大河ドラマ『麒麟がくる』に、マスクを装着した人物が現れないのは当たり前。
ところが現代モノのドラマであっても、誰もマスクをしてなくて、コロナ禍を無視した設定になってますよね。
『半沢直樹』ですら、あの飛沫量の多い状況で誰もマスクを着けておらず、見ててヒヤヒヤしたものです。
これは「パラレルワールド」なのだと、ある人が書いていました。上手いこと言いますね。
テレビドラマではいまのところ、コロナが存在しない前提で、世の中の出来事を描こうという考え方なのです。
少し前まで、マスクだ3密回避だなんてのは、今だけの一時的な社会現象なのだという思いがありました。
いつかコロナ後に再放送を観たとき、登場人物がみなマスクしてたんじゃオカシイだろ、というわけです。
ところが今や、しばらくはマスク無縁にはならないウィズコロナ時代の到来を、みな覚悟し始めています。
でもそれなのにドラマではコロナを無視するのは、まだコロナの無かったあの時代への憧憬なのでしょうか。
今朝、用事で上京した夢を見ました。東京はとても賑わっていて、駅も街も混雑していました。
電車から降りて、人混みの中を歩いて、とある場所のエレベーターに乗るときに、ハッと気付きました。
東京の人たちが誰もマスクをしてないのです。そう言う私もマスクしてないし、携帯用アルコールも忘れてる。
どうやらコロナは、まだ私の夢の中にはあまり浸透していなかったようです。でも、面白いのはその続き。
ハッと気づいて振り返ったら、マスクしてる人が何人もいる。あっちから来た人もみな、マスクしてる。
私の上着のポケットをふと見たら、折りたたんだマスクが入ってるじゃないですか。
コロナを思い出した瞬間に、いきなりウィズコロナの設定に変わったんですね。夢ってホント、ご都合主義。