猛烈な降雨によって、熊本県南部を流れる球磨川の10カ所以上で氾濫・決壊が起き、多くの被害が出ました。
「線状降水帯」が河川の上流域を通過すると中下流域に水害が起きるのは、いつもの豪雨災害と同じです。
しかしその理屈はわかっていても、線状降水帯の接近がわかっていても、誰にも被害を防ぐことができません。
津波被害を防ぐために防潮堤には頼らず高台に家を建てるように、河川流域の人も引っ越すべきでしょうか。
いやそれは無理なのでしょう。川沿いの狭い平地や斜面や渓谷に、多くの人々の生活があるのですから。
ならば少なくとも、川が氾濫しても逃げ込める高い場所を、日頃から確保しておかなければなりません。
考えてみると、さいわい私は洪水で直接被害に遭ったことはありません。
8年前の<a href="http://tsuruhara9linic.blog116.fc2.com/blog-entry-282.html" target="_blank" title="白川の氾濫">白川の氾濫</a>でも、通勤にこそ支障を来しましたが、自宅も職場も私の体も無事でした。
私の最も古い洪水の記憶といえば、たぶん3歳の頃。半世紀以上前にさかのぼります。
よほど強烈でなければ、還暦前のこの歳まで覚えているはずがありませんから、かなり強烈だったのでしょう。
山口県岩国市の、当時の私の家の前に、幅2m程度の道があり、その向こうに幅2m程度の用水路がありました。
その用水路で魚が泳いでいたかどうかは記憶にありませんが、母がネズミ捕りを沈めていた姿は覚えています。
その用水路が、あるとき氾濫し、家の前の道と用水路の境目がわからなくなりました。恐怖でした。
家の玄関の前には、合計4m幅の濁流が流れているわけです。たしかネズミ捕りも沈めっぱなしでした。
どこからかタライが流れてきて、いやそれ以外のモノも流れてきたはずですが、記憶にあるのはタライです。
目の前を回転しながら流れていく金ダライと、それに乗りたいと思ったことが、私の最古の洪水記憶です。