花びらの絨毯

桜が満開を迎えています。通勤路(豊後街道)にもクリニック周囲にも桜の木が多くて、毎朝春を感じます。

実はわが家の庭にも、桜に似た花を咲かせる木が1本あって、3,4日前が満開でした。いまも咲いています。

これは11年前に亡くなった、わが家の先代の愛犬アンナのお墓の両側に植えた、2本の木のうちの1本です。

左側に植えた苗木は高さ1mぐらいの痩せた木になりましたが、右側の木はぐんぐん育ってもはや巨木です。

毎年この時期に、右の木は花が満開になり、やがて花びらが庭一面に散ります。いまがちょうどその時です。

そして毎年この時期、「何の花かねぇ」と家人と会話し、しかし何年経っても何の花かはわからぬまま。

花は桜よりもひと回り小さく、花びらの先は割れていませんが、色は桜とよく似た淡いピンクです。

人工芝の上に絨毯のように敷き詰められた花は、付近に土がないので、いつまでたっても綺麗です。

この木は時々実を付けます。小ぶりのモモのようですが、家人が食べてみると、かなり酸っぱかったそうです。

毎年のように、「何の実かねぇ」と家人と会話することになり、しかし何年経っても何の実かわからぬまま。

そんな年月を繰り返して来たのですが、今日になってついに、その木の、花の、実の正体が分かりました。

iPhoneの写真に情報が出ることを思い出したのです。さっき確かめたら「スモモ」だと判明。そうだったか。

ネットでスモモの木や花や実を確認したら、うちのとそっくりでした。そりゃ酸っぱかろう。

そういえば11年前、ナーセリーズで苗木を買った時に、スモモと書いてあったような記憶が蘇ってきました。

というわけで次は、左側の貧弱な木は、花も実も付けずにずっとそこにある木は、いったい何なのかと。

植物育成LEDライト

植物は、「光合成」によって地球上の二酸化炭素を減らしてくれます。

太陽光を使って二酸化炭素を減らし、ついでに食糧と酸素まで作ってしまう、とてもありがたい存在です。

わが家の庭には、驚くほどよく育っているシマトネリコが2本あり、夏場にはセミの巣窟と化します。

どうやら土壌と日当たりがことのほか良く、その茂った葉がちょうど、リビングの目隠しになっています。

一方でそのリビングにも、数本の観葉植物がありますが、シマトネリコのおかげで日当たりが不足しています。

そのうち窓際の特等席に鎮座している「コーヒーの木」は、例外的につやつやとした葉を茂らせています。

しかし残りの「ブラッサイア」「ゴムの木」「ドラセナ」「ベンジャミン」は、やや暗い壁際に並んでいます。

それら4本のうちでもとくに、熊本地震を生き延びた<a href="http://tsuruhara9linic.blog116.fc2.com/blog-entry-1435.html" target="_blank" title="ブラッサイア(ブラ坊)">ブラッサイア(ブラ坊)</a>が、最近元気がないのです。

ブラ坊と同時期に購入した<a href="http://tsuruhara9linic.blog116.fc2.com/blog-entry-1654.html" target="_blank" title="「カランコエ」(カランちゃん)">「カランコエ」(カランちゃん)</a>は、地震で脊椎を損傷して、鬼籍に入りました。

ワタシの分まで生きてと、カランちゃんに託された命ですから、ブラ坊には長生きをしてほしい。

日当たり問題をどうしたらよいのか、と考えて思いついたのが、植物育成LEDライトなのでした。

植物工場等で使われているほか、観葉植物用も販売されているようで、さっそくポチったら今日届きました。

光合成には、光の強度と照射時間のほか、その波長が大事です。

葉緑素がよく吸収する波長は660nm(赤色)と450nm(青色)だそうなので、その波長を含む照明器具が必要です。

購入したのは、その波長を含む「フルスペクトル」のLEDライトです。

光合成が最大となる「10時の太陽光」を模した光だといいます。点灯するととても眩しい光を放ちました。

そのフロアランプを壁際に設置して、4つの観葉植物たちを、いま真上から照らしてやっています。

夜になって照らし始めたので、ブラ坊たちは「まだ昼間だっけ?」などと戸惑っているかもしれません。

「概日リズム」などを考慮すると、あまり疲れさせたくはないので、深夜帯は消灯することにします。

ヘッジトリマー

晴天の日があったかと思えば、今度は雨ばかり。庭に雑草が生えまくり、生垣は伸び放題。

ときどき自分で庭木の剪定をしてますが、一度にやると疲れるので、今年はこまめにチョコチョコやってます。

剪定で私が使う「刃物」は、ノコギリ、剪定ばさみ、<a href="http://tsuruhara9linic.blog116.fc2.com/blog-entry-1481.html" target="_blank" title="高枝切りばさみ">高枝切りばさみ</a>、ヘッジトリマーの4点です。

ヘッジトリマーというのは、ノコギリザメみたいな、先の長い刈り込み機です。ヘッジとは生垣のこと。

素人なので、エンジン式なんて使いません。電動式です。数年前に、ハンズマンで買いました。

面白いように刈れるのですが、ずっと高い場所を刈っていると、腕が疲労します。

たまに近所の小学生が近寄ってくることがありますが、そのような時は作業を中断します。危険だからです。

子どもというのは、危険かどうかよりも、好奇心の方が優先するのです。

その、数年間使ってきたヘッジトリマーが、先日作業中に突然、故障しました。

よく見ると、刃の根元に枝が挟まっています。電動式は力が弱いので、太い枝が挟まると止まるのです。

ところが、ラジオペンチで枝を引き抜いても、トリマーは作動しません。オーバーヒートしたのでしょうか。

そろそろ買い替え時なのかもしれません。またハンズマンです。次に買うのは、もっと強いヤツにしよう。

とか思いながら、電源コードに目をやると、サクッと断線してるじゃないですか。

どうやら、トリマーでコードを切断してしまったようです。実はコレ、2度目。前回の失敗を忘れてました。

2本の銅線のうち、1本が完全に離断して、断面の銅がキラキラ輝いています。もう1本は無事のようです。

もしも、2本同時に刃物が接触すると、ショートしてブレーカーが落ちます。これは経験済みです。

小学生の頃、爪切りで電源コードを切ったらどうなるんだろうと、試したことがあります。

テレビのコードを、爪切りで挟んで切断してみたら、凄い音がして、火花が散って、ヒューズがとびました。

アマリリス

地震の少し後、わが家には新しい家族、フレンチブルドッグの「花」ちゃんがやって来ました。

子犬なので、やたらとはしゃぎ回ります。ジャンプしまくりです。ときどき二足歩行します。何でも噛みます。

噛ませるために与えたオモチャ以外のものを、おもに噛みたがります。カーテンとか飼い主の手などです。

最近は、やっと芽を出したばかりのアマリリスの、その芽を噛んだので、アマリリスは疎開させました。

「花」の話は後日書くとして、今日はアマリリスです。しかも歌の方。あの、ルイ13世が作曲したってやつ。

子どもの頃に習ったアマリリスの歌は、あまりにも単純すぎて、忘れようもありませんね。

フランス国王・ルイ13世って、調べてみたら、17世紀のヨーロッパに「かつら」を広めた人物らしいですね。

一説には、心痛のため脱毛症になってしまったのを隠すため、かつらをかぶったとか。

その国王の心情を察して、家臣たちもみなかつらをかぶり、次のルイ14世がさらに広めていったとのこと。

18世紀にはヨーロッパ中の貴族たちが使うようになったものの、フランス革命後は、廃れていったそうです。

音楽室の肖像画を思い出すと、バッハやヘンデルはロン毛のかつら、モーツアルトは短いかつらでした。

モーツアルトの頃が、ちょうどかつらの衰退期だったのでしょうか。作曲家の髪型も、時代を反映しています。

そのヘンデル級のロン毛かつらを、英国の裁判官たちがいまだに使い続けていることには、まったく驚きます。

さすがに2008年から、かつら着用は縮小されたとか。理由は「時代遅れ」。ウケる。

ただし刑事法廷では、いまだにかつら着用中。被告が裁判官の人物特定をできなくするためだと。なるほど。

(註記)今日も話題がずれましたが、これが私のスタイルなので、ご容赦願います。

ケヤキの落葉

樹木の剪定は、定期的に業者にお願いしていますが、自分でもときどき生垣などの手入れをします。

昨日は作業の前に、まず「高枝切りバサミ」を買おうと、朝からハンズマンに出かけました。

早朝なのに、ハンズマンの店内は大賑わい。大半は作業着の方々。現場に向かう前の物品購入でしょうか。

朝7時の開店時には、パンとコーヒーのサービスがあるのですが、7時10分に行ったらパンは品切れでした。

次に行くときは、7時前から駐車場で待つつもりで臨みましょう。

クリニックのシンボルツリーであるケヤキは、例年よりもだいぶ早く、すでに葉が色づいています。

普通の紅葉ではなく、先月の台風による「風害」なのです。葉先が縁取られたように茶色くなっています。

暴風に揺さぶられて根が傷んだ結果、ケヤキが自らを守るために、葉を枯らそうとしているのだといいます。

また、強風に吹かれ続けることで葉からの水分蒸散が多くなり、枯れてしまうこともあるそうです。

葉先が風でしごかれて傷つくと、よけい水分が抜けやすいともいわれます。

ケヤキの葉はどっちみち、冬までには全部、落葉します。これからしばらくの間は、朝の清掃が大変です。

落ち葉をかき集める毎日が続き、気がつくと、ケヤキはすっかり丸裸の、寒々しい格好になってしまいます。

でも3月ごろには芽吹いて、夏までには邪魔くさいほど葉が繁ります。不思議です。

カランちゃんとブラ坊

<a href="http://tsuruhara9linic.blog116.fc2.com/blog-entry-1430.html" target="_blank" title="予告">予告</a>した通り、先日は珍奇植物を買いに、園芸店に行きました。

あらためて売場をよく見ると、珍奇植物(おもに、変わった外観の多肉植物)がたくさんあるじゃないですか。

何度か来たことのある店なのに、そのようなものが陳列してあるとは、まったく気付いていませんでした。

興味がなかった時には見えなかったものが、興味を持つと、どんどん目に飛び込んで来ます。

ネット検索では気づきませんでしたが、珍奇植物はほとんどが小ぶりなものでした。これは意外。

今回はリビングに置く、サイズの大きなものが目的だったので、大型のものを探し、2点購入しました。

「カランコエ・ベハレンシス(Kalanchoe berarensis)」。別名「仙女の舞」。一目惚れです。

その園芸店内でも、格別な珍奇度の、異様なオーラを放っていました。

ちょうど脊椎のように節くれだった幹がそそり立ち、キクラゲのような葉が、カゴ状に丸くまとまっています。

あー、こういう話って、画像が無いと、どうにもなりませんね。

「ブラッサイア(Schefflera actinophylla)」。「バッサイア」とも。

まっすぐ立ってたら何の変哲も無い観葉植物なのですが、異様に曲がりくねってひどく奇妙なので買いました。

人工的に曲げたのではありません。沖縄で、風雨にさらされて自然に曲がってしまったそうです。

その曲がりくねったへなちょこな植物も、うやうやしく設置すれば、まるで盆栽のように風格があるのです。

その2つの珍奇植物が、本日自宅に届きました。愛称は、カランちゃんとブラ坊に決定。

わが家のリビングの雰囲気が、かなり珍奇になってきました。

チンキ植物

新聞の下の方に、新刊本や雑誌の広告が出てますが、昨日は雑誌「BRUTUS」の広告が、目を引きました。

「珍奇植物」の4文字。BRUTUS最新号の特集が。なにそれ。恥ずかしながら、初耳でした。

その字面から、怪奇生物のような、何かおどろおどろしいものを想像してしまいました。

「チンキ」という読みにも、ヨードチンキとかタムシチンキを連想させる、変なイメージがあります。

「珍奇」を辞書で引けば、めずらしく奇妙なこと、と。珍奇=珍+奇、そのまんまじゃないですか。

「珍」は、元は宝の意味らしいですが、やがて異様なもの、という意味も加わったようです。

「奇」は、元は片寄るという意味でしたが、やがてあやしい、という意味などが加わります。

つまり珍奇植物とは、珍しいだけでなく異様で、しかも怪しい植物なのでしょう。

そんなことはともかく、さっそくBRUTUSを購入。いやそれも待ちきれず、ネット検索です。

まあ、面白い植物たちですね、珍奇植物。はまる人もいることが、うなずけます。

その詳細について、珍奇植物シロウトの私が、知った風なことを書いてもしょうがないので、書きません。

植物に限らず、動物でも鉱物でも、文学でも芸術でも、世の中には珍奇なモノが、たくさんあります。

でもそのうち、手元に置けて、逃げ出さず、しかも育てる楽しみがあるのが、植物なんでしょうね。

リビングの、当たり障りのない観葉植物よりも、バルコニーに珍奇植物を置く方が、面白味はありそうです。

少しだけ、はまってみます。明日は、買い出しです。

パキラに水やり

毎朝、クリニックのパキラに水をやります。挿し木から芽を出し始めたばかりの、伸び盛りの子どもたちです。

日に日に成長しているパキラに私は目を細めて、「お水あげようね〜」などと口にしているかもしれません。

植物に水を「やる」とか、ペットにエサを「やる」と言わず、水やエサを「あげる」と言う場合があります。

「遣る(やる)」という言葉は、「目下の者や動植物などに、何かを与える」という意味で使われます。

なので「あげる」というのは、相手を自分と対等と考えた、愛情あふれる表現なのです。

私の場合、第三人称としての動植物には「やる」を使うのに、直接相対すると「あげる」になるようです。

目下の者に対して使う「やる」ですが、昔は、対等な相手にも使っていたそうです。

一方で「あげる」も、昔は目上の人に差し出す意味だったそうですが、いまでは対等か目下相手の言葉です。

どうやら敬語は、長い間使われていくうちに、だんだんと敬語の程度が低下していくようです。

たとえば「食べる」は「食う」の謙譲語または丁寧語だったそうですが、すでに尊敬意識は失われています。

おかげで「食う」は、相対的に丁寧度の低い言葉になってしまいました。

そのうち、植物に水を「あげる」、犬にエサを「あげる」が、普通の使われ方になるのでしょう。

エサを「やる」などと言ったものなら、動物愛護の精神にもとると、叱られそうです。

庭木の成長と剪定

クリニックの、樹木や植込みの剪定をしました。もちろん私がしたのではなく、造園業者に依頼したのです。

春からの草木の伸びが著しく、年末と梅雨明けの、年に2回の剪定では、間に合わないようです。

害虫などが見つかれば、それらの駆除や消毒も、剪定のときに行います。

今日見つかった害虫は「イラガ」です。「アラカシ」という、ドングリの木にいました。駆除しました。

イラガに触れると、激しく痛み、ひどい皮膚炎を起こすことで知られます。別名「デンキムシ」とか。

低木で「アシナガバチ」の巣が見つかりました。敷地内に住まわせるわけにはいきません。駆除です。

裏の竹にはまた「<a href="http://tsuruhara9linic.blog116.fc2.com/blog-entry-656.html" target="_blank" title="ハマキムシ">ハマキムシ</a>」がいました。竹の葉が、葉巻のように丸まっているので、すぐわかります。

1カ月ほど前に、庭の片隅で、オレンジ色のラッパのような形の花を咲かせた、つる草を見つけました。

そばに黄色いつぼみが密集していて、そこには蟻がたかっています。さぞかし、蜜の甘い花なのでしょう。

「庭 花 オレンジ つる」でググって、画像検索したら、「アメリカノウゼンカズラ」と判明しました。

この奇妙な花も、今日の剪定ですっかり除去されてしまいました。来年また咲くかどうかは、わかりません。

剪定後の庭は、スッキリを通り越して丸裸な感じですが、どうせすぐ繁ることは、わかっています。

気温なのか、日差しなのか、降水量なのか、体内時計なのか。この時期の植物は、ほんとによく伸びます。

先日挿し木したパキラも、今週から次々と芽が出始めています。すべての植物に、強い生命力を感じます。

ガマの穂

庭掃除をしていると、<a href="http://tsuruhara9linic.blog116.fc2.com/blog-entry-660.html" target="_blank" title="セミ">セミ</a>の抜け殻をあちこちで見つけます。気がつけば、朝からセミが鳴いています。

熊本は昨日おとといと、2日連続の猛暑日でした。夏が近づいてきました。うなぎが食べたくなります。

うな重かうな丼かせいろ蒸しか、食べ方の形態は様々ですが、最近私は、<a href="http://tsuruhara9linic.blog116.fc2.com/blog-entry-1022.html" target="_blank" title="ひつまぶし">ひつまぶし</a>が好みです。

ただ、旨さの主体はうなぎの「蒲焼き」と「たれ」であって、どのように食べても、基本的な味は同じはず。

なぜ「蒲焼き」というのか、ということについて、ここで受け売りを書き連ねても芸がありません。

おもな説をひとつ挙げるなら、串刺ししたうなぎが、「蒲(ガマ)の穂」に似ているからだといいます。

その、ガマの穂ですが、最近見かけませんね。私の周囲にないだけか、それとも私の観察力不足なのか。

小学生の頃、自宅の裏には広い湿地があって、無数のガマが生えていました。

ある季節になると、茶色いガマの穂が、あたり一面、見渡す限り広がって、異様な光景でした。

当時は、ガマの穂に触りたくて仕方なかったのですが、湿地が危なくて、近寄れませんでした。

それから50年近くたちましたが、いまだにガマの穂には、触ったことがありません。

「蒲鉾(かまぼこ)」の由来も、すり身を竹に巻いて焼いたものが、ガマの穂に似ているからだそうですね。

しかし蒲焼きにしても蒲鉾にしても、いまのものは、あまりガマの穂に似ているとは思えません。

色合いと質感が似ているのは、アメリカンドッグでしょう。別名「蒲揚げ(かばあげ)」と言ってもいい。