コロナ禍4年

1月15日の今日は、新型コロナウイルス感染症の国内初感染が4年前に確認された日として報じられています。

未曾有のパンデミックに襲われて、この4年で世界は激変しました。

最初は感染の恐怖におののき、医療従事者としての責任をどのように果たすべきか、私の苦悩も始まりました。

社会は極度に自粛し、沈滞し、子どもたちの行事はみな中止となり、私も経営上の不安にさいなまれました。

当ブログの、過去の1月15日投稿分の冒頭の一文を列挙してみます。

2020年「インフルエンザは少し下火にも見えますがまだ油断はできません。それにB型が現れ始めています」

4年前の今日の私の関心事はまだ、例年と同様にインフルエンザでした。

2021年「東京や大阪だけでなく、熊本での新型コロナ用病床のひっ迫も緊急事態です」

当院も発熱外来を始めましたが、医療従事者として責任を感じる一方で、恐怖感と不安感が強かった時期です。

2022年「市販の新型コロナ抗原検査キットで陽性だった」という方が、発熱外来の受診者の中に時々います」

発熱外来に忙殺され、例の「HER-SYS入力」に振り回されている時期でした。休める日がありませんでした。

2023年「高橋幸宏さんが亡くなりました。脳腫瘍で闘病後の誤嚥性肺炎だったようです。まだ70歳でした」

そうでしたね。この頃はもう、世の中の感染者が多くてもコロナ以外の話題を書くことが増えました。

そして2024年。コロナを「総括」するには早すぎます。感染者が多くて現場はまだ「コロナ禍」中なのです。

Facebookの友達申請が増えてます

当院では「つるはらクリニック」という「Facebookグループ」を立ち上げています。

メンバーは、当院職員および元職員です。

投稿内容は、当ブログへのリンクと、あとは私の航空旅行など日記に毛の生えた程度の記事です。

それ以外には、医師のグループとANA好きのグループの2つに参加していますが、あまり投稿はしていません。

ときどき友達申請もいただきますが、最近増えている印象です。

知ってる人ならすぐOKする場合もありますが、知らない人からの申請がほとんどで、みな全員若い女性です。

そのような方の場合、友達申請する理由等をメッセージで送ってくれない限り、友達にはなりません。

ときにはメッセージをくれる方もいますが、日本人にしては日本語がこなれていません。何か怪しい。

海外生活が長い方が含まれているのかもしれませんが、どうしても疑わざるを得ません。

Facebookの仕様として、自分のパスワードを忘れた場合、3人の友達に認証してもらうことができます。

逆に言うなら、3人の友達から共謀されたら、自分のアカウントが乗っ取られるということです。

なりすましアカウントの3人からの友達申請を承認してしまうと、大変なコトになり兼ねないわけです。

いまはもう、その仕様は改善してるんですかね。Fecebookのセキュリティ設定って、分かりにくいです。

なので、知らない友達は承認していません。友達が何千人もいる方を見ると、他人事ながら心配になります。

一方通行の年賀状が、行ったり来たり

「年賀状じまい」をする旨を記した年賀状を、何枚か受け取りました。

私はできるだけ、目上の方にはたとえ疎遠になっていても、年賀状ぐらいは送り続けたいと考えてきました。

また後輩であっても、相手から毎年年賀状が来る限り、こっちからも送ろうと続けてきました。

しかし今回、過去2,3年連続で私からの一方通行(私が出すのみ)の方には、賀状を出しませんでした。

「既読スルー」を続ける方は、「もう出してくれるな、返事は書かんぞ」という思いなのかと考えたのです。

徐々に賀状を出す相手を減らそうと、ある意味「段階的年賀状じまい」をしようと考えているのであろうと。

であるならば、こちらから一方通行の賀状を出し続けていては、相手に要らぬストレスを与えるばかりです。

というわけで、たとえ目上の方でも、今回からは相手の意志をおもんばかって、賀状を出すのを控えました。

ところがです。過去2年以上賀状を送ってこなかった方の何人かが、今年久々に賀状を送って来られたのです。

おそらく先方は、3年連続で私を無視するのは心苦しいので今回は出そうかと、そう考えたのかもしれません。

その結果、これまでずっと私からの一方通行だったのが、今年は先方からの一方通行になってしまいました。

しかし、ここで私が慌てて返信したのでは、互いの苦労が水の泡。元の木阿弥になりかねません。

私が返信しなければ、「なるほど、私の真意をわかってくれましたか」と思っていただけるはずです。

というわけで、目上の方なのに大変に失礼なことではありますが、賀状は返信しないままこらえております。

2024年の抱負

新年 明けましておめでとうございます

さて、今年の計画・抱負など。

(1)発熱外来からの脱却

診療報酬の兼ね合いもあって3月いっぱいまで頑張りますが、4月からは発熱外来を徐々に縮小するつもりです。

いい加減に元通りの診療をしたいですね。もちろん、コロナやインフルエンザの流行具合次第ではありますが。

(2)土・日・祝日診療は継続

休日診療については、開院以来の当院の基本姿勢そのものですので、変えるつもりはありません。

ただ、祝日診療分はどこか平日に臨時休診日を作って職場環境面にも配慮する、という方策は今年も続けます。

(3)院長室の整頓した状態を維持する

片付ける労力に比べたら、片付いた状態を維持することなど簡単です(たぶん)。

物品は、つねに所定の位置に置く。床に物を置かない。毎日、机上を整頓してから帰る(机上の空論?)。

(4)母と実家の墓参り

母と山口県までドライブして、長い間できてなかった母の両親の墓参りをするのが、今年の大事な計画です。

可能であれば親戚と会い、母の実家付近(岩国市)と私が育った防府市などを見て回りたい。

(5)運動

時々思い出したようにルームランナーをしていますが、もうちょっと継続したいものです。

自転車通勤の再開も考えたのですが、事故のリスクを避けたいのと、道路の段差が腰に響くのがけっこう辛い。

(6)航空旅行も続けます

行ったことのない国に、なるべく行きたい。家人と行く場合はゆっくりと、1人で行くなら変態的強行軍。

思えば数年前、機上で私が心肺蘇生を行うという出来事があり、どうやらその頃から飛行機にハマっています。

孫たちからの質問責めもまた楽しい

孫たち第一弾が、帰省して来ました。

熊本空港に16時55分着の予定なので、早めてに家を出発し、16時過ぎに空港の駐車場に着きました。

ターミナルにいちばん近い立体駐車場はしかし、ほぼ満車でした。グルグル回って3階に空きを見つけました。

出迎え客のために30分までは無料の駐車場なのですが、さすがに早く着きすぎました。

駐車券を見ると入庫時刻は14時10分。ここはいったん14時35分に駐車場を出ました。

それから空港駐車場の外周を一回りして、また駐車場に戻ってくると、あろうことか満車の表示。マジですか。

入口に警備員の方がいて、満車なので第2・第3駐車場に行ってくれと言います。

そことなんとか頼み込んで、駐車場に入れてもらいました。空きスペースが1つだけありました。

さて、横浜から来た孫たち2人(とその両親)を車に乗せて自宅に帰ると、楽しいひとときが始まりました。

質問責めの年頃なんでしょうか、5歳の孫は意味不明な質問を、引っ切りなしに投げかけてきます。

答えきれずにいる私に孫は、答を聞きたいかと問い、聞きたいと答えると、聞きたい人は踊ってくださいだと。

それでクネクネ踊って見せると、次の質問。それが第3弾らしい。全部で第100弾まであるそうです。

大掃除からのポチ袋6つ

書斎の片付け&大掃除に着手しました。3日前に予告した通りです。有言実行なのです。

先日の院長室の片付けで得たノウハウ、「とりあえず、物を別室に持って行く作戦」が、なかなか有効です。

今回「別室」というのは、2階の寝室のことです。なので1階と2階を何往復もして、良い運動になりました。

懐かしい物が発掘されれば懐かしんだりしながらも、思いのほか整頓が進み、ついに床が見えてきました。

明日の午前中まで片付けを続けます。帰省してきた孫たちを、書斎に入れることができるようにするのが目標。

片付けていると収納用品を買う必要を感じるもので、近所の無印、からのハンズマンとデサキを回りました。

が、結局買って帰ったのは「ポチ袋」6つ。孫たち6人が来るので、もうそれが楽しみで仕方がありません。

私が子どもの頃、年末年始はたいてい、母の実家(山口県岩国市の錦帯橋の近く)に帰省していました。

実家は豆腐屋を営んでいたので、大晦日まで大忙しで、私は邪魔にならない程度にウロチョロしていました。

ときには従兄弟たちと一緒に、早朝からサイドカー(自転車)で豆腐を配達したりと手伝ってもいました。

帰省の楽しみは、その従兄弟たちに会えることでした、祖父母や叔父・叔母たちに会うことよりも。

従兄弟って、年齢に幅があるせいか学校の友達とは遊び方が違うし、独特の親しみを感じますよね。

私はシャイだったので、再会直後はしばらくモジモジしていましたが、すぐに馴染めました。さすが血縁です。

わが家が、孫たち(つまり従兄弟どうし)の再会と交流の場としての、楽しい帰省先になればと願っています。

温度管理の不備は、医薬品には大問題

高島屋のオンラインストアで販売したクリスマスケーキの一部が、崩れた状態で購入者に届けられた件。

最初は、一部のクレーマーが騒ぎ立てているのかと思いましたが、そうではなさそうですね。

流通段階のどこかで温度管理に不備があって、一時的に半解凍の状態になったのでしょうか。

飾り付けられたケーキですから、解凍状態で揺れ動かされたりすれば、かなり崩れるでしょうね。

で、その後再冷凍され、崩れたまま凍った無残な状態で客の元に届いたと、そういう経緯かと推測します。

このオンラインストアは、私も盆暮れに利用することがあるのですが、ケーキを購入したことはありません。

いつもフルーツかお菓子の類いです。それでも、温度管理は大丈夫なのかと、今更心配になりました。

仮に高島屋に落ち度はなくても、運送業者に無理なスケジュールや料金を強要していないか等、気になります。

似たような構図は、Amazonの最近の配送品質の劣化にも通じるし、なんならダイハツ問題とも似ています。

ケーキの一時解凍による品質の劣化は、形が崩れるという結果が残るので、発覚しやすかったと考えられます。

これがワクチンの温度管理の不備だと、品質が低下しても見かけではわかりません。

以前、新型コロナワクチンを保管している冷凍庫の電源が切れていたような事例が、あちこちで頻発しました。

電源切れっぱなしなら分かりやすいですが、後に電源が復旧した場合、停電に気付かない可能性があります。

これは冷蔵庫でも同じこと。停電で庫内温度が上がっても、ワクチンに見た目の異常は起きません。

しかしワクチンの品質は、確実に劣化します。なので夜間不在時の長時間の停電だけは、絶対困るのです。

患者データを持ち出さなければ、紛失もしません

牛深市民病院の電子カルテ導入業務で、担当者が患者の個人情報を記録したUSBメモリーを一時紛失した件。

自宅で作業をしようとUSBを持ち出し、それを車の中に落としたようですが、データの持ち出しは御法度です。

かつて大学病院に勤務していた頃には、私も学会準備用に患者データを自宅に持ち帰ったことがありました。

当時(80年代)はまだ、個人情報管理の意識が低かったのですが、もちろん褒められたことではありません。

その時代にUSBメモリーなど無く、データを持ち歩くのは5インチの薄っぺらのフロッピーディスクでした。

ディスクが折れたら困るので、たいてい専用のケースに入れていました。15cm四方ぐらいのサイズです。

時代を経て、患者データは持ち出さないのが常識となり、自宅ではデータ整理等をしないようになりました。

記録メディアも、3.5インチディスクを経て、今世紀にはUSBメモリーが主流になり、記憶容量も増えました。

メディアのサイズが小さくなれば確かに便利ですが、紛失しやすくなります。

私の場合、職場と自宅とで患者データ以外の何かのデータを移動する場合は、クラウドを利用しています。

あるいは、記憶メディアであればHDDを使います。USBは使いません。小さすぎてなくしそうだからです。

いくら慎重に扱っても、交通事故や盗難に遭ったり不測の事態が起きて、USBを紛失する可能性があります。

たとえ不可抗力でも、「○○クリニックの医師、患者データ○○人紛失」などと報じられてしまいます。

そんな失態を避けるためには、とにかくデータを持ち出さないことです。

米国人はむしろ、日本人よりもあからさまに親切

「バウ・リニューアル( Vow Renewal )」という欧米の文化があります。

結婚している夫婦が、結婚記念日や家族記念日などに改めてお互いへの愛を誓い合うという儀式だそうです。

今日は家人の還暦、兼結婚35周年記念ということで、記念の船上クルーズディナーを予約しました。

食事はもちろん、船長の特別なもてなしとか、担当船員(ウィル・スミス似)の面白い対応も楽しめました。

米国人が日本人と違うのは、相手の気持ちを考えて行動する国民性だと、今回の旅で改めて思いました。

日本人は、思いやり気配りの国民だといいますが、シャイなのでそれが徹底していない面があります。

一方で米国人は、他人への配慮、とくに女性や弱者に対しては、とても徹底した親切な態度で対応します。

たとえばドアは必ず女性のために開けるし、私が写真撮影をしている時にその前を絶対に横切りません。

日本人は、出過ぎたこと・やり過ぎたことはしません。偽善的に映ることを嫌い、謙虚で控えめです。

一方で米国人は、控えめという配慮が無く、他人から見て善いことは、むしろあからさまに行う国民性です。

そういった点で、日本人はまだ、欧米人に見習うべき点は多いと思いました。

オアフ島一周ツアー

ハワイ州には132もの島があるそうですね。

観光で行けるのは、オアフ島、カウアイ島、モロカイ島、ラナイ島、マウイ島、ハワイ島の6島です。

ホノルルがあるのはオアフ島。今日はそのオアフ島を一周するツアーに参加して、あちこち見てきました。

それと同時に、ハワイの歴史をほとんど知らなかったことを思い知りました。あらためて勉強しましょう。

ハワイの冬は雨季なので、たいていは傘が要らない程度の小雨が、短時間だけ降ったりやんだりしています。

そんな天候なので、しばしば虹が出ます。今朝も見ました。ハワイ州が「虹の州」と呼ばれるゆえんです。

風は、24時間ずっと強く吹き続けています。海は、サーファーが喜びそうな波が立っています。

樹木は基本的に、すごく元気で巨大です。そして何よりも、空が青いですね。空気が澄んでいるのでしょう。

次にハワイに来るなら、キラウエア火山のあるハワイ島に行きたいですね。とくに火山の夜景を見たい。

ホノルル発着の日帰りツアーも考えたのですが、ハワイ島に宿泊しなければ夜景を見ることができません。

オアフ島一周の途中、北海岸ノースショアでは「ガーリックシュリンプ」をいただきました。

やみつきになるB級グルメと言われます。殻も柔らかいので食べられるはずですが、ちょっと硬かったかも。

屋外で食べていると、足元に野鳥が歩き回っています。おこぼれを頂戴しようというハラでしょうか。

郷土料理「ラウラウ(Lau Lau)」も食べてみました。タロイモとティの葉で包んで蒸し焼きにした豚肉です。

まあ、普通に美味い。食べやすい。リピートするほどではないかも。

なお、今日は朝から晩までアルコールなしでした。昨日飲み過ぎたし、明日は飲み過ぎる予定だからです。