安倍元首相の「国葬」の経費として、2億5千万円を支出することが閣議決定されました。
ある程度の規模の葬儀が行われることは当然としても、国費からの全額支出には賛否あるでしょうね。
政府は「国民に弔意を強制していると誤解が生じるのは避けたい」と、オカシなことを言ってます。
弔意を伴わない葬儀ってあるんですかね。たとえ弔意はなくても、経費の負担は強制してるわけですけど。
「コクソウ」の同音異義語は意外に少なくて、よく使う言葉だと国葬の他に「穀倉」ぐらいしかありません。
そして「穀倉地帯」といえば、ウクライナですよね、地理の知識で言うなら。
辞書には「哭愴(嘆き悲しむこと)」とか「国喪(国民全体の服する喪)」という見慣れぬ言葉がありました。
それなら、「哭葬」とか「酷喪」なんて言葉があってもよさそうな気がします。
あるいは、「克喪」「刻葬」なんてのも、なんか意味ありげです。
元首相の殺害事件は、「旧統一教会問題」というパンドラの箱を開けることになりました。
それを容疑者の「功績」だと言うのは甚だ不謹慎で不適切ですが、しかし確実に大きな影響を残しました。
関係した政治家が次々に明らかになり、旧統一教会問題は広がり続けています。
そんな時でも、厳粛な葬儀がしめやかに営まれれば、強制されずとも自然と弔意を感じるのが日本人です。
国葬や弔問外交は、国民をクールダウンさせ、諸問題を沈静化する役割があるのかもしれません。