「踏切立ち往生事故」から考えたこと

幼少期に私は、遮断機のない踏切で遊んでいて、「国鉄岩徳線」の列車を止めてしまったことがあります。

線路の間際に立ち、長い棒を両手に持って広げ、「遮断機ごっこ」をしていたのです。

不思議なことに、運転士から叱られた記憶がありません。叱られすぎて記憶が飛んだのかと思っていました。

でも今回の、JR豊肥線の「踏切立ち往生事故」を考えているうちに、別の考えに至りました。

踏切は、衝突したら確実に命を失うであろう鉄塊(=列車)が目の前を高速で疾走する、超危険な場所です。

人や車は細心の注意を払い、列車の往来の間隙を縫って、できるだけ迅速にその線路を横断するわけです。

一方で列車は、線路を真っ直ぐ進むしかなく、障害物があっても曲がれません。しかもなかなか止まれません。

立ち往生している車や、まして線路上に人影が見えた時の、列車の運転士の気持ちはいかばかりかと思います。

さいわい今回の事故では、列車がはね飛ばして大破した車は無人でした。ドライバーは抜け出していました。

事故後にそれを知った運転士が感じたのは、ドライバーへの怒りよりも何よりも、安堵じゃないでしょうか。

そうなのです。踏切の子ども(=私)を轢かなくて良かったと、運転士はまずそれを思ったことでしょう。

だから私を叱り飛ばすよりも、きっと抱きしめたに違いありません(その記憶もないけど)。