熊本地震から7年。
今朝、近所でサイレンが鳴り始めたのに合わせて、亡くなられた方々へ黙祷を捧げました。
記憶に深く刻まれた出来事でしたが、その後のコロナ禍によって、私の記憶の優先順位が少々ぼやけています。
医療従事者だからかもしれませんが、ひと言で言うなら、私の「喉元を過ぎた」ということなのでしょうね。
常に地震を「想定」して備える必要があることは、私だけでなくすべての日本人が肝に銘じているはずです。
ですが振り返ってみると、一度は備蓄を誓った水も非常食も、自宅にはいま何もないことに気付きました。
地震があと5,6年遅く起きていたら、コロナ禍とのダブルパンチの大災難に遭うところでした。
もしそうなら、避難所ではクラスターが相次ぎ、発熱外来の運営もままならなかったかもしれません。
明日地震が起きる可能性まで想定して準備できているのかと自問すれば、恥ずかしながら「否」です。
大地震が起きるたびにいつも、「まさかいま起きるとは思わなかった」と思ってしまうのでしょう。
最近買った電気自動車 (EV) は、そのバッテリーから自宅に電気を融通できるシステムにはなっていません。
もしも将来EVを買うなら非常用電源として使えるようにしようと、熊本地震の時には考えたんですけどね。
地震に対応した仕組みにしたことと言えば、自宅の洋酒を並べた棚に、念入りにチェーンを張ったぐらいです。
その棚を見るたびに、あの時の「熱さ」を忘れまいと反芻するのですが、そう思うだけなんですよね。