コロナ対応慰労金はありがたいですが、それほど急ぎませんので

「新型コロナウイルス感染症対応従事者慰労金」なるものが、医療従事者に給付されることになっています。

感染の危険が高く心身に負担がかかる中、強い使命感を持って業務に従事していることに対するものです。

コロナ患者の入院診療を行っているわけでもない当院が慰労金対象とは、少々申し訳ない気持ちになります。

とは言え、毎日のように熱や咳の患者が来院する中で、職員は大きなプレッシャーを感じているはずです。

昨日改定された、厚労省の申請マニュアル(Ver 1.2)を参照して、今日は慰労金申請準備に臨みました。

他の給付金や助成金と同様に、コロナ関連の申請書は、時期が遅くなればなるほど簡便になっていきます。

ただ、今月申請しても給付は来月末、来月申請したら給付は9月末になるらしいので、早めの申請が肝要です。

厚労省のマニュアルによると、当院の場合「WEB申請受付システムによる提出」をするのが簡単なようです。

そのためには、各都道府県の国民健康保険団体連合会(国保連)のマニュアルを確認せよと、書いてあります。

そこで熊本県国保連のサイトを訪れたのですが、そのようなマニュアルも、申請用ページも見つかりません。

しょうがなく国保連に電話したら、慰労金の件は県で行っているので、県の健康福祉政策課に電話せよ、と。

で(ヒマだったので)健康福祉政策課に電話。するとこんどは、その件は医業政策課が担当しています、と。

なかなかのタライ回しですが、そんなことではくじけません。

でも、医業政策課の回答には腰砕けになりました。

本事業は、熊本県ではまだ準備中であり、申請は8月からになります、と。てことは、給付は早くても9月末か。

お役所もやることが多くて大変でしょうけど、いま仕事が多いのは幸せなことだと思ってください。

コロナよりも怖い病気を、まず予防しましょう

コロナ禍によって医療機関の受診控えが起きていますが、それは子どもの予防接種の接種率にも表れています。

「NPO法人VPDを知って、子どもを守ろうの会(VPDの会)」が最近公表した集計結果によると、

・0歳児の予防接種は、肺炎球菌ワクチンやロタウイルスワクチンの接種率低下以上に、BCGが大幅に低下した

・1歳児のワクチンも、定期のMRワクチンや任意のおたふくかぜワクチンともに、接種率低下が続いている

とくにBCGについては、集団接種の延期や大人のBCGワクチン接種による供給不足が考えられるとのこと。

BCG接種が新型コロナの感染予防効果があるという話が出たため、大人が接種する例があったのでしょうか。

たしかに当院でも、成人のBCG接種の問い合わせはありましたが、しかし実際に接種したケースはありません。

熊本では集団接種も行っていないので、VPDの会の集計結果には疑問を感じました。

ならばと、当院の予防接種データベースで、昨年3〜5月の接種件数と今年3〜5月の件数を比べてみました。

対象ワクチンはVPDの会と同様に、0歳児の肺炎球菌1回目とロタ1回目とBCG。それに1歳児のMRワクチン。

その結果、肺炎球菌ワクチンは昨年の48%減、ロタは61%減、BCG27%減、MRワクチンは53%増でした。

これはひどいですね。例数が少ないので統計学的有意性はないとしても、0歳児の接種控え傾向は明らかです。

ただし、肺炎球菌やロタに比べるとBCGの落ち込みは少なく、VPDの会のデータとは一致しません。

またMR1期接種に至っては、今年の方がむしろ件数が増えていましたが、その理由はよくわかりません。

もしかすると、コロナ禍が長引くと見越して、早めに接種する人が多かったのかもしれません。

定期接種対象のなかでも、ヒブや肺炎球菌や百日咳は、乳幼児が感染すると命にかかわりかねない感染症です。

だからこそ、0歳からの定期予防接種が規定されているのです。コロナを恐れるよりも先に恐れるべきです。

どのクリニックでも、乳幼児の予防接種においては、しっかりとコロナ対策を行っているはずです。

だから安心して、受診してください。まずは、いちばん怖い病気を予防しましょう。

『半沢直樹』、満を持して再始動

『<a href="http://tsuruhara9linic.blog116.fc2.com/blog-entry-677.html" target="_blank" title="半沢直樹">半沢直樹</a>』が帰ってきました。麒麟がくるまで待ってる間に、先に半沢が帰って来ました。

日曜の夜の楽しみが、ひとつ増えました。ただし、初回放送の内容が楽しいはずがなく、悔しいばかりです。

コロナの影響で延期になっていたドラマの中でも、とくに放送開始を期待されてきたのが半沢直樹でした。

でもまた収録ができなくなり、麒麟のように放送が中断されるようなことにはならないか、それが心配です。

なにしろこの数日の感染者数から、次の緊急事態宣言がいつ出るのか戦々恐々としているところですから。

ネット情報によると、半沢の収録は2話分だけ終わった後に2カ月以上中断したようで、再開したのは6月1日。

まだ最終話までの収録は終わってないでしょうから、今日からの放送はある意味、見切り発車です。

コロナの収束など、もう待ってられない。やられたらやり返す、倍返しだ、的なノリでしょうか(多分違う)。

登場人物たちは、屋内でも屋外でも、みなさんノーマスクです。ドラマからはコロナのコの字も感じません。

彼らはみな興奮し、口角泡を飛ばして激しく喋るのに、マスクはおろかディスタンスもとっていません。

コロナの存在しない「平時」の設定とは言え、どうしても気になって、内容が素直に入ってきません。

では、ウィズコロナ設定で、登場人物全員にマスクを着けさせたら良かったのかと言えば、それもオカシイ。

これからしばらく(2,3年?)、ドラマでも映画でも、コロナの取り扱いをどうするか悩ましいでしょうね。

「Go To トラベル」は、スパッと延期しませんか

熊本県外、とくに本州在住の知人友人の方々から、豪雨災害のお見舞いメールやメッセージをいただきました。

お気遣い、ありがとうございます。ご心配をおかけしましたが、私の居住地近郊では被害はありませんでした。

「令和2年7月豪雨」で被害が大きかったのは、球磨川流域の県南部と筑後川上流域等の県北部の方でした。

20年前に熊本に引っ越してきてから、家族であちこちに出かけたのは、考えてみると阿蘇や天草ばかり。

球磨川方面に行ったのは1度だけですが、球磨川下りを楽しみ、球泉洞を探索したことを思い出します。

阿蘇が山、天草が海とすれば、球磨地方は川なんですね。その川がひとたび暴れると、大事になるわけです。

コロナ禍のいま大規模災害が起きたら、避難所での「3密」回避はどうするのかと、<a href="http://tsuruhara9linic.blog116.fc2.com/blog-entry-3173.html" target="_blank" title="危惧していた">危惧していた</a>矢先でした。

被災地には絶対にコロナを持ち込めない中では、各地からの支援派遣やボランティア活動にも支障が出ます。

たとえ善意であっても、不慮の事態を引き起こす可能性、その結果責任まで考えて行動しなければなりません。

「Go To トラベル」が果たして、吉と出るか、凶と出るか、大凶と出るか。いや、吉はないな。

東京だけでなく、神奈川も千葉も埼玉も、ついでに大阪も、もう全国で感染者数が激増中なんですけどね。

どこまで増えたらGo To延期の決断ができるのか。安倍政権は、思考停止に陥っているとしか思えません。

優先順位は何ですか。まるで東京五輪の延期を決断する前の、あの未練がましい状況と同じじゃないですか。

実のところ私も、沖縄とか北海道とかどこかに行きたくてウズウズしています。でも今じゃなくていいです。

蝉時雨 しばしコロナを忘れたい(でも無理)

朝から晴れて気温の上がりが早い日は、<a href="http://tsuruhara9linic.blog116.fc2.com/blog-entry-660.html" target="_blank" title="クマゼミの合唱">クマゼミの合唱</a>も早朝から盛況です。

7時すぎに出勤して外回りの掃除をしていると、周囲から激しいクマゼミシャワーを浴びることになります。

樹木を見上げるとあちこちの幹で、深いメタリックグリーンのクマゼミがおなかを震わせています。

私が「ワシワシ」と形容するその<a href="http://tsuruhara9linic.blog116.fc2.com/blog-entry-301.html" target="_blank" title="鳴き声">鳴き声</a>ですが、よく聞けば「ジュヮィジュヮィ」というのが正しいですかね。

そんな中で昨日は、久しぶりに<a href="http://tsuruhara9linic.blog116.fc2.com/blog-entry-1682.html" target="_blank" title="タマムシ">タマムシ</a>も見つけました。

クマゼミの喧噪にやられたのか、樹木から少し離れた日陰のベンチの上で、大人しくたたずんでいました。

タマムシと聞いて「玉虫厨子(たまむしのずし)」しか思い出せない方は、もっと野外に出ましょう。

昼に、タマムシの餌用のケヤキの木を見ようと屋外に出たら、違和感があるほどに静まりかえっていました。

前にも書いたように、クマゼミは午前中しか鳴かないからです。そして、その静寂がかえって暑苦しい。

さっきまで降り注いでいた、あのクマゼミシャワーが、すべて地中に染みこんでしまったような気がしました。

と、そのとき気づいたのです。松尾芭蕉は、セミの声が消え失せた白昼の静寂を、詠んだのではなかろうかと。

「閑さや岩にしみ入る蝉の声」

やかましい蝉時雨の中に、芭蕉は心や寺や宇宙の「閑かさ」を感じとったのだと、人々は解釈してきました。

でも、もしかすると芭蕉は、セミがまったく鳴いていない異様なほどの静寂に、驚嘆したのかもしれません。

あれほど鳴いていた蝉の声が、すっかり岩にしみ入ってしまったのか、なんと閑かであることよ、みたいな。

なお、東北地方にはクマゼミはいませんが、ミンミンゼミがいます。やはり午前中だけ鳴くようです。

「Go To トラベル」が、だんだん複雑怪奇になってきた

「Go To トラベル」は今日になって、東京発着の旅行を対象外にするという急展開。これにはビックリですね。

さすが日本の官僚。何が何でも中止にはせず、ウルトラC級の妙案をひねり出してきました。

(追記:これは安倍首相の決断だと報じられました。でも、知恵を授けたのは多分、官僚出身の側近でしょう)

「東京発着」の定義は、「東京都を目的としている旅行」と「東京都に居住する方の旅行」とのこと。

たまたま私は、お盆に千葉(東京ではない)に往復すべく、羽田まで往復の航空券をすでに購入しています。

旅程としては「熊本–千葉」の往復であって、羽田(東京)はあくまで「経由地」です。これはOKですよね。

同様に、地方からディズニーランドに行く人の宿泊場所が都内だとしても、それは構わないはずです。

しかしその反対に、横浜観光を装って横浜に宿泊し、実は東京を観光するヤカラが出るかもしれません。

見かけ上の目的地が東京都内でなければ良いのなら、「東京除外規定」は抜け道がいくらでもありそうです。

逆にたとえば、東京在住者が熊本に帰省して、熊本の実家を起点に沖縄旅行をする場合はどうなるのでしょう。

もしもそれがOKなら、都民はいったん別の地点を経て旅行する「方違え」が可能になってしまいます。

東京から地方への感染拡大を防ぐ趣旨からは、どう工夫をしても都民は対象にはなれないと考えるべきです。

妙な除外規定を作ったものだから、実際の運用では面倒なことが起きそうですね。まさに「Go To トラブル」。

感染拡大警報下で、恐る恐るGo Toキャンペーンする?

小池都知事は、新型コロナ警戒レベルを最も深刻な水準へと引き上げ、「感染拡大警報」を発するとしました。

国はしかし意固地になって、「Go To キャンペーン」を前倒してまでして進めようとしています。

感染者が不気味に増えているこのタイミングで、敢えて「Go To」に突入する意味って何でしょう。

感染を抑えつつ経済も回すという、相反することを行うことについては、いろんな例えが出ています。

「冷房と暖房の両方をかけるようなこと」

小池都知事による表現です。「かける」と言う部分に古臭さを感じます。最近あまり聞きませんね。

たしかに冷暖房を同時に作動させるなど、家庭用エアコンで考えたら電気代のムダです。

でもカーエアコンだと、暖房はエンジンの熱を利用しており冷房とは別システム。冷暖房同時作動もアリです。

足元には暖房を、顔には冷風を当てるなんてことも日常的。冷暖房の両方をかけるのは、矛盾してないのです。

「アクセルとブレーキを同時に踏んでいるよう」

複数の政治家の方がこの表現を使っているところを見ると、いちばんしっくり来るのでしょう。

ちょうど今は、国がアクセル、都がブレーキを踏むような関係になっているかもしれません。

車を運転するとき、右足でアクセル、左足でブレーキを踏むのは、実際やってみるととても難しいですね。

左右の足の力加減が上手く協調できずに、ギクシャクした運転になってしまい、怖くて続けられません。

アクセルもブレーキも、必要な方を片方ずつ、ちょうど良い強さで踏むことがいちばん大事です。

「コロナパーティー」の愚は、他の感染症でも同じこと

「新型コロナパーティー」の参加者がコロナに罹って死亡したというニュースが、米国から伝えられました。

テキサス州だけでなく、どうやら米国内のあちこちで似たようなパーティーが開催されているようです。

馬鹿げたゲームか、肝試しのような要素もあったのか、ともかく無謀な行為によって命を落としたわけです。

目的は異なりますが、本気で感染症に罹るための「パーティー」なら、世界中で行われて来ました。

代表的なのが「水痘(水ぼうそう)パーティー」。おたふくかぜや麻疹でも、同様のパーティーが存在します。

反ワクチンの人はともかく、予防するよりも罹った方が良いと信じている人には、考えを改めていただきたい。

たとえば、感染したら100%死ぬ伝染病があるとしたら、もちろん、誰も患者には近寄りませんよね。

では、致死率50%の病気ならどうでしょう。敢えて感染者と接触して免疫を付けたいでしょうか。まさかね。

となると、死亡率が何%ぐらいの病気なら、わざわざ感染するためのパーティーに参加したいですか?

私なら1%でもイヤですね。予防法があれば予防したい。ワクチンがないのなら、極力感染しないようにする。

水痘は、死亡率は高くありませんがゼロでもありません。感染すると将来帯状疱疹を起こすこともあります。

おたふくかぜは、髄膜炎などの併発症のほか、難聴を起こすのが問題。毎年数百人の聴力が失われています。

麻疹は、希に治癒後十年以上経ってSSPEという病気を発症することがあり、これは生命予後の悪い難病です。

これらの感染症に、わざわざ感染するためにパーティーに参加する理由が、どうしてもわかりません。

罹った方が「良い」免疫が付くと言うのなら、その良い免疫を付けたら何か良いことでもあるのでしょうか。

まさか、2度目の感染を防ぐためでしょうか。1度感染してでも2度目の感染を防ぎたい理由は何でしょう。

いくら考えても、私には理解できません。コロナも同じです。まずは、1度目の感染をしないことです。

黄門様(の役者)が代わっても、視聴者は動じませんが

『サザエさん』の家に他人が上がっているかのように聞こえたので、思わず画面を見たらマスオさんでした。

超長寿アニメの宿命か、声優さんたちはだんだん代替わりをしています。私はまだ、マスオさんに慣れません。

いつか、サザエさんの中身(声)が代わる事態になったとき、視聴者はその違和感に耐えられるのでしょうか。

水戸黄門(の役者)が何度代わっても、視聴者は順応してきましたが、サザエさんは厳しいかもしれませんね。

最近の映画では精巧なCGが使われていますが、声の合成なんて画像よりも簡単じゃないんですかね。

過去のサザエさんの声を分析して再合成して、あらゆるセリフを喋らせることはできるんじゃないですか?

となると、声優が引退しても、あるいは亡くなっても、キャラクターはずっと「同じ声」でいけますよ。

このようなことが一般的になったら、いつかは、声優という職業が不要になるかもしれませんね。

ていうかもう何年も前に、そのような技術は完成しているはず。サザエさんに導入されてないだけの話です。

俳優の動きを部分的にCGで映像化することだって、実際の映画でもあちこちで使われています。

CGと俳優業との問題が浮上したと、以前NHKの番組で聞いたことがありますが、もうだいぶ昔の話。

技術は鬼のようなスピードで進化しています。たぶんもう、実写とCGの区別なんて不可能なレベルでしょう。

危険なシーンを見ると、これCGなんだろうなと観客は推測するわけですが、今後どうなるかわかりませんね。

社会派法廷ドラマが実はオールCGなんてことだって、何の意味があるか知りませんが、あり得ます。

しかも出演するのは、すべて実在の俳優(のCG)ということも可能。もちろん声も合成音声で。

アカデミー主演男優賞などには、実際に本人が演技した場合に限る、なんていう受賞条件が付きますかね。

予測不能な展開にドキドキし、思った通りの展開にホッとする

韓流ドラマ『<a href="http://tsuruhara9linic.blog116.fc2.com/blog-entry-3179.html" target="_blank" title="愛の不時着">愛の不時着</a>』にハマっているという井上荒野さんの雑感風の文章を、今朝の日経で読みました。

この文化欄のエッセイってハズレがないので、仕事前の私の楽しみになっています。

とくに女性作家が書いたものは、適度に軽く淡々とした文体と意外な展開が面白く、私の琴線に触れます。

井上氏は、「無意識に感動する準備をしているところに、感動がちゃんと起爆するのが心地いい」と言います。

無意識でなくても、水戸黄門のような期待を裏切らない展開は、確実に<a href="http://tsuruhara9linic.blog116.fc2.com/blog-entry-677.html" target="_blank" title="カタルシス">カタルシス</a>を与えてくれますけどね。

そういえば、韓国映画『<a href="http://tsuruhara9linic.blog116.fc2.com/blog-entry-3052.html" target="_blank" title="パラサイト 半地下の家族">パラサイト 半地下の家族</a>』をネット配信していたので、おととい観てみました。

映画館で観た1回目とは異なり、あの予測不能なドラマの展開を、今回は十分予測できる状態での視聴です。

驚いたことに、ストーリーがわかっていながら観ると今度は、思った通りにコトが運ぶ展開が逆に面白い。

随所に張り巡らされた「伏線」は、最初に登場した時点ですぐに、それが伏線だとわかります。

あれって、あとで重要な役割があるんだよね〜と、誰に言うでもなく、ひとりほくそ笑むのです。

そして伏線が回収されていくたびに、ほら来たと、誰に言うでもなく、納得してニヤけるのです。

1回目の鑑賞では驚いた場面も、2回目の鑑賞ではカタルシスが得られる心地よいシーンとなります。

ストーリー展開に目を奪われず、じっくり映画を楽しもうと思えば、2度見することですよね。

じゃあ3度見だとどうなるんだと、そういうことになるでしょうか。考えときます。