900人程度を予想していた東京都の新規感染者数は、888人という、なんとも象徴的な数値でした。
後手後手の感染対策を「ハッハッハ」とあざ笑う、コロナの野郎の声が聞こえます。
装着していたマスクをわざわざ外し、話したり歌ったりして飛沫を飛ばす。それが感染拡大の要因でしょう。
国民はみな、そんなことは分かっているのです。でも、守れない。あるいは、軽んじる。
たとえば、トラベル自体には問題はなくても、旅先で浮かれた気分でも感染対策が続けられるかは、疑問です。
あるいは、イートそれ自体は悪くなくても、どうしてもマスクを外すことになる食事の瞬間が、鬼門です。
お通夜のように黙〜って食べることができるなら、大人数で会食したって、コンパニオン呼んだっていい。
「マスクを外したら喋らない」という単純なことが、楽しい時ほど守れないのです。いわんや、飲み会をや。
考えてみると私はこの数年、つまりコロナ以前から、旅行時を除いて外食することがほとんどなくなりました。
今年は、1月と2月の日帰り出張時に空港で昼食を摂った時と、9月の天草旅行のときの旅館での食事だけ。
ほぼ家飲みばかりで、濃いアルコールの摂取も面倒になり、ビールの銘柄を変えるのが小さな楽しみです。
しかし勤務医時代は、まったく違いました。週に2,3回以上の外飲みは当たり前。街に出たら当然、はしご酒。
最後にはいつも、地下の狭い閉鎖的なバーでアイラモルトを楽しむという、いまではあり得ない飲み方でした。
飲み会の好きな同僚、飲み会に誘いやすい後輩や誘ってくれる先輩の存在など、職場環境って大きいですね。
職場の仲間と「ちょっと飲む」ことは、日常的な「飲みニケーション」(古い?)だったのです。
もちろん「ちょっと飲む」なんてのはシラフのときの決意であって、そんなの酩酊すれば消え失せます。
そんな酩酊状態で、たとえばマスク宴会みたいなことが可能だとは思えません。だから外飲みしないことです。
旅行や外食を制限するような政策も、現状ではもはや、しょうがないのです。皆さん、家飲みしましょ。