ドーナツはやっぱり、固いヤツが好き

夕食後のデザート用にとっておいたミスドの「チョコファッション」を家人に食べられて、今不機嫌な私です。

学生時代に「ドーナツを食べれば穴もなくなる」という「格言?」を初めて聞いたとき、感動したのも私です。

当然、「穴だけ残してドーナツを食べるにはどうしたらよいのか」などと考えたりします。学生ですから。

昭和の時代、こんなどうでも良いことを、酒飲みながら車座になって朝まで語り合ったりしたものです。

ネットの時代になると、こういうネタで「掲示板」が盛り上がることになります。場合によっては荒れます。

スマホはおろか携帯やネットすらなかった学生時代、対面でなければ語り合えず、語るために会っていました。

ビールとツマミを何品か買って、夜遅くに友人のアパートを訪れます。もちろんアポなしです。

相手が何をしていたかに関係なく、いきなり上がり込み、飲み、語ります。重要な要件は何もありません。

考えてみると当時は、「文字で」語り合うという手段もなければ発想もありませんでした。

またそのような日常のワンシーンを、いちいち銀塩カメラで撮影する理由も準備もありません。

なので当時の語り合いの痕跡は互いの記憶の中だけに存在し、しかもほぼ消えつつあります。

いまは誰とでも、時間と場所に関係なく「意見交換」ができるという、便利だけどイヤな時代になりました。

文字で会話するので、その記録が残り、あとで読み返して確認もでき、なんなら保存し続けられます。

スナップ写真の枚数は、昭和の時代よりも桁違いに多く、あまりに多くて整理する気も失せるほどです。

でも、文字や画像・映像の情報量が劇的に増えた現在、脳内に刻まれる記憶情報の量はどうなんでしょうね。

外部デバイスに記録を頼りすぎた分、思い出が希薄になっていないか、いまの若い方のことが心配になります。