初宮参りというと、狭義には、赤ちゃんの両親と父方の祖母がお宮参りして生誕を感謝することのようですね。
その意味では、父方の祖父である私は、「オブザーバー」として今日は参詣にお供したことになります。
お参りしたのは、安産の神として知られる、福岡の宇美町にある「<a href="http://tsuruhara9linic.blog116.fc2.com/blog-entry-1548.html" target="_blank" title="宇美八幡宮">宇美八幡宮</a>」です。
そもそも「宇美」という地名は、神功皇后が応神天皇を産んだ地であること(「産み」)に由来します。
境内には、数々の文化財や天然記念物の樹木がありますが、とくに楠の巨木には目を奪われました。
「湯蓋の森」
応神天皇はこの楠の下で産湯につかったとのこと。「森」というのは、神霊の寄りつく樹木の意味でしょう。
樹齢二千年以上といいます。応神天皇が生まれた頃(西暦200年)にも、すでに大木だったようです。
「衣掛の森」
これもまた、ひどく神聖な雰囲気のある楠の大樹。その枝に産衣を掛けたと伝えられています。
湯蓋の森とは100メートル近く離れてますけど、応神天皇が湯冷めをしなかったのか、その点が気になります。
「子安の木」
巨木ではありませんが、神功皇后がこの木に取りすがって出産したといいますから、とても神聖な樹木です。
もちろん安産だったわけで、だから「子安」という名が付いています。
「子安の石」
石が無数に積まれています。初宮参りのとき、安産のお礼に子どもの名前などを記入した石を納めたものです。
安産祈願の際にどれか1つ(他人の)石を持ち帰り、無事安産の後に、自分の石とともに納める風習です。
神功皇后は実在したのか伝説なのか確定していませんが、応神天皇は実在した可能性が高いそうですね。
子は実在して母は伝説かも、というのも不思議な気はしますが、そのような微妙な時代なのでしょう。
応神天皇が立てた皇太子は、自分の異母兄に皇位を譲るために自殺したそうで、歴史上の美談とされています。
そこまでして皇位を譲られたのが仁徳天皇ですが、例の「<a href="http://tsuruhara9linic.blog116.fc2.com/blog-entry-2833.html" target="_blank" title="仁徳天皇陵">仁徳天皇陵</a>」に埋葬されているかどうかは不明です。
それにしても、神話・伝説の時代から現代までずっと継承されている皇位って、改めてすごいと思います。