因数分解

数学が好きなのに、その道に進まなかったのは、数学でメシを食うのは厳しいと考えたからです。

私の高校時代は、スマホやインターネットどころか、パソコンすらほとんど見かけない時代。

当時、数学から連想する職業と言えば、学者か教職しかありませんでした。

ところが今の時代、数学だとかコンピュータなどの分野は、とても魅力的で未来的で花形です。

一方で、純粋に学問として数学を研究している人もまた、すばらしい。

「 x^n – 1(xのn乗マイナス1)を因数分解するときには、nの素因数分解がカギとなる」

ある大学の数学科のホームページで因数分解の解説を読んで、最初は「???」でした。

ところが、nを2から24まで試してみて、なるほど、思わず膝を打ちました。

名前が似ているくせに、まったく無関係だと思っていた「因数分解」と「素因数分解」。

この2つが、30数年を経てつながりました。

あまり面白くなかったですね、今日の話。

数学好き

こどもの頃、数学が好きでした。

小学生時代、休みの日には電卓で遊んでいました。友達が少なかったのかもしれません。

1960年代の終わり頃の電卓はサイズが大きく、ちょうど今のスーパーのレジスターみたいな感じでした。

で、私の遊びといえば、いろいろなかけ算や割り算をして、その記録を紙に書き残す、というものです。

中学生の頃、数学で好きだったのは「因数分解」。嫌いなのは「ベクトル」でした。

フィールズ賞を受賞した、郷里(山口県)出身の広中平祐氏が話題になったのも、その頃。

数学者になることを夢見ました。

高校生のとき、好きなのは「数列」、嫌いなのは「行列」。

数列は、規則性の発見にパズルのような楽しさがあって、今でも好きな分野です。

一方で行列は、いったい何の役に立つのかさっぱりわからず、面白くなかった。

ところが大学時代、教養科目として履修した物理学で登場したのは、ベクトルと行列でした。

嫌いなふたつが、そろいもそろって物理学では主役級の存在でした。あなどってはいけませんね。

ちなみに私がいちばん好きなのは「素数」です。

計算癖

運転中に、前を走っている車のナンバーを見ると、ついつい計算してしまいます。

何の計算? 

例えば、ナンバーが「1234」だったらこんな具合です。

1=2+3−4

こんな等式を思いつけば、クリア。

私のルールは、数字を順番に使うこと。

それから、数式記号は何を使ってもいいけど、定数(πやe)は使わないこと。

そして目標は、できるだけ多くの別解を見つけること。

1-2=3−4

これは先ほどの式の2を移項しただけ。別解としては認められません。

符号を変えただけのものや、両辺の平方根をとっただけもものもダメです。

1−2+3=ルート4

これならOK。4と9は平方根をとってみるのが基本。

(1の2乗)+3=4

ナイス別解。1のn乗はよく使う手法。

ー(1x2)+(3の階乗)=4

階乗は意外に使えます。ほかには、

1+(2分の(3の階乗))=4

とか、もっと上級編になると、

1x2x(ルート(3の階乗))=ルート(4の階乗)

もはや両辺が整数である必要もありません。

1÷2=ルート((3の階乗)÷(4の階乗))

これは前の式とは基本的に同じもので、ややグレーゾーンの別解。

1+2=(ルート3)の(ルート4)乗

平方根にして2乗する。使える手法です。

ログ((ルート(1+2))の3)=ルート4

対数を使うとさらに選択肢が広がりますね。

とか考えてるうちに、前の車が変わり、別のナンバーが登場。

再び計算が始まるのです。

計算神経症?

ていうか安全運転しましょう。

たし算

鶴亀算というのがあります。典型的な設問はこうです。

「鶴と亀があわせて6匹います。足の数をたすと全部で20本でした。鶴は何羽いるでしょう。」

足の数を数えられるほどなら、その前に鶴の数ぐらいわかりそうなものなのに、と子供の頃思いました。

それに、鶴の足の数と亀の足の数を「たす」こと自体に違和感があります。

両者があまり似ていないからです。

たし算には、同じようなものの数を合計する、という原則があると思うのです。

「家にある、鶏卵の数と米粒の数の合計はどれくらいか?」

この設問の場合は、圧倒的に数の違うものを合計することに違和感があります。

「あなたの身長と体重を合計するといくらですか?」

次元の異なるものをたす違和感。というか誤り。

「一郎と二郎、あわせて三郎」

元々たせない。

それで思い出すのは、ずいぶん前にテレビでやっていたお笑い芸人対抗のクイズ番組。

10対15ぐらいの点差で迎えた最終問題。

「数字を含む有名人の名前を30秒間で書けるだけ書け」だいたいそんな問題でした。

その数字の合計がそのままポイントに加算され、最終の勝敗が決まるという設定。

一方のチームは、坂上二郎や野口五郎などを書いて、着実にポイントを加算。

ところがもう一方のチームは、いきなり村田兆治を書いて1兆点以上を獲得。この結末には大笑いしました。

ちなみに兆の上は、京、垓、・・・と続き、最後の方に「極」が登場します。

いつか同様のクイズが出たら、「京極夏彦」でキマリですね。

うるう年

Microsoftが運営するクラウドサービスで、2月29日に大規模な障害が起きました。

その原因は、「うるう年」に関する計算ミスだったとのこと。

なんだか、Excelで日数計算するのが不安になるようなニュースです。

ここで、グレゴリオ暦のおさらい。

(1)4で割り切れる年はうるう年

(2)ただし、100で割り切れる年は、うるう年ではない

(3)ただし、400で割り切れる年は、やっぱりうるう年

Microsoftは元々「うるう年」に弱いようです。

かつてExcelで、1900/2/29というあり得ない日付を入力してもエラーにはならなかったという「前歴」があるそうです。

今はどうなのか、私はMac派なので検証しようがありません。

しょうがないので、Macではどうなのか、Mac純正の表計算ソフトで調べてみました。

すると1600年までは、うるう年が正しく認識されましたが、1500年もまた、うるう年との判断。

グレゴリオ歴が1582年に制定されたので、1500年についてはユリウス歴に従ってうるう年と判断したとすれば、ずいぶん「深い」プログラムですね。

では逆に、未来の日付では、いつまで正しく認識されるのか。これも調べてみました。

その結果、西暦144680年までOK、144684年からはうるう年の認識がうまくいきません。

このまま放置すれば、14万2672年後に、Macでトラブルが起きる危険があります。

円周率

かつて円周率を小数点以下数十ケタ覚えたことがあります。いまでも40ケタぐらいは言えます。

どうでもいいことなのに、数十年を経過してもなお、忘れることができません。

新しい記憶はわりとすぐ忘れます。

ところで最近のニュースはなんと言っても、自作パソコンで円周率を5兆ケタまで計算した会社員の話題です。

大学や研究機関の人間ではなく、「会社員」が「自作パソコン」で算出したことに感動します。5兆という桁数も想像を絶します。

ギネス申請予定とのことですが、ギネスブックの事務局に何か「証拠」を提出する必要があるのでしょうか。

その場合にはDVDなどのデジタルメディアで提出すると思われますが、紙にも印刷して添付するように求められたとしたら、いったい何枚になるのか。

私はこのたび、「自宅パソコン」でそれを算出したので、ここにご紹介します。

A4の紙に、1行100文字で100行印刷したとします。1枚に1万ケタ印刷できます。

5兆割る1万で5億枚。

500枚で5cmの厚みとして、5億枚は500万cm=5万メートル=50km。

そもそも印刷するのに、1枚1秒として、5億秒=約16年かかります。

途中で紙の補給やトナー交換、いやプリンタそのものも交換・・・

とかやっている間に、ギネス記録が塗り替えらることは必至です。

統計

勤務医時代のある日、集中治療室(ICU)にいた5人の患者さんの平均年齢を計算してみました。

およそ30歳ぐらいでした。

30歳と言えば、体力が充実し活力に満ちた年齢のはず。

さては深夜の交通事故で負傷した若者たちが一度に担ぎ込まれたのか・・・と想像してみることもできます。

タネを明かすと、5人の内訳は乳児(0歳)3人と高齢者2人。

0+0+0+70+80を5で割って30といったところです。すべて心臓手術後の患者さんでした。

平均年齢30歳という統計値には、何の意味も無いどころか、間違った印象を与えることがよくわかる典型的な事例です。

テレビの報道番組や特集を見ていて、視聴者に誤解を与える(または誘導する)統計値をしばしば目にします。

縦軸の目盛りがゼロから始まっていない棒グラフを出すような番組を、私は信用しないことにしています。

数える

子供のころ、「21世紀」といえば「未来」と同義語であり夢の時代でした。

6年生の時、友達の中村君と「21世紀まであと何秒あるか正確に計算しよう」ということになりました。

昭和47年(1972)ごろの話です。電卓なんてありません。筆算です。

「うるう年を忘れるな!」とか言いながら、ついにその何億秒だかの答えに到達したのですが、意外にその数値が小さいことに驚いたものでした。

そして「これぐらいの数なら、数えられるかもしれん!今から数えてみよう!」と興奮したことを思い出します。

子供ですね。まともに数えたら21世紀になってしまうことに気づいていないのです。

ちなみに、21世紀が西暦2000年ではなく2001年から始まるということを知ったのは、それからさらに10年ぐらい後のことですけど。

大人になった今、計算する数値はたいてい単位が「円」です。必要に迫られた計算が多くて「夢」がないです。