理論的には効く薬でも、治験でうまくいくとは限らない

「二重盲検法」という言葉を昨日書いたのを機に思い出した、昔(大学病院勤務時代)のエピソードを2つ。

心臓手術中の心筋を保護する作用が期待された、某製薬会社が開発した新薬の治験に、私が関わりました。

薬には通し番号が振ってありますが、それが本来の薬なのか、偽薬(プラセボ)なのかは区別できません。

区別できないまま、手順通り手術中の患者さんに投与し、さまざまな臨床データを記録して会社に渡します。

患者も医者も会社の担当者も、偽薬かどうかは分からずじまい。知っていたのは会社の解析担当者だけです。

その厳格な二重盲検法に則った比較試験によって結局、薬の有効性が統計学的には証明できず、開発は終了。

理論的には有望な薬でも、試験のデザインが悪くて有効性が立証できなかった、不幸なケースかもしれません。

心臓手術中の循環動態を安定させる作用があると考えて、某医師がある既存薬の臨床研究を行っていました。

薬は某技師が手術室内で調合し、その日の担当医師に手渡します。偽薬の場合は生理食塩水が手渡されます。

医師はそれが偽薬かどうかを本来なら知りませんが、技師の調合作業をチラ見すると、だいたいわかります。

結果、効果判定にも微妙なバイアスがかかり始め、その薬の有効性が立証される結果となりました。どうもね。

このような、結果ありきで立案・実施されたニセ盲検臨床研究もあるので、論文を読む側も注意が必要です。

ところでアビガンの治験方法は、医師が偽薬を知った上で使う「単盲検」。そこに微妙な怪しさを感じます。

しかもそれにもかかわらず、「良い」中間解析結果が出なかったようで、先行きはまったく不透明ですね。

よほど劇的に効く薬じゃないと、統計学的に有意な有効性が出ないのが、コロナの難しさなのかもしれません。