のためのベッドが足りなくて困ってます。まさか同じベッドで二人の治療はしていませんが。

2年前に引っ越してから自転車通勤はしていません。運動不足です。痛いトコ突かれました。

先日すごく久しぶりに鶴屋で買い物をしました。最近カバンも買いました。

数年前に自転車で新市街のベスト電器に行ったとき、店の前の歩道に自転車をとめたら、巡回中のおじさんにすごく怒られました。しょうがなく店内の空きスペースに自転車を持ち込み、店員さんにみてもらったことがありました。

昨日、実家の親がミカンをくれました。子供の頃、冬にはいつも実家の勝手口にミカンの詰まった段ボールが置いてあったなぁ。

いろんな情報が、整理されたようです。