父の存在の大きさ

父が亡くなりました。今朝のことです。享年93。

5月から入院していましたが、体調も改善しリハビリも進み、退院の話が出始めた矢先の、誤嚥性肺炎でした。

峠は越えたと聞いていたのに、実は3日前から意識がなくなっていたことを、今日、主治医から聞きました。

母は泣いています。病院の規則によって、入院後は一度も父に面会することがかないませんでした。

退院まで面会が許されず、寂しさが募り不安が溜まります。これもコロナ禍の医療崩壊の一面かもしれません。

臨終にも間に合いませんでしたが、それでも母が駆けつけたとき、父はまだ温かかったそうです。

ずっと前から覚悟していたとはいえ、私は悲しくて悔しくて申し訳なくて、父の亡骸に泣きすがりました。

こんなことしとけば良かった、あんなこと言わなきゃ良かった、そんな思いが止めどなく溢れ出てきます。

私の60年の人生の様々な場面で、私に指針を示した父の姿や言動が、次々と思い出されます。

本当に大きな存在だったことを、あらためて思い知りました。