玄関脇で綺麗に咲いている紫陽花を指して、これは「ガクアザラシ」であると、家人が今朝、私に告げました。
そうですか。それは知りませんでした。私はてっきり「ガクアジサイ」だと思ってましたから。
誰でも時には言い間違いをしますが、年齢と共にその頻度が増え、間違え方もぶっ飛んできます。
土日診療をする代わりに火曜と金曜を休診している私の場合、曜日感覚がだいぶオカシナ事になっています。
「では、次は土曜日に来てください」と土曜日に言ったりするので、患者さんが難しい顔になります。
短期記憶もかなり危なっかしくなってきました。その対策として、大事なことは声に出すようにしています。
患者さんの血圧を測ったら、すぐにその数値を患者さんに伝えますが、それは私が覚えるためでもあるのです。
その血圧を忘れてしまっても、私いま、血圧いくらって言いましたっけ、と患者さんに聞くこともできます。
気心の知れた患者さんにそのように尋ねて血圧を教えてもらったことが、これまでに2,3回か4,5回あります。
やたらと鮮明に思い出される中学生時代の記憶などが、私の大脳皮質の一角を何十年も占領し続けています。
その分、記憶エリアの空き残量が少ないので、新たな情報が入り込む余地がないのでしょうか。
いや、新しい記憶は海馬に存在するはずで、そうすると、私の海馬機能が低下しているのかもしれません。
懐かしい思い出をたびたび呼び戻すものだから、私の海馬には古い記憶もたくさん詰まっているようです。
いつか人間の意識や記憶をダウンロードできるようになったら、脳をいっぺん初期化してみたいですね。
それから順次、必要な情報を厳選してアップロードする。空き容量たっぷりで、新規記憶力もバッチリです。
血圧も曜日も、間違えることなどあり得ませんから。