<a href="http://tsuruhara9linic.blog116.fc2.com/blog-entry-4624.html" target="_blank" title="岩国を数十年ぶりに訪れた">岩国を数十年ぶりに訪れた</a>のは先週のこと。今日は東京からの帰りに、あえて岩国空港を経由してみました。
実は幼少期に岩国に住んでいた場所は、2カ所有ります。その後半に住んだ所に、先週は行かなかったのです。
その場所は、<a href="http://tsuruhara9linic.blog116.fc2.com/blog-entry-293.html" target="_blank" title="米軍基地(米海兵隊岩国基地)">米軍基地(米海兵隊岩国基地)</a>に近く、子どもの頃に基地の航空祭に行った思い出があります。
岩国空港(岩国錦帯橋空港)は、自衛隊と米軍基地との共用ですが、滑走路も管制も米軍の管理下にあります。
民間の定期便はANAだけです。今日は機内や搭乗口で、次のようなアナウンスを何度も聞きました。
「海兵隊岩国航空基地内を通過します。米軍基地セキュリティ保全のため写真動画の撮影は禁じられています」
なので私は空港とその周辺の様子を目に焼き付けておこうと、着陸の際は機窓の風景に目を凝らしました。
滑走路に沿って南から、まず小さな自衛隊基地があり、続いて広大な米軍基地に無数の戦闘機が現れました。
Google Mapの航空写真ではわかりませんが、多くの戦闘機が、テントのような建屋に整然と隠れています。
誘導路を走り終わり、続く脇道の突端の盲腸みたいなところに、岩国錦帯橋空港のターミナルがありました。
ターミナルの敷地の出口には長いゲートがあって、民間機の通行を抑止する遮断機のような雰囲気です。
私の乗ったANA機はまるで踏切待ちしているように、ゲートが開くのを待ってから出入りしていました。
離陸時に、空港の対岸の、かつて住んでいた辺りを凝視したのですが、飛行機は一瞬で通過してしまいました。
その範囲内に、私の家も、幼稚園も、よく遊んだ空襲跡の窪地もあったんですね。
上空から見ると、住宅地のすぐそばに大きな工場が立ち並んでいます。「帝人」や「日本製紙」です。
製紙工場は当時は「サンパル」と呼んでました。「山陽国策パルプ」のことです。いかにも昭和な社名ですね。