アクションドラマに邦画的な「間」は不要

テレビ朝日のドラマ『<a href="http://tsuruhara9linic.blog116.fc2.com/blog-entry-3353.html" target="_blank" title="24 JAPAN">24 JAPAN</a>』。まだやってますよ。

何が何でも24話を完結させるしかない、製作スタッフにとっては苦行のような企画になってませんかね。

これまで第1話と第9話を観ただけでしたが、けなげに放送が続いていたので、先日の第22話を観てみました。

しかも続けて、オリジナルの『24-TWENTY FOUR』シーズン1エピソード22も観ました。私も好きですね。

でもおかげで、日米の作品の決定的な違いが、このたびハッキリしました。

日本版には「間」が多い。それはたいてい、心理描写のためにゆったり流れる、ちょっとした安らぎの時間。

しかし敢えて言わせてもらいますが、この手のアクションドラマに、そんな時間は不要。むしろムダです。

オリジナルではその時間の分、テロリストらの犯行のディテールの描写が多いことに気付きます。

主人公の娘が縛られたシーンをオリジナルでは細かく描いているのに、日本版では完全に省いていました。

物語の進行とドラマの進行が完全に一致していることに、このドラマの特徴と面白さがあります。

犯罪が行われれば、それを細かく描けば描くほど、リアリティが出てくるというもの。

それを日本版では省き、登場人物が見つめ合うシーン等に時間を割き、実に邦画的な雰囲気に仕上げています。

なのでオリジナルを観るときは一瞬たりとも目が離せませんが、日本版ではコーヒーを飲んだりできます。

ほとんど同じストーリーなのに、映像の密度が違うんですよね。これでは日本版が失敗するはずです。

「麒麟」は結局、来たんですか?

女優の交代とコロナ禍に翻弄されたNHK大河ドラマ『麒麟がくる』(全44回)は、今日が最終回でした。

そのクライマックスシーンはもちろん「本能寺の変」です。明智光秀が主人公なら、そうなるでしょう。

でも織田信長を描いた1992年の大河ドラマ『信長 KING OF ZIPANGU』も当然、最終回は本能寺の変でした。

二人の死亡日は11日以上異なりますが、歴史の大きな流れの中では、ほぼ同時期に没したような形です。

光秀の「三日天下」や、山崎の戦いで敗走したその姿には、もう描くべき点がないということなのでしょう。

さ〜て、来週の大河さんは〜?、というと『青天を衝け』が始まりますか。描かれるのは、渋沢栄一。

放送回数は未定とのことですが、年内に終わらせるなら、多くても46回ですね。

来年(2022年)の『鎌倉殿の13人』の、1月スタートの予定まではずらさないでしょう(個人の憶測です)。

ちなみに2023年は『どうする家康』。渋沢さんには申し訳ないですが、来年と再来年がすごく楽しみです。

いやいや、そんなことを言ってはいけません。『青天を衝け』は幕末から始まりますから、期待はしています。

ただ、近現代モノの大河はどうも、面白くない思い出が多々あって…

思うに、時代が新しくなるほど、記録が豊富で正確なので、面白く脚色する余地が少ないんじゃなかろうか。

これが戦国時代あたりだと、歴史上の人物などどうにでも描けるような、良い意味での情報不足がある。

ただし古代までさかのぼってしまうと、情報がなさ過ぎて、1年もたせるのは難しいのかもしれません。

かつてNHKが放送した「古代史ドラマスペシャル」は、私はとても好きだったし評価しています。

『聖徳太子』『大化改新』『大仏開眼』の3作品ですが、それぞれがわずか2話構成でした。

そこら辺の時代を少し長くつなげて、古代史群像劇みたいな大河ドラマって、どうですかね。

激しい内乱やクーデターなら、戦国時代にも引けを取らないと思いますけど。

「ニギニギ」するだけで血圧が下がる

NHK『ガッテン!』の今日のテーマは「一酸化窒素(NO)」でした。

たった2分間、手を「ニギニギ」するだけで血圧が下がるという、ガッテンらしい「触れ込み」です。

ああアレかと、「ニギニギ」によって血管拡張物質が出たんだろと、そう思った人は、すばらしい。その通り。

ならば、役人の子とサラリーマンの子の血圧にも違いがあるはずだと、私などはそう考えてしまいます。

さて、スタジオのゲスト3人が「ニギニギ」前後の血圧を測ってみたわけですが、そのクダリがいけません。

まず、ビフォア血圧を測ると、島崎和歌子118/86、大島麻衣180/125、木村祐一213/131って、高すぎ!

そして期待のアフター血圧が、島崎113/78、大島180/126、木村182/114。う〜ん、微妙。

ニギニギで血圧が下がることを実証してみせるつもりが、ほぼ放送事故レベルの結果ですよ。よく放送したね。

ところが番組では、島崎「下がりました」、大島「変わらないです」、木村「下がった下がった」と自己評価。

立川志の輔も、島崎には「わずかでも」、大島に「はいはいはい」、木村に「いやいやいや」と言うしかない。

初めから、ニギニギで血圧が下がるという結論ありきの番組なので、いまいちな結果が出ても押し通します。

そもそも、たった3人の1回限りの測定でニギニギ効果を検証しようということ自体に、無理があるのです。

血圧は、体動や緊張によって容易に変わるので、1回目の測定よりも2回目の方が低くなりがちです。

今回のゲストの測定でも「2回目効果」が加味されていた可能性まで考慮すると、ニギニギ効果は不明です。

何の説得力もない「実験」結果を、もっともらしくテーマに結びつけてしまうのが、この番組の問題点です。

「NO」が本来持つ、きわめて重要な生理学的・薬理学的作用が、むしろぼやけた気がしました。

『天国と地獄 〜サイコな2人〜』を、とりあえず観ました

日曜夜9時からのTBSの日曜劇場『天国と地獄 〜サイコな2人〜』が始まりました。(ネタバレあります)

韓国映画『パラサイト』を観たときに黒澤明監督の『天国と地獄』を思い出したことを、いま思い出しました。

それはともかく、日曜劇場はハズレがないので初回ぐらい見とこうか、的なノリだったのですが、う〜ん。

主人公2人が入れ替わるという設定が私には、細かい矛盾が気になって、見てて苦しくてしょうがないですね。

たぶん第2話以降も、その矛盾に苦しみながら観ることになるのでしょう。自分の性分を呪います。

階段転落での「入れ替わり」は、これが『転校生』のパクリはなく、オマージュだと言いたいのでしょうか。

ならば最終回で何が起きるかも、だいたい見当が付きます。

冒頭近くのシーンで、地下鉄の乗客がみなマスクを着けている場面には、新鮮な驚きを感じました。

他の多くのドラマが、コロナが存在しない世界を描いているのに、このドラマはその点では正直です。

と高評価したものの、捜査会議のシーンとか、他の3密な場面でマスクが無いのは画竜点睛を欠きましたね。

結局、マスクなどは取って付けただけで、今風感を出すための小道具でしかかなったのでしょう。

入れ替わりとか、タイムスリップは、私のような理屈っぽい人間には我慢ならない矛盾に満ちた設定です。

むしろ超能力とか、神とか、魔界みたいな、理屈が通らない題材の方が、よっぽど私はのめり込めますけどね。

米国映画やドラマの「日本版」って、オリジナルには勝てませんね

「2夜連続ドラマスペシャル『逃亡者』」という番組を録画していたので、2話連続で観てみました。

ハリソン・フォード主演の映画が私は好きで、このドラマにも期待していたのですが、まあ、なんというか。

できるだけネタバレにならない程度に、私の感想を少し。

・ドラマのスケールと渋い配役は、そこそこ評価できる

・ご都合主義のストーリーも、ドラマなのだから仕方ない(少々の矛盾も諦めよう)

・後編冒頭のニュース番組のシーンが、見事に緊張感を失わせてくれた

・犯行の動機や背景の描き方と「川」に深みがなかったのが、最大の問題点

結末のドンデン返しを知ってるのに観たのが、そもそもの間違いでした。

それにCMが多過ぎ。いくら「電話してチョーダイ」と言われても、ウチのピアノは売りませんから。

なのでドラマはなるべく生で見ないで、録画してあとからCMを飛ばしながら見るのが正解。

ハリウッド映画や海外ドラマの日本版って、なかなかうまくいきませんね。たぶんその理由は、

・オリジナルの評価が高い作品だと、どうしても期待して(しすぎて)しまう

・特殊な政府機関の存在とか、街中のあちこちで頻繁に起きる銃撃戦が、日本ではなじめない

それでいうなら、現在進行中の悲惨な日本版ドラマが、唐沢寿明主演の『24 JAPAN』でしょうね。

打ち切りもあり得るほどの低視聴率らしいですが、番組の構成上、24話を完結させるしかないのが逆に痛い。

私は第1話でガッカリして観るのをやめてましたが、まだやってたので今日は、第9話を録画で観てみました。

その後で念のため、オリジナルの『24-TWENTY FOUR』シーズン1のエピソード9も、観てみました。

日本版の問題は、オリジナルに忠実な脚本だからでしょうね。だから日本での出来事としては無理がある。

それに、次々に新たな裏切り者が発覚する予想外の展開をもう知っているので、観ていて面白くないのです。

大統領のコロナ感染が世界危機を招かないことを祈ります

トランプ大統領がついに、新型コロナウイルスに感染しました。

まさかこのタイミングですか、という意味では、たしかに「オクトーバー・サプライズ」かもしれません。

しかし、トランプ大統領が新型コロナに感染したこと自体には、驚きも意外性もありません。なんなら想定内。

ただし想定していたのは感染までであって、今後の病状によっては、想定外の危機が訪れるかもしれません。

大統領に万一のことがあった場合の対応は、米国ドラマや映画でよく目にする、おなじみの場面ですね。

「合衆国憲法修正第25条」の発動により副大統領が大統領に昇格することは、日本人でも知っています。

もしも大統領のコロナが重症化して人工呼吸器を装着する事態に至れば、職務不能と判断されるでしょう。

トランプ大統領の職務は、少なくとも一時的には、ペンス副大統領が代行することになります。

こうして憲法の規定に則ったにせよ、大慌てで権力委譲が行われると、そこには必ず隙ができます。

そして治安や国防の指揮系統の乱れに乗じて何かやらかそうとする勢力は、米国内外に数多あります。

暴動やテロが世界各地で起き、某国がICBMを発射したりもするでしょう。きっと尖閣諸島も占領されますね。

世界を破滅に陥れたのは、コロナそのものではなく、コロナを軽視した大統領だということになるわけです。

という悲惨な未来を招きたくはないので、いまはトランプ大統領が無事回復することを祈るばかりです。

ていうか、ハリウッド映画の見過ぎでしょうか。

羽田の国際線新ターミナルは、もっぱらロケ用か

口角泡を飛ばすドラマ『<a href="http://tsuruhara9linic.blog116.fc2.com/blog-entry-3211.html" target="_blank" title="半沢直樹">半沢直樹</a>』は、昨日の放送分から、航空会社(と政治家?)が舞台になりました。

JALの再建が元ネタになっているようですが、「帝国航空」のカラーは青なのでANAっぽく見えます。

昨日の放送で一瞬、「<a href="http://tsuruhara9linic.blog116.fc2.com/blog-entry-2900.html" target="_blank" title="フライングホヌ">フライングホヌ</a>」の尾翼が見えました。「ANA」のロゴが白地に青い文字はホヌです。

となると、これは成田空港ですね。残念ながらホヌは2機とも、3月25日以降ずっと成田で長期休養中です。

ただし90日以上飛ばないと重整備が必要となるので、これを回避するため6月に成田付近を少し飛んでいます。

このドラマの主な舞台の一つである羽田空港でも、出発ロビーでかなり大々的にロケを行っていました。

こんなことができるのは、幸か不幸か現在閉鎖中の、<a href="http://tsuruhara9linic.blog116.fc2.com/blog-entry-3099.html" target="_blank" title="羽田空港第2ターミナル(T2)">羽田空港第2ターミナル(T2)</a>の国際線エリアですね。

私は行ったことないですが、東京五輪をにらんで今年3月29日に供用を始めた、新しい国際線ターミナルです。

ANAの国内線ターミナルと直結、ていうか同じビルなので、乗り継ぎがとても便利・・・になるはずでした。

ところがコロナのせいで国際線は閑古鳥。ターミナルをT2とT3(旧国際線ターミナル)に分ける意味もない。

需要減に加えて検疫強化の目的もあり、4月11日から、国際線はすべてT3に一本化されてしまいました。

おかげで広大な新築ターミナルが、まるっと半沢のロケに使えてしまうという、奇跡的な状況になっています。

他のドラマも、なんならハリウッド映画でも、いまならロケし放題。ああ、エキストラで出演したい。

『半沢直樹』、満を持して再始動

『<a href="http://tsuruhara9linic.blog116.fc2.com/blog-entry-677.html" target="_blank" title="半沢直樹">半沢直樹</a>』が帰ってきました。麒麟がくるまで待ってる間に、先に半沢が帰って来ました。

日曜の夜の楽しみが、ひとつ増えました。ただし、初回放送の内容が楽しいはずがなく、悔しいばかりです。

コロナの影響で延期になっていたドラマの中でも、とくに放送開始を期待されてきたのが半沢直樹でした。

でもまた収録ができなくなり、麒麟のように放送が中断されるようなことにはならないか、それが心配です。

なにしろこの数日の感染者数から、次の緊急事態宣言がいつ出るのか戦々恐々としているところですから。

ネット情報によると、半沢の収録は2話分だけ終わった後に2カ月以上中断したようで、再開したのは6月1日。

まだ最終話までの収録は終わってないでしょうから、今日からの放送はある意味、見切り発車です。

コロナの収束など、もう待ってられない。やられたらやり返す、倍返しだ、的なノリでしょうか(多分違う)。

登場人物たちは、屋内でも屋外でも、みなさんノーマスクです。ドラマからはコロナのコの字も感じません。

彼らはみな興奮し、口角泡を飛ばして激しく喋るのに、マスクはおろかディスタンスもとっていません。

コロナの存在しない「平時」の設定とは言え、どうしても気になって、内容が素直に入ってきません。

では、ウィズコロナ設定で、登場人物全員にマスクを着けさせたら良かったのかと言えば、それもオカシイ。

これからしばらく(2,3年?)、ドラマでも映画でも、コロナの取り扱いをどうするか悩ましいでしょうね。

黄門様(の役者)が代わっても、視聴者は動じませんが

『サザエさん』の家に他人が上がっているかのように聞こえたので、思わず画面を見たらマスオさんでした。

超長寿アニメの宿命か、声優さんたちはだんだん代替わりをしています。私はまだ、マスオさんに慣れません。

いつか、サザエさんの中身(声)が代わる事態になったとき、視聴者はその違和感に耐えられるのでしょうか。

水戸黄門(の役者)が何度代わっても、視聴者は順応してきましたが、サザエさんは厳しいかもしれませんね。

最近の映画では精巧なCGが使われていますが、声の合成なんて画像よりも簡単じゃないんですかね。

過去のサザエさんの声を分析して再合成して、あらゆるセリフを喋らせることはできるんじゃないですか?

となると、声優が引退しても、あるいは亡くなっても、キャラクターはずっと「同じ声」でいけますよ。

このようなことが一般的になったら、いつかは、声優という職業が不要になるかもしれませんね。

ていうかもう何年も前に、そのような技術は完成しているはず。サザエさんに導入されてないだけの話です。

俳優の動きを部分的にCGで映像化することだって、実際の映画でもあちこちで使われています。

CGと俳優業との問題が浮上したと、以前NHKの番組で聞いたことがありますが、もうだいぶ昔の話。

技術は鬼のようなスピードで進化しています。たぶんもう、実写とCGの区別なんて不可能なレベルでしょう。

危険なシーンを見ると、これCGなんだろうなと観客は推測するわけですが、今後どうなるかわかりませんね。

社会派法廷ドラマが実はオールCGなんてことだって、何の意味があるか知りませんが、あり得ます。

しかも出演するのは、すべて実在の俳優(のCG)ということも可能。もちろん声も合成音声で。

アカデミー主演男優賞などには、実際に本人が演技した場合に限る、なんていう受賞条件が付きますかね。

言い間違えは、訂正するときこそ慎重に

自分のことは棚に上げますが、他人の言い間違いは気になる性格です。

アナウンサーは、ニュース原稿を読み間違え(言い間違え)たら、必ず即座に言い直しますよね。

言い直したつもりがまた言い間違えてしまったとしても、くじけず気を取り直して、また言い直します。

民放の番組ならしばしば、別の出演者が軽く突っ込んだりして場を和ませますが、NHKは最後まで真面目です。

今朝NHKで、「GMOペパボ」というトラップのような会社名の、放送事故レベルの言い間違いがありました。

見てなかった方は、NHK+で7時19分ごろからご覧ください。念のため、文字に起こすと、こうです。

「東京渋谷区に本社があるインターネット関連企業GMAペポパは、国内3カ所の拠点の…」(え、違う?)

「GMOペポバは、国内3カ所の拠点のどこかに通勤できるとい…」(なに?まだ違うの?え〜っと)

「あ、GMAペパボは……」(なになに?ちょっと待って。どこが違う?)

「…GMOペパボは、国内3カ所の拠点のどこかに通勤できるという採用条件を、今月から見直しました」

アナウンサーが何度言い直しても、出演者はだれも突っ込まず、スタジオのスタッフの笑い声も聞こえません。

たぶん、そのアナウンサーの頭の中では、芸人の名前「ぺこぱ」がグルグル回っていたのです(推測)。

そして、「ぺこぱじゃない」「ぺこぱと言ったら笑われる」という強迫観念に襲われていたはずです(憶測)。

でも今では、「いっそ、ぺこぱと言って楽になればよかった」と、そう思っていることでしょう(想像)。

むしろ「それ、お笑い芸人ですけど」と笑われ、いじられた方が、言い間違えた甲斐があるというものです。