「欠航または欠航」問題

発達した「南岸低気圧」の影響で、各地で大気の状態が非常に不安定になり、「春の嵐」が吹き荒れています。

こんな時しばしば、羽田発着の航空便が欠航します。

「すでに欠航または欠航が決まっているということです」と、今日もTVニュースで報じていました。

「欠航または欠航が決まっている」という表現にはしかし、私は以前から違和感を覚えます。

「遅延または欠航が決まっている」ならいいですよ。ところが「欠航または欠航が決まっている」ですよ。

「優勝または準優勝が決まっている」ならいいですが、「優勝または優勝が決まっている」だと変でしょ。

ちゃんと最後まで聞いたら意味は分かるっショ、という態度なら、それは間違っています。

文章とは異なり音声は、聞いた順に逐次理解するものなので、途中で引っかかるような表現は避けるべきです。


なぜか、文字ベースのNHK「NEWS WEB」の方が、表現は親切で、

「すでに欠航した、または欠航が決まっているということです」と記載しています。これなら多少マシですね。

「すでに欠航したか、または欠航が決まっている」なら完璧ですけどね。どうしてTVでそう言わないのか。

この<a href="http://tsuruhara9linic.blog116.fc2.com/blog-entry-2490.html" target="_blank" title="「欠航ネタ」">「欠航ネタ」</a>を書くのは、じつは3回目です。「欠航または欠航」と聞くとどうしても書きたくなるので。

でも今日は、違うことをしてみました。NHKに「ご意見メール」を送って、私の違和感を伝えたのです。

返信が来るかどうかはわかりません。NHKの反論があったらぜひ聞きたいですね。

『光る君へ』の劇伴音楽

大河ドラマ『光る君へ』のサウンドトラックCDが人気とのことで、買いました。車で朝晩聴いています。

メインテーマがラフマニノフっぽいと思う方は多いでしょう。しかもピアノが<a href="http://tsuruhara9linic.blog116.fc2.com/blog-entry-3670.html" target="_blank" title="反田恭平">反田恭平</a>。

反田恭平と言えば<a href="http://tsuruhara9linic.blog116.fc2.com/blog-entry-3670.html" target="_blank" title="5年前の演奏会">5年前の演奏会</a>を思い出します。佐渡裕と一緒に熊本に来ましたからね。今思えば奇跡です。

サントラには、全部で25曲入っていますが、バリエーションが豊富なことに驚きます。

従来の大河だと、メインテーマをアレンジした挿入曲が多かったのですが、それがまったく無いですね。

今回は全部で150曲ほど作ったという「劇伴音楽家」冬野ユミって、多才な人なんだと思います。

「意外なシーンに意外な楽曲がぴったりとハマったりするのが面白い」のだそうです。

クラシック調のものだけでなく、私にはジャンルを表現できない曲が盛りだくさんです。

バッハ風の曲の中には平均律の露骨なパクリもありましたが、もちろんオマージュと言うべきでしょう。

ジャズ調の曲も多くて、<a href="http://tsuruhara9linic.blog116.fc2.com/blog-entry-3419.html" target="_blank" title="チック・コリア">チック・コリア</a>風もあればMJQみたいなのもある。上手くパクって、どれもいい。

ちょっと残念なのは、メインテーマが放送で使われているのと同じ、2分50秒の曲しか入っていなかったこと。

壮大な曲風なので、もっと長く(15分ぐらいの)本格的な「完全版」も収載してほしかったですね。

私がいちばん期待していた、モンテヴェルディ風のリュート曲も、収載されていませんでした。

よく見るとCDは「Vol. 1」となってます。やがてVol. 2が出るんですね。それに期待しましょう。

「あいさつとスカートは短い方がいい」

TBSのドラマ『不適切にもほどがある!』が絶好調ですね。

不適切にもほどがある言動を、ドラマだからと笑って済ませることが適切なのかは、とりあえず考えない。

今日は「不適切言動」よりも「昔話」に軸足が移ってきてましたが、まあそれはそれでいいんですけど。

それに加えてタイムスリップ話は、まともに考えると矛盾も多いので、まともに考えないことです。

令和の世になっても現実に、教育者から政治家から大企業のトップまで、いまだに不適切な人間が多いですね。

そういう昭和のオヤジにはおそらく、不適切の意識すら無い可能性もあって、その方がむしろ厄介です。

「あいさつとスカートは短い方がいい」と、去年どこかの市長が発言して叩かれたことがありました。

「あいさつとスカートは適度な長さがいい」と言い換えたとしても、どうしてスカートなのかと叩かれますね。

「あいさつとスカートとズボンもステテコも適度な長さがいい」となると、衣類にこだわる理由がわからない。

「あいさつその他万物は適度な長さがいい」と広げれば、まあ哲学的というか意味不明。

「あいさつは短い方がいい」だけで良いのに、つい要らぬ文言を付け加えて失敗するわけです。

「スカート」を付けた市長も、ウケ狙いの軽いリップサービスのつもりだったのでしょう。

ですが、公の場でそんな言葉を自然に口にしてしまう性格(体質)自体が、いまどき問題なのです。

さ〜て来週は、「女房と畳は新しい方がいい」の巻。お楽しみに。

何が適切かもほどほどに

「アウディーイウカ」という地名を、テレビのニュースでたびたび耳にします。

ロシア軍が掌握したとされる、ウクライナ東部ドネツク州の都市ですね。

その語尾の「イウカ」を聞くたびに私はしかし、「ファーストサマーウイカ」を思い出してしまうのです。

大河ドラマで「清・少納言」を演じている「俳優」さん。なかなか良い感じです。

不思議な名前だと思っていましたが、本名の「初夏(ういか)」をダブルで使ってるわけですか。

「初夏」が「生まれて初めての夏」の意味なら、<a href="http://tsuruhara9linic.blog116.fc2.com/blog-entry-2415.html" target="_blank" title="「初産(ういざん)」">「初産(ういざん)」</a>と同様に「ういか」と読むのも道理。

覚えにくいようで、すぐ覚えてしまう芸名ですね。

ところで最近のメディアは急に、「女優」という言葉を使わないようにしてますね。山本陽子もそうだったし。

ではアカデミー賞のように「女優・男優」を両者対等に扱う場合は例外的に、そのままでも良いのでしょうか。

いや、もはや性別を特定すること自体を止めて、「俳優」にまとまるのが最終形なのかもしれません。

私には少々息苦しい時代になりました。なのでいま、『不適切』なドラマがとても面白くて新鮮味を感じます。

昭和のオヤジに言わせたセリフを批判的に描く体(てい)にしているところが、なかなか上手いですね。

ドラマ『舟を編む』始まる

NHKの連続ドラマ『舟を編む』(原作・<a href="http://tsuruhara9linic.blog116.fc2.com/blog-entry-1586.html" target="_blank" title="三浦しをん">三浦しをん</a>)が、始まりました。

「辞書作り」にかける情熱を描いたものですが、言い換えるなら「日本語」を題材にしたドラマでしょうか。

幼少期から私は辞書好きだったので、このドラマには期待していますが、全10話ですか。長丁場ですね。

なにしろNHKですから、ちょっとお高くとまった、うんちく臭の強いドラマにならないことを願っています。

世の(あるいは私の)辞書ブームの火付け役と言えば、赤瀬川原平の『新解さんの謎』ですね。

「新解さん」というのはもちろん、三省堂の「<a href="http://tsuruhara9linic.blog116.fc2.com/blog-entry-1444.html" target="_blank" title="新明解国語辞典">新明解国語辞典</a>」のことです。

私の手元の辞書がまさに新解さん(第三版)でしたが、そのユニークさにはまったく気付いていませんでした。

しかし「謎」を読んで早速、「名版」とも言える<a href="http://tsuruhara9linic.blog116.fc2.com/blog-entry-3916.html" target="_blank" title="「第四版」">「第四版」</a>を購入。辞書を読み込む日々が始まりました。

とは言え、だんだんと興味は別の方に向いていたのですが、10年ぐらい前からまた、辞書がマイブームです。

勢いで新解さんの「第五版」「第六版」「第七版」を大人買いし、最新の「第八版」も出てすぐ買いました。

ドラマの第1話で、「右」という言葉をどのように説明するか、という質問が出ました。私の手元の辞書では、

【広辞苑(第二版)】「北を向いたとき、東にあたる方」

【デジタル大辞泉】「東に向いたとき南にあたる方。大部分の人が、食事のとき箸を持つ側」

【日本国語大辞典】「正面を南に向けたときの西側にあたる側。人体で通常、心臓のある方と反対の側」

【新解さん(三)】「多くの人が はしや金づちやペンなどを持つ方(の手)。からだの、心臓が有る方の反対側」

【新解さん(四)】「アナログ式時計の文字盤に向かったときに、一時から五時までの表示のある側。

         「明」という漢字の「月」が書かれている側と一致」

新解さんは第四版から現在の第八版に至るまで、語釈を変えていません。現状で満足しているのでしょうか。

で、いちおう私の語釈。「ピアノの鍵盤の高い音の側」「パソコンのキーボードのリターンキーのある側」。

「清・少納言」登場

大河ドラマ『光る君へ』の放送は、本編に続く次回予告編の後、90秒間の『光る君へ紀行』があります。

今日放送の「紀行」が取り上げていたのは、私が小学校から高校時代までを過ごした「山口県防府市」でした。

なんと清少納言が、「多感な少女時代を過ごしたとされる地」だとか。マジですか。今日初めて知りました。

いやいや、この私も「多感な少年時代を過ごした地」ですけどね、防府は。

2015年の大河ドラマ<a href="http://tsuruhara9linic.blog116.fc2.com/blog-entry-1532.html" target="_blank" title="『花燃ゆ』の「紀行」">『花燃ゆ』の「紀行」</a>では、最終回で防府市が取り上げられました。

私の母校「華浦小学校」は、主人公・杉文の夫が教鞭を執った「越氏塾(えっしじゅく)」が源流なのです。

私が6年生の時、学校創立100周年記念事業で、在校生が作文や習字などをタイムカプセルに埋めました。

開封されるのは「50年後」という、気の遠くなるような未来でしたが、昨年、その時が来たのでした。

私の母と妹が、その「出土品」をもらって帰り、私が受け取ったはずなのですが、いま行方不明です。

書斎のどこかに置いたことは間違いなく、そのうちひょんな場所から出土されるだろうと薄く期待しています。

今日放送の『光る君へ』(第6回)は、貴族同士の争いに加えて、紫式部には清少納言というライバルが登場。

このドラマの中に『源氏物語』がどのように織り込まれていくのか、「劇中劇」の面白さがありそうですね。

時代の流れは史実に従い、細部はフィクションで遊び、源氏物語はおそらく原典通り描かれるのでしょう。

ようよう面白くなってきました。

とりあえず「大河」なので観る

『光る君へ』の視聴率が低迷しているそうですが、そんなことは構いません。私が面白ければそれでいいので。

NHK大河ドラマとしては、高視聴率を狙いにくい時代や題材を敢えて選んだわけで、これは一種の挑戦です。

定番の戦国時代や幕末を描いた大河とは、興味をもって観てくれる対象が異なることなど想定内でしょう。

私を含めた大河ファンは、とりあえず大河なので観る、というのが基本姿勢です。自分で観てから評価します。

観ているうちに、これは案外むしろ逆に面白いかも、と感じ始めたりもするわけです(例外もある)。

なんならこの時代を少し勉強してみようかと、何か本でも買ってみたりもするわけです(例外もある)。

攻める脚本と登場キャラの力で話題になっていることは間違いなく、今後人気が沸騰するかもしれません。

この時代の正確な「史実」が少ない分、ストーリー展開はほぼ自由自在。いくらでも面白くできるはずです。

日本でも中国でもどこでも、古い時代に庶民の人権など無く、残虐な出来事が日常的に起きていました。

一方で、為政者や貴族などは雅な生活を送りつつ、その裏で権力争いに明け暮れるわけです。

大河ドラマはいつも、人口比率で言えばごく一部の支配階級の目線で描かれますが、それはしょうがない。

だからこそ時代の大きな流れを描くこともできるわけで、それが「大河」たる所以です。

この1年間は、「平安時代」の大河にどっぶり浸かりましょう。

『光る君へ』面白いかも

NHK大河ドラマ『光る君へ』が始まってますが、皆さん、観てますか?

戦国モノや幕末モノではない大河ドラマは、いつも観る前から心配になります。視聴率大丈夫かと。

そのような時代をドラマの舞台に選択することは、チャレンジだと思います。

歴史ドラマの宿命として、ストーリーの大筋はすでに、史実として分かっています。結末も変えられません。

でもそう考えると、大河ドラマの面白さは、よく知られている史実と人物の、その描かれ方にあるはずです。

現代モノがあまり面白くないのは、知ってる情報が多すぎて、脚色する余地が少ないからかもしれません。

逆に鎌倉以前は、登場人物について元々知らなくて、どのように描かれてもピンとこないのかもしれません。

戦国時代から幕末までというのは、史実も人物もちょうど良い程度に皆が知ってるから面白いのでしょう。

しかし、大河ドラマが面白いかどうかは第一に、それが描く時代や人物ではなく「脚本」にあると思います。

その意味で、情報の少ない古い時代を描くのは、脚本家の腕の見せ所かもしれません。

今日の放送(第2回)は第1回以上に、素直に意外と面白いと思いました。

「韓流ドラマ」でよく見かけるような、主人公と将来の権力者との偶然の出会いも、ドラマらしくて良いです。

よく知られていない時代ですから、いくらでも面白く描いていただきましょう。

どうするもこうするも家康

大河ドラマ『どうする家康』は今夜、終盤のクライマックスのひとつ「関ヶ原の戦い」でした。

どうするもこうするも、戦いの結末など承知の上で、それでも楽しめるのが大河ドラマです。

小早川の裏切りを知っている視聴者が、その疑念に苦悩する三成の気持ちになって、ハラハラするのです。

あるいは、そら見ろやっぱり裏切った、と家康の気持ちになって、視聴者はみな溜飲を下げるのです。

一番大事なところで、葵のご紋の印籠が登場するのと同じです。

戦国時代が好きな大河ですから、関ヶ原は数え切れないほど(数えられるけど)描かれてきたはずです。

振り返ってみると、直近では2016年の<a href="http://tsuruhara9linic.blog116.fc2.com/blog-entry-1651.html" target="_blank" title="『真田丸』">『真田丸』</a>ですが、戦いの描写がほとんどなかったことは驚愕でした。

これほど重要な戦いを敢えてスルーするという、三谷幸喜の遊びなんでしょうけど、異色の作でしたね。

その前が2014年の『軍師官兵衛』。総選挙のために放送は1週間延期されました。関ヶ原よりも選挙戦です。

最終回が関ヶ原の戦いですか。多くの戦国武将が、そのパターンで描けるなぁと思ったりしました。

その前は2011年の『江〜姫たちの戦国〜』。関ヶ原は<a href="http://tsuruhara9linic.blog116.fc2.com/blog-entry-1804.html" target="_blank" title="9月11日放送">9月11日放送</a>。奇しくもこれは『真田丸』と同日です。

東日本大震災のため、放送が1回飛びました。(熊本地震では『真田丸』の本放送延期はありませんでした)。

さて、これから家康がどっちへ向かうのか。誰もが知ってるけど、念のため見守りたいと思います。

『眠れる森の美女』鑑賞

「Kバレエカンパニー」改め「K-BALLET TOKYO」の公演、『眠れる森の美女』を観てきました。

9年前に『カルメン』を観て以来の「Kバレエ」公演。今日も福岡サンパレスまで行って来ました。

カルメンは、「オペラ」をバレエにアレンジしたものでしたが、眠れる森の美女は元々「古典バレエ」。

今日の熊川哲也の作品はしかし、それをさらに「驚くべき発想で創造した独自のストーリー構成」でした。

細かい内容は書きません。ネタバレを避けるためではなく、公演を詳しく論評する能力が私にはないからです。

そもそもバレエはめったに観ません。セリフもなく歌もなく踊って表現するという、私には難解な分野です。

チャイコフスキーの音楽は素晴らしい。ダンサーのパフォーマンスが、その音楽とピッタリ合ってます。

たとえばミュージカルは、やたらに歌い出しはしますが、歌詞がストーリーに沿ったものです。

ところばバレエでは、ひたすら無言で踊ります。そのからだの動きと表情が、すべてなんですね。

技術的に高度で芸術的なパフォーマンスを、善人悪人敵味方入り乱れて、これでもかと繰り出します。

衣装は色彩鮮やかで華麗、舞台美術は豪華絢爛、登場する脇役のキャラクターたちも可愛い。

バレエにおいては、ストーリー展開は副次的なもので、パフォーマンスを観て感動するのが正しいのでしょう。

それにしても、こういった文化的芸術的催しには、地方にいるとなかなか触れられませんね。