永遠に生きる未来

今日が楽しけりゃそれでいい、明日のことは知らん、という生き方は、あまりにも刹那的すぎます。

目標に向かって邁進していても、目標達成後のことを全く考えてないのなら、やはり同じことでしょう。

人生全体を俯瞰して計画的に生きても、まだ考慮が足りません。子や孫やひ孫への思いに欠けるからです。

100年後を見据えたとしても、500年後や1000年後を考えないなら、スケールは小さいと言うべきでしょう。

1000年に一度の大地震、数万年に一度の大噴火、地球に流れる時間はもっとずっと、悠大です。

オカシな話ですが、私は最近、数万年後や数億年先の地球と自分のかかわりについて、ときどき考えます。

私の存在は何年先まで記憶され、私のDNAは何年先までこの地球上に残るのか。残ったとしてその意義は?

この地球上に、ほんの一瞬だけ出現した人類など、何を成し遂げたところで、すぐに消え去る存在です。

厭世的になってるわけではありません。逆です。将来のためでなく、今を生きることこそ大事だと思うのです。

その意味では、今日のことしか考えてなくても100年先まで考えていても、地球的時間尺度では五十歩百歩。

「地球に優しく」などと、偉そうに言うこと自体がおこがましい。私がいちばん嫌いな言葉です。

人間自身が心地よく生きていけるための身勝手な環境が、地球に優しいと勘違いしているにすぎません。

どっちみち、この先数百年、せいぜい数千年の地球環境しか考えてないでしょう。

数万年単位で、いや永遠に人間が生きることが、科学技術によって可能になる日は来ないでしょうか。

病の克服ではありません。個人の人格・意識を、コンピュータに移植できないだろうかと思うのです。

肉体を持っていたときの人間がそのまま、肉体不要の状態で、コンピュータ内で生き続ける仕組みです。

外から見たらまるでゲームですが、チップの中の人間は、普通に人生を謳歌するというわけです。

そのようなチップ人間が、何億人もネットワークでつながり、社会を形成し、何万年も生き続ける。

病気も何にも無いです。医者も不要か。