地震の時の赤ちゃんたち

熊本市民病院病・病診連携懇談会が、昨夜開催されました。恒例の会合ですが、私は久しぶりに出席しました。

今回は「熊本地震への対応と新病院再建」というテーマだったので、ぜひとも参加せねば、という思いでした。

救急部、循環器内科、新生児内科の医師と、病院長と、地元医師会長の方々の、苦労と苦悩の話が聞けました。

今日はその中で、私があらためて認識したことや驚いたことを、かいつまんで書いてみます。

(1)前震直後から地域の被災者を精力的に診療していた市民病院が、本震でいきなり被災病院になった

救急車をドンドン受け入れて入院治療していたのに、本震の直後から、全患者を退避させることになりました。

(2)深夜の本震だったが、たまたま在院職員数は多かった

準夜勤の看護師と、深夜勤の看護師との引きつぎ時間帯だったため、2勤務帯の看護師が院内に居たわけです。

ただ、深夜過ぎには帰るはずの職員が、そのまま働きづめだったとは、大変な過重労働だったことでしょう。

(3)重要な生命維持装置が林立するNICUで、医療機器が何一つ転落・転倒せず、重大トラブルがなかった

唯一、窒素ボンベが傾いたものの、赤ちゃんにつながる点滴のチューブに支えられて、倒れなかったとのこと。

ボンベが倒れ、点滴を引きちぎるようなことにならなくて、よかった。こうなると、ちょっとした奇跡ですね。

エレベーターが使えないので、患者さんたちは全員、狭い階段を使って人海戦術で運び下ろされました。

問題は、最重症の方、とくに人工呼吸中の赤ちゃんたちの移動と、その後の呼吸・循環・体温管理です。

人工呼吸器は移動できず、NICUの赤ちゃんたちには、手で何時間も人工呼吸を続けたとのこと。

保育器も使えず、赤ちゃんたちは職員が抱いて暖めたそうです。想像するだけでも、涙が出そうになります。