大地震、大津波、原発事故。あの悲劇から10年。復興しつつあるとは言え、亡くなった人は帰って来ません。
ちょっとした避難の兼ね合いが、子どもたちの生死を分けたことは、返す返すも悔しいですね。
では次の地震、次の津波に対して、すべての日本人が我が事のように今備えているかと言えば、そうでもない。
私にとって、東日本の惨状はややもすると他人事でした。が、熊本地震を経験して、少し考えが変わりました。
熊本地震は、津波も原発事故も起きませんでしたが、私の生き方や価値観を変えるのには十分な一大事でした。
贅沢な夢は捨て、職場を守り、堅実に生き残り、それで生涯を終えればそれでいいと、そこまで意識しました。
さいわい熊本の復興は早く、私もやがて元気を取り戻したわけですが、コロナ禍でまた、少々萎え気味です。
東日本大震災が今も引きずる大問題は、人災の側面もある、東京電力福島第一原発の事故です。
責任ある立場の人たちには厳しい沙汰があるべきだと、直接の被害者でもない私ですが、思ってしまいます。
いまなお、水を注入して冷却し続けてやっとのこと抑えられている(とされている)原子炉内の核燃料デブリ。
それが先日の地震で、さらに水の注入量をアップしなければならなくなったという、けっこうギリギリな状況。
私はときどき、地震で核燃料プールが損壊して、燃料棒がゴロンゴロンと地面に落下する状況を想像します。
すべての燃料棒がメルトダウンを始めてしまい、もうみんな、逃げ出すしかありません。
10年前に、同様の破局的状況が想定され、東京や横浜まで人が住めなくなることが示されたといいます。
そうならなかったのは、単に幸運が重なったからだとすれば、次も幸運が続くとは限りません。