厳冬期の大学入試

「本来不合格の受験生が合格」<a href="http://tsuruhara9linic.blog116.fc2.com/blog-entry-2288.html" target="_blank" title="大阪大・入試ミス">大阪大・入試ミス</a>

 大阪大が昨年2月に実施した入試の物理科目でミスがあり、本来合格していた30人を不合格にしていた問題で、本来不合格だったのに合格となった受験生が同数程度いたことが8日、大学関係者への取材で分かった。

 阪大は「入学した学生に資格はなく、本人に通知する」として合格を取り消す方針。同大はさらに、これらの学生がこれまでに大学で学んだ知識についても、返還または忘却を求めることを明らかにした。

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悪ノリして「虚構新聞」風の文章を書きました。すみません。でも前半部分は実在の新聞記事からの転載です。

Facebookでも指摘されてましたが、どうして「本来不合格者」を新聞ネタにする必要があるのでしょうね。

そこは普通、触れないところですよ、日本人なら。そもそも、記事として書く社会的意義(正義)がない。

実際には大阪大は、「学生に落ち度はない」として合格を取り消さず、通知もしない方針とのこと。当然です。

それよりも、落ち度のあった教官や大学職員の資格についてこそ、検討すべきです。

大学入試の合否は、その学生の人生に大きく影響します。

不合格という結果が、自分の学力不足が原因ならともかく、他人のミスが原因では納得しがたいでしょう。

しかし、いまの環境で頑張りたいと大阪大への転入学を希望しない学生もいて、その前向きな姿に打たれます。

インフルエンザが流行しているこの時期、今週に入って私がインフルエンザと診断した受験生がいました。

土曜日から始まるセンター試験を、受験できるかどうかの瀬戸際。追試験を受けることになるかもしれません。

いくら万全の体調管理をしていても、入試は厳冬期に行われ、インフルエンザの流行期と重なります。

大学の秋季入学構想とは別に、試験日だけでも少しずらすわけにはいきませんかね。

入試の出題トラブル

大阪大学の昨年の入学試験で、物理の問題に問題があった問題は、かなり問題ですね。

出題ミスそのものもさることながら、指摘を受けた大学側の対応も、遅すぎました。

本来なら合格していたはずの30人が追加合格となるようですが、それぞれ事情があり悲喜こもごもでしょう。

(1)他大学に入学していた人

いまの大学で青春を謳歌していた若者がいまさら、大阪大に転入学できますよ、と言われてもね。

うれしさ100%、というわけにもいかないでしょう。こういうことは、もっと早く決めてくれないと。

(2)浪人中の人

今期も大阪大の受験を予定していた方にとっては、腰砕けになりそうな顛末ですね。時間を返せと言いたい。

さらに上を目指して猛勉強中の受験生もいるでしょう。大阪大などに行くものかと、闘争心を燃やすかも。

入試問題作成者の不注意と、誤りに対する大学側の謙虚かつ迅速な対応の欠除が、今回の悲劇を生みました。

昨年6月と8月にも外部から指摘を受けていたのに、12月に指摘を受けるまで再検討をしなかったのは遅すぎ。

検証のため、件の入試問題をネット検索してみました。興味と暇のある方はググってみてください。

反射音で音が大きく聞こえるときの、音叉と壁の距離「 d 」と波長「 λ 」の関係を数式で表せというもの。

素直な気持ちで解くと、まず「 2d = nλ 」という式が思い浮かびますが、当初これは不正解だったようです。

大阪大の当初の正答は「 2d = (n-1/2)λ 」だったそうですが、私にはどうしても真逆にしか思えません。

今回、「 2d = nλ」も「 2d = (n-1)λ 」も「 2d = (n-1/2)λ」も全部正答にするというのも、一層不可解。

残念ながら、これ以上は私も解説する能力がありませんけど、ともかく、受験生が振りまわされたことは確か。

入試問題は、慎重な作成は当然ですが、万一誤りを指摘されたときの、その対応の早さが何より大事です。

うんこ漢字ドリル

小学生向けの「うんこ漢字ドリル」(文響社)が、発行部数100万部を超えるベストセラーになっている件。

すべての必修漢字に対して3つずつ、必ず「うんこ」を使った例文を掲載しているとは、恐れ入ります。

作者は毎日「うんこ漬け(=うんこのことばかり考えてる)」だったとか。

小学生向けの教育書籍なので、品位を落とさないように、次のような点に工夫したと作者が言ってます。

(1)想像すると嫌悪されるような例文は避ける:「カレーだと思って食べたらうんこだった」はダメ

(2)具体性を極力そぎ落とし抽象化する:「春らしい色のうんこだ」(さわやか)

(3)いじめにつながる文は避ける:「友だちのカバンにうんこを入れた」(ダメ)

(4)ポジティブな例文:「君のうんこを見たおかげで元気になった」(ポジティブ!)

さっそく今日は仕事の後で、「例文」を立ち読みしに、サンピアンの明林堂書店に寄ってみました。

ところがなんと、6年生用が数冊売れ残っている他には、1年生用から5年生用まで全部売り切れ。

これはマズイ。買ってオカナケレバ。あわててその6年生用を購入。こうなると、他の学年用も買うしかない。

すぐに紀伊國屋書店に向かうと、3年生用と5年生用の在庫あり。緊急購入。

さらに別の書店にも行きましたが、1,2年生用と4年生用はついに、入手できませんでした。

ていうか、一冊も買う予定じゃなかったのに、品薄であることで冷静さを失い、3冊も買ってしまった。

帰宅してすぐ全部読んでみましたが、よくもまあここまで「うんこ」に徹したものです。あっぱれ。

作者と出版社の悪ノリに思えてなりませんが、それを買おうというノリの人間もまた、多いようです。私も。

さて、二匹目のドジョウを狙うとしたら、今度はどんなドリルを作ればいいでしょうね。

新テストに記述式導入

明日から、<a href="http://tsuruhara9linic.blog116.fc2.com/blog-entry-1209.html" target="_blank" title="センター試験">センター試験</a>が始まります。東日本では大雪になるかもしれないとのこと。心配です。

そのセンター試験が、4年後には「学力評価テスト(?)」に変わり、記述式問題が導入される方向のようです。

現行の「マークシート式」では、思考の過程や結果を表現する力が十分に評価できない、という理由からです。

だから違うって。共通テストでも評価テストでも、名前はどうでもいいですが、目的を見失ってはいけません。

受験生の能力を、可能な限り公平に客観的に評価するのが、一次試験の目的じゃないのですか。

そのためには、できるだけ幅広い範囲にわたって、できるだけ多くの設問を解かせるしかないでしょう。

問題数を減らせば当たり外れが出て、受験生の間に不公平が生じてしまいます。

記述式問題を導入すれば、まず間違いなく問題数が減ります。それだけでも公平さが失われます。

さらに記述式は、採点者によるばらつきの問題が懸念されます。

ばらつきを減らして公平な採点を行うために、細かいチェックポイントが設定されることになるでしょう。

設問を正しく把握したか、思考過程に特定のキーワードが含まれているか、結論が正しいか、などでしょうか。

つまり、解答は記述式でも、採点はあくまで客観式なのです。実質的には、面倒くさい客観テストなのです。

全国規模の記述式問題の解答を、公平かつ効率的に採点するためには、仕方のないことです。

ならば、今まで通りの客観テスト(マークシート式)でいいじゃないですか。

思考過程を評価したいなら、そのような設問を工夫して作ればいいだけの話。これは出題者側の問題ですよ。

そもそも、深い思考力や表現力は<a href="http://tsuruhara9linic.blog116.fc2.com/blog-entry-1117.html" target="_blank" title="二次試験">二次試験</a>で求めるもの。どうして一次試験をややこしくするんでしょうね。

大坂冬の陣

『真田丸』はついに今夜、「大坂冬の陣」に突入しました。

先週の、オープニングテーマをエンディングに使うという驚きの構成は、三谷幸喜の思いつきだったとか。

さて、「大坂の陣」には「冬の陣」と「夏の陣」があります。夏の陣よりも、冬の陣の方が先です。

前に「アメトーーク」の「勉強しかしてこなかった芸人」でやってましたね、「そこは逆」と覚えるのだと。

実際に私も高校の頃、そのように覚えました。何かを覚えるときは、その連想を助けるものがあれば楽です。

夏の陣の方が先であれば「季節の順」と覚えれば済むのですが、その反対なので、「そこは逆」となるのです。

実はこの手法は、一歩間違えると混乱を招く危険があります。

とくに私の場合、逆の順に覚えてはならないケースで、「そこは逆じゃない」と念押しする癖があるのです。

それが災いして記憶が曖昧になり、「結局、逆なのか、逆じゃないのか?」という疑念が残ってしまいます。

いったん「逆」か「逆じゃない」のかに疑念が生じると、もはやいつまでたっても、記憶に自信が持てません。

血液型(ABO型)の検査は、私が研修医の頃までは、病棟で主治医が行っていました。

その時に、A型で凝集する青い試薬と、B型で凝集する黄色の試薬を用います。その色には覚え方があります。

「青はaoだからAと覚える」という記憶法を、友人の誰かが提唱しました。これはいい。みんな大絶賛です。

それで済ませておけば良かったのですが、私は調子に乗って、別の覚え方を提案してしまったのです。

「青はblueだけどBじゃないと覚えてもいい」

私は友人たちのブーイングに遭い、おまけに私はその後、試薬の色ではいつも迷うようになってしまいました。

混乱を招くような記憶法は、たとえ思いついても、決して口にはしないことです。

家庭教師

「家庭教師のトライ」のCM。アルプスの少女ハイジのシリーズ。最近は少々、おふざけが過ぎませんか。

今やってるのは、トライの割引の大きさに驚いて、おじいさんがあやうく「昇天」しそうになるやつ。

その昇天シーンが面白くて、ハイジが何度も催促するという、まことに不謹慎なCMです。

そんなCM流すから、社長の母親が昇天したんじゃないの?、と言いたくもなります。

家庭教師と言えば私も、学生時代に2人ほど教えました。ひとりは中学生で3年間。もう1人は高校生を1年間。

あとで振り返ると、2人とも比較的裕福な家の長女というところが共通していました。

残念ながらその2人に対して私は、成績とか学力を伸ばすという意味では、ほとんど役に立ちませんでした。

カリキュラムなんてないし、教える内容も行き当たりばったり。時間配分は、勉強5割、雑談3割、お茶2割。

ただ、勉強に1週間周期のリズムを付けるという、一種のペースメーカーぐらいにはなったかと思う程度です。

予備校や塾と比較すると、家庭教師ではとくに、その教師個人の、教えること以外の能力が重要だと思います。

生徒との相性だけでなく、その生徒の両親も含めた、家族全員とのかかわりが必要だからです。

なにしろ毎週毎週、家庭訪問をしているようなもの。母親と話をしたり、帰る頃には父親とも顔を合わせます。

ときには家族みんなと一緒に夕食をとり、父親と酒を飲み、休日にはBBQなどに呼ばれます。

さまざまな相談に乗り、とくに進路については、子どもの希望と両親の思いのギャップを埋める努力もします。

このように家庭に介入することも、家庭教師ならではの仕事かもしれませんね。

東大理三面接試験導入へ

東大理科三類が、2年後の入学試験から、面接を導入する方針だと報じられました。

「医師になるのにふさわしい資質のある学生を、学力だけでなく多面的に選抜するため」だといいます。

良い話みたいに聞こえますが、ツッコミどころ満載です。

(1)これまでの選抜法ではダメだったと、東大が認めたのか

つまり、いま東大病院には、医師になるのにふさわしい資質のない医師が、うじゃうじゃいるわけですか。

(2)面接で、医師の適性は見抜けるのか

面接で見るのは、第1にコミュニケーション能力。たしかにそれは、医師としての必要条件かもしれません。

しかし十分条件ではないはず。面接内容が学力試験の結果よりも優先する、なんてことはないでしょう。

東大は、「医師になるのにふさわしい人物」を選ぶ目的で面接を行うつもりは、さらさらないのです。

たぶん、「医師になるのにふさわしくない人物」を選別して落とすために、面接をしたいのでしょう。

一般的に面接試験には、そのような側面があります。

東大理三は、1999年から2007年まで、面接試験を実施していました。

それをやめたのは「臨床研修制度によって人物評価ができる」という理由からでした。

再導入する理由は「臨床研修制度では人物評価ができなかった(または手遅れだった)」からなのでしょうね。

しかし理三ともなると、医師には不向きでも、研究には驚くべき能力を発揮する天才がいるかもしれません。

そのような逸材を引き受けるのが、東大医学部の役割であるのなら、面接は止めた方が良いと思うのですが。

医学部入試の小論文

医学部の入学試験では、しばしば小論文が課されます。しかし私はそれを、誤解していました。

テーマはたいてい、ありがちな医療問題なんだろうと、勝手にそう思っていました。たとえば昨年の、

関西医科大「高齢化社会と医療について」とか、久留米大「高齢化社会における医師の役割」のように。

ところが、もっとずっと面白い(奇抜な)課題を出す大学があることを、つい最近知りました。

順天堂大は、階段を昇っていく男性の後ろ姿と、手前には印象的な赤い風船が2つある絵を提示して、

「キング・クロス駅の写真です。あなたの感じるところを800字以内で述べてください」

東海大は、『赤毛のアン』の抜粋を提示して、

「これを読んで感じたことについて、具体的な例や経験を交えて述べてください」

杏林大にいたっては、

「うそも方便ということわざについて論じてください(60分/800字)」

医学部の入試に限るなら、小論文試験に求められるのは、次のようなことじゃないでしょうか。

(1)出題の意図を理解し、論理的かつ常識的な作文ができる(へんてこりんな文章を書かない)

(2)医師となる自覚と良心を感じさせる(こじつけでも、医学や医療や健康に関連する内容を盛り込む)

(3)うわべの論評ではなく、自分の経験談(苦悩した後に克服)などの、具体的なエピソードを挿入する

もちろん、経験談なんて創作でいいでしょう。なぜならこれは面接ではなく、小論文。つまり作文だからです。

持病を克服したとか、家族を介護したとか、持ちネタのある者だけが高く評価されたのでは、不公平です。

小論文は、自分の人間性や価値観をさらけ出す場であって、苦労経験のありなしを問うものではないはず。

自分を売り込むためなら、経験談を捏造することなど、うそも方便なのです。

・・・という答案では、どうでしょうか、杏林大学の方(ここまで794字)。

努力を惜しまない

日ごろの医学分野の勉強は、教科書や医学雑誌よりも、ネットの方が圧倒的に便利です。

医学系の会員制サイトが、充実しているのです。とは言え、つまみ食い的に、好きな分野だけ閲覧してますが。

そう言えば学生時代も、興味のない分野は少し手を抜いて、好きな科目ばかり勉強していた思い出があります。

いかに最小限の勉強で試験を乗り切るか、そればかりを考えていました。

努力を惜しむな、とはいいますが、要領よく勉強する努力だけは、惜しんでいなかったのす。

日ごろはあまり読書などしないくせに、試験前になると、歴史小説などを読みふけったりしました。

気を取り直して医学参考書を読んでいるときにも、欄外のこぼれ話にばかり、目が行きます。

翌日が呼吸器の試験であれば、なぜか内分泌の参考書を精読し始め、しかもそれがすごく面白かったりします。

その時々で、いちばん必要なことを差し置いて、それ以外の何かに興味を見出すのが得意(?)でした。

現実逃避だったのでしょうか。あるいは、へそ曲がりだったのかもしれません。

最近は、試験と名の付くものからも遠ざかり、勉強はつねに興味本位でするのみ。これがいちばん楽しい。

いまでも何か、新しい興味を見つける努力は、惜しんでいません。

コサイン教えて何になる

「コサイン教えて何になる」 朝日新聞の見出し。語呂がいいですね。

「サイン教えて何になる」なら七五調で、さらに良いのですが、今回はあえて「コサイン」です。

「サイン」には別の意味もあるので避けて、三角関数の意味しかない「コサイン」を選んだのでしょう。

「高校教育で女子に、サイン、コサイン、タンジェントを教えて何になるのか」

鹿児島県の伊藤知事のこの発言が、波紋を呼んでいます。

知事は発言を撤回し「私もサイン、コサインを人生で1回使いました」と釈明したそうですが、逆に苦しい。

「サイン、コサイン」って、使った回数を覚えておくようなものですか?、しかも1回だけ?

じゃあその、人生で1回だけ使ったという、その「用途」を説明してもらいたいものです。

今回のニュースを聞いて、昔のカシオの関数電卓の、CMのフレーズを思い出しました。

「サイン、コサイン、タンジェント、ログ、エルエヌ、ルート、パイ、カシオで一発ワンタッチ 」てやつ。

ああ、あったあった、と思い出した方は、50代以上です、間違いなく。

「サイン、コサイン」の、文学的用例を探していたら、夏目漱石の『人生』という著作を見つけました。

旧制第五高等学校(いまの熊大)の校友会誌「龍南会雑誌」に、漱石が明治29年に寄稿した論説です。

「(前略)人生は一個の理窟に纏(まと)め得るものにあらずして、小説は一個の理窟を暗示するに過ぎざる以上は、『サイン』『コサイン』を使用して三角形の高さを測ると一般なり、吾人の心中には底なき三角形あり、二辺並行せる三角形あるを奈何(いかん)せん(後略)」

残念ながら、正確には解釈できませんが、「サイン」「コサイン」の位置づけが、なんとなくわかります。

「底なき三角形」に対しては、「コサイン」が使えません。知事の言いたかったことも、少し理解できます。