年賀状の喪中欠礼はがきが届き始めるこの時期、思いがけぬ訃報に接して、少なからず動揺しています。
旧友の奥様がつい先日亡くなられたことを、その通知によって知りました。
ただ欠礼を伝えるだけの定型的な文章の中に、友の胸の奥にしまい込まれた深い悲しみを感じました。
「本年中賜りましたご厚情を深謝申し上げます」と言われても、私は何の気遣いも出来ていませんでした。
高齢の方が亡くなると、人々はその人の生き様を振り返り、悲しみの中にも安らぎを感じつつ送り出します。
しかし一方で、まだまだ若いと思える方の訃報を聞くと、驚きと悲しみと不条理と無念の思いを禁じ得ません。
病魔に倒れてもなお、懸命に最期まで生き抜いた人とそのご家族には、畏敬の念をおぼえるばかりです。
病気はどうして征圧できないのでしょうか。私は医者として、その疑問をずっと持ち続けています。
細胞の老化ならまだ納得できますが、感染症や癌や動脈硬化性疾患などが、なぜいまだにはびこるのでしょう。
すべての人が、細胞の寿命いっぱいまで生きられるような時代は来ないのでしょうか。
素粒子を研究したりAIを開発する前に、人類はまず、人体の生理と病理の究明に全力投球しなければ。