大人になっても勉強があるのです

受験生時代の夢を、ときどき見ます。数日前にも見ました。

「共通一次」を翌日に控えた晩に、「あっ、日本史勉強するの忘れてたっ!」というもの。

いまでこそ大好きな日本史ですが、受験時代にはどうしても後回しにしがちな科目だったのです。

後回しにしてたら手を付けるのを忘れてしまい、それを試験前日になって思い出したというトンマな話です。

日本史の参考書を手にして、さて、明日までに読めるのか、読めるかいっ、ていうところで目が覚めました。

「よかった、受験は終わってた。大学入ったし、なんなら卒業もしたし、もう大人だし」と安堵しました。

で、その後でいつも思うのは、こういう夢って、いったい何を暗示してるんだろう、ということです。

たしかに日頃から、自分の勉強不足は痛感しています。また日常的に、何かの締切にも追われています。

生涯学習は医者に限りませんが、日々精進して、医学や医療の知識をアップデートしなければなりません。

でも本心では、いまさら弱点を補強するよりも、得意分野をもっと補強したい。好きなことを極めたいですね。

それは仕事(診療)に限らず、ていうかむしろ仕事以外で、精力を注ぎ没頭できるような何か。

期限が迫っているとすれば、それは自分の記憶力や思考力や体力の限界であり、つまり健康寿命です。

そんなことを近年考えているものだから、やり損ねた勉強に焦るような夢をよく見るのかもしれません。

近現代史よりも古代史が好き

数年前、中公新書の『応仁の乱』(呉座勇一著)が、ベストセラーになったことがあります。

複雑であまり面白くない戦乱を、ただ真面目に書いた本がなぜか売れたということで、当時話題になりました。

残念ながら私は、話題に乗って即買いしたもののあまりにも面白くなくて、もう何年も積ん読状態です。

このような、「○○の乱」というのは過去にいくつかあって、それぞれ日本史上とても重要な出来事ですね。

主なものを時代順に並べると、磐井の乱→壬申の乱→平将門の乱→保元の乱→平治の乱→承久の乱→応仁の乱、

さらに、島原の乱→由井正雪の乱→大塩平八郎の乱→佐賀の乱→加藤の乱、となります。

中学校の時の担任の中塚先生(社会科教諭)の持論は、「歴史は原因(背景)と結果(影響)だ」でした。

たしかにそうです。歴史は途切れず、古代、いや旧石器時代から、ずっと連なっているはずです。

いま『データサイエンスが解く邪馬台国 北部九州説はゆるがない』(安本美典著、朝日新書)を読んでいます。

歴史の読み物は、著者の自説に基づく記載なので、その点を考慮した上で読む必要があります。

読者にしても持論に近い本を読んだ方が気分が良いので、私が読む邪馬台国本も北部九州説のものです。

そして読めば読むほど、やっぱり九州じゃん、と考えが強まる(ますます偏る?)ことになるわけです。

「スクール図解百科事典」

オリオン座の「ベテルギウス」が、もうじき寿命を迎えて超新星爆発を起こすらしい、と書いたのは<a href="http://tsuruhara9linic.blog116.fc2.com/blog-entry-163.html" target="_blank" title="11年前">11年前</a>。

<a href="http://tsuruhara9linic.blog116.fc2.com/blog-entry-707.html" target="_blank" title="その翌年">その翌年</a>には、急に膨張してきており状況は緊迫してきた、とも書きました。

その後、私はベテルギウスのことはすっかり忘れていましたが、この2,3年の間に色々あったようですね。

2019年末、「武漢肺炎」が発生した頃、ベテルギウスが急に暗くなる「減光現象」が起きたようです。

いよいよ寿命か、「超新星爆発」かと、一部では騒がれていたそうですね。私は知りませんでしたが。

さいわい明るさは徐々に回復し、それどころか以前よりも明るくなっているようです。

「変光星」の脈動周期が変わったためだと説明されていますが、これこそ大爆発の予兆だと騒ぐ人もいます。

私はこの星の名前を、6歳の頃に父に買ってもらった「スクール図解百科事典」(講談社)で知りました。

当時、この図鑑のシリーズ数冊(宇宙や動植物や人体など)を、私は毎日毎日読んでいました。

リアルに描かれた、太陽よりもずっと巨大なベテルギウスのイラストは、私にはあまりにも衝撃的でした。

台風や雷のメカニズムや恐ろしさも、目に焼き付いたおどろおどろしいイラストと共に記憶に残りました。

脳や心臓についても、子どもなりに強い興味を覚えたのは、やはりイラストの力でしょう。

そして私の学年が上がっていくと、こんどは本文を何度も読み込むようになったものでした。

いまなら、書籍やネットから得られる情報は無限にありますが、当時の私の情報源はこの図鑑だけでした。

しかし、限られた本を徹底的に読み込んだことで、むしろ体系的に知識を得ることができたと思っています。

逆に最近の子どもたちは、得られる情報が多過ぎて、知識が薄っぺらになりはしないかと心配になります。

地理も歴史も、なぜか大人になってから好きになります

高校の「地理A」と「地理B」が統合されて「地理総合」が新設され、地理が必履修科目に返り咲きます。

A+Bだけど「地理AB」じゃない。じゃあ単なる「地理」でいいのに「地理総合」とはコレいかに。

と思ったのですが、「地理総合」で学んだ後に、さらに深い学習を行う「地理探求」も設置されるようですね。

同様に歴史は、必履修科目「歴史総合」に加えて、「日本史探究」と「世界史探究」が設置されます。

さすがに地理は、「日本地理探求」と「世界地理探求」に分けられなかったようですね。それは良かった。

私は地理も日本史も世界史も履修しましたが、地理がいちばん手こずった思い出があります。

時間の流れという縦軸が存在する「歴史」とは異なり、軸もなく果てしなく広がる「地理」は苦手でした。

実生活では、初めての土地に旅行するときに、国内でも海外でも、旅先の地理や歴史を少し予習しますよね。

まずは場所。隣接地域との位置関係。そこに至る交通手段。そして地形や自然などのブラタモリ的アプローチ。

それらの、地理的予習に次いで歴史、さらに産業や文化・娯楽までおさらいしてから、旅行に出発します。

で、家に帰ったらこんどは写真と動画の整理。こまめな方ならデジタルアルバムまで作ったりするでしょう。

考えてみると旅行って、地理と歴史の予習と実践と復習なんですね。だから記憶には強く定着する。

一方で学校の授業は、実戦を伴わないからイメージしにくいし定着しにくい。それでも無理くり暗記する。

歴史文学やドラマや紀行番組が、勉強の助けになるんでしょうけど、私は高校時代にはあまり見ませんでした。

受験が終わって大人になってから、俄然、地理や歴史が好きになったのは、まったく皮肉な話です。

多肢一択式の問題

うっかりして、センター試験ネタを書くのを忘れてました。今年も、地理や歴史の問題にケチを付けねば。

で、その「<a href="http://tsuruhara9linic.blog116.fc2.com/blog-entry-2666.html" target="_blank" title="世界史B">世界史B</a>」ですが、出題内容がひどくつまらなかったので、個別には取り上げずに総論でいきます。

設問は、テーマ別に第1問から第4問、それぞれに3つの文章ABC、各文章ごとに3つの「問」という構造。

すなわち、全部で4x3x3=36の問が用意してあります。もちろん全部、多肢一択式。

選択肢の形式は、こまかく分けると次の6パターンでした。

(1)正しいものを一つ選べ(21問)

(2)最も適当なものを一つ選べ(4問)

(3)正誤の組み合わせとして正しいものを一つ選べ(4問)

(4)組み合わせとして正しいものを一つ選べ(3問)

(5)年代の古いものから順に正しく配列されているものを一つ選べ(1問)

(6)誤っているものを一つ選べ(3問)

このうち(1)と(2)の違いがよく分かりませんが、たぶん(2)は良問じゃありませんね。

また(3)や(4)は、いたずらに複雑な選択肢にしてあるところが不親切で不適切。悪問の範疇でしょう。

ところで、選択肢の全てについて正しい知識がなければ解けないのは、(3)(4)(5)だけです。

例えば(1)(2)は、たまたま正しい選択肢がわかりさえすれば、あとは何も知らなくても解けます。

同様に(6)は、確実に誤っているものさえわかれば、残りの選択肢についての知識はなくても正解できます。

知識量に比例した得点を与えられない設問は不公平であり、多肢一択式問題は原理的に不適切と言えます。

地理や歴史の客観式試験問題で最も適切な出題形式は、やはり単純な正誤問題の羅列でしょう。

これに、誤答は正答の得点から減点する採点方式を組み合わせるのが、いちばん公平だと思います。

記述式は白紙へ

来年度から新たに始まる「大学入学共通テスト」の国語と数学の<a href="http://tsuruhara9linic.blog116.fc2.com/blog-entry-2957.html" target="_blank" title="記述式問題">記述式問題</a>は、ついに見送りとなりました。

だから何度も言ったでしょう。大人数が受検する一次試験に、記述式は無理だって(言ったっけ?)。

深い思考力や表現力は二次試験で評価すればいいのです。一次試験は客観評価に徹すればいいじゃないですか。

採点の迅速化と公平性のために、記述式問題の解答形式、たとえば文字数には、どうしても制限が付きます。

模範解答にどれだけ近い文章を書けるかが重要で、記述式とは名ばかりの、定型文解答が求められます。

このような問題は数年前からわかっていたのに、その懸念を無視して、文科省はここまで突き進んできました。

日経のコラムはこれを「空気の仕業」と書いていましたが、日本人はまさに「空気を読む」民族なのです。

完全に確定していたその流れが見事に覆ったのは、良くも悪しくも、萩生田文科相のおかげだと思います。

萩生田はまず、例の「<a href="http://tsuruhara9linic.blog116.fc2.com/blog-entry-2950.html" target="_blank" title="身の丈発言">身の丈発言</a>」によって入試制度改革の問題を提起し、世論を効果的に刺激しました。

次いで自身への批判をかわすかのように、英語の民間試験の導入延期を打ち出し、世間をあっと言わせました。

さらに記述式問題の採点については、ツッコミどころ満載の発言を次々に繰り出し、世論を醸成してきました。

そしてついに「ちゃぶ台返し」です。これが果たせたのは、首相の側近という実力者であればこそ。

受験生にはいい迷惑でしたが、記述式試験導入後に混乱するよりは、マシだったかもしれません。

読解力をどう鍛えるか

日本の子どもの文章「読解力」が落ちていると、あちこちで報じられています。

OECDが世界中の15歳を対象に行った「学習到達度調査(PISA)」の結果発表を受けたものです。

日本は「科学的応用力」や「数学的応用力」は良かったものの、「読解力」では順位を大きく下げました。

その「読解力」の設問の一部が公開されましたが、解いてみるとなかなか楽しい、良問ですよね。

ラパヌイ島(イースター島)のモアイ像の運搬に関連した、ネット上の書評やブログを題材にした出題です。

このような興味深い題材を選んだセンスがいい。試験はこうでなくっちゃと思います。

それにしても、こんな試験問題に「採用」されるブログって、誰(出題委員?)が探してくるんでしょうね。

拙ブログなど、万一その委員の目にとまったとしても「不採用」ですね。論理展開に問題がありますから。

私は理路整然とした文章を読むのは好きですが、書くのは嫌いです。「起承転結」もイヤ。つまらないから。

でも今後は、当ブログが引用される可能性を考慮して、もう少し理路整然とした文章を書くことにしましょう。

今回のPISA結果によれば、日本の生徒は「情報を探し出す」ことや「評価・熟考する」ことが不得意でした。

おそらくそれは、日頃から情報を受け身に捉え、あるいは受け流しているからなのかもしれません。

もっと主体的に、つねに情報を能動的に探しに行く態度を持ち続けなければならないのでしょう。

ちなみに毎晩のように情報(ネタ)を探し続けている私ですが、ブログ以外に生かせる場面がありません。

タイトル付け問題

学校の定期テストの見直しが広がっているという記事を見かけました。

ある中学校では、試験にノート持ち込みOKにしたことで、日頃の授業態度が改善してきたとのこと。

試験で使いやすいように、集中して授業を聞いて要領よくまとめながらノートをとるようになったわけです。

ノートって、本来そういうものですよね。

その中学校の試験問題には、「天声人語」にタイトルをを付けさせるという設問もあったようです。

これって、私が毎晩苦しんでいることにも通じるんですけど、試験問題としては実に面白い試みですね。

もしも私が採点者なら、タイトル付け問題で評価する事柄とその配点は、

(1)文章の主旨を正しく表現できていること(5点)

(2)キャッチーであること(2点)

(3)陳腐でないこと(2点)

(4)語呂がよいこと(1点)

たぶん学校では(1)だけを評価するのでしょうけど、いまの世の中、そんなのじゃ通用しませんよね。

件の天声人語を読むと、働き手不足によってコンビニの24時間営業が厳しくなっている、という主旨でした。

朝日新聞の純正タイトルは「コンビニの曲がり角」。でも「曲がり角のコンビニ」の方が私は良いと思います。

「セブン–イレブンでいきます」でもいいし、「従業員は眠いのです」とか「みんな、早寝しよ」でもオケ。

採点準備は万全

「<a href="http://tsuruhara9linic.blog116.fc2.com/blog-entry-2957.html" target="_blank" title="大学入学共通テスト">大学入学共通テスト</a>」の記述式問題は、問題と正答例が、採点業者に事前に知らされる仕様だそうですね。

それどころか、この業者(株式会社 学力評価研究機構)は、正答例や採点基準の作成にも関与するようです。

なんだ、そうですか。50万人分の記述式答案の採点をどうするのか心配してましたが、杞憂でしたね。

採点業者が前もって問題を吟味し、正答例を作り、採点基準を作り、基準通り採点する。これなら安心です。

その業者のサイトには今日付で、「『国語・数学の記述採点』に関する準備状況について」とありました。

これがなかなか興味深いので、以下に要約してみました。

「採点の体制」

・2人の採点者が独立して採点を行い、採点結果が一致する場合は、3人目の採点者が結果の正しさを確認する

・2人の採点者の採点結果が異なる場合は、上位採点者が採点し、必要に応じてさらに上位の採点者が採点する

「採点の工程・仕組み」

・採点者は、教員や講師等の経験者を含む、大学・大学院の学位取得者又は在籍者

・採点マニュアルは、個人の主観による判断が入る余地をなくし、統一した採点ができるようにする

・すべての解答用紙をスキャンして PC 画面上で採点する「デジタル採点方式」を取り入れる

約60億円で落札されたこの「採点事業」は、約1万人の採点者を使って行われるそうです。

学生も採点者になり得ますが、個人の主観による判断が入る余地のない採点マニュアルがあるので、心配無用。

でもね、ここまで苦労して採点してでも記述式問題を導入しなければならない理由って、何なのでしょう。

採点しやすい短い文章を書かせることが、マークシート方式よりもどれほど優れているというのでしょう。

国語・数学に記述式

大学入学共通テストへの導入見送りが決まった英語民間試験の次は、国語と数学の記述式問題でもめています。

50万人分の記述式の答案を、どうやって採点するのか。萩生田文科相の答弁の主旨は、おおむねこうです。

・猫の手(アルバイト学生など)を借りる

・記述式だけど採点のしやすい問題にする

試験の採点・評価で一番重要なのは、公平・公正であることです。採点者によって判定が異なっては困ります。

誰が採点しても、たとえバイト生が採点しても、同じ点数にならなければなりません。

採点者が主観的に判断する余地はなく、完全に客観的な手法で採点しなければなりません。

そのため、加点・減点基準が細かく定められ、採点者はそのルールに則って点数を付けることになります。

でもそれって、「記述式」問題の体裁ではあっても、採点方法は完全に「客観式」ですよね。

受験生にしたって、キーワードを必要十分に配置して、ポイントを稼げるような答案を書くだけです。

それなら、キーワードを正しく選択させる、従来通りの客観テスト(マークシート)の方がよっぽど簡単です。

うまく練られた設問と選択肢を作れば、中途半端な記述式問題よりも、ずっと精度の高い評価ができるはず。

知識偏重からの脱却だと言えば聞こえはいいですが、記述式導入は、面倒で不完全な愚策としか思えません。

それに1次試験の存在価値は、幅広い範囲の設問を多く解かせて、運不運のない評価をすることだと思います。

受験生の応用力とやらを知りたいなら、2次試験でしっかり工夫すればいいじゃないですか。