ビフの件。ビフテキじゃないですよ。『バック・トゥ・ザ・フューチャーPART2』のビフの話です。
<a href="http://tsuruhara9linic.blog116.fc2.com/blog-entry-1868.html" target="_blank" title="昨日">昨日</a>ブログに書いたのですが、今日になって気になり、録画しておいたのを1年ぶりに観てみました。
ご存じのように第1作目は、1985年に住む主人公たちが1955年にタイムトラベルする、比較的単純な話です。
ところがPART2はかなり複雑。85年から<a href="http://tsuruhara9linic.blog116.fc2.com/blog-entry-1478.html" target="_blank" title="2015年">2015年</a>に行き、また85年に戻った後で55年に向かうという設定。
55年の場所には、第1作で時間旅行中の主人公もいるので、計3人の主人公が同時に存在する状態になります。
かなり複雑で、苦しい設定ですね。
過去を変えると未来も変わる、いわゆる「因果律」を満たそうとするあまり、とても窮屈な物語になってます。
よく考えると矛盾も多く、やはり、過去に向かう時間旅行は、タイムパラドックスを解決できませんね。
これが未来向きの一方通行であれば、因果律に反することもなく、おそらく理論的には可能でしょう。
これを「因果往方」といいますウソ。
ちなみに映画の最後には、 “TO BE CONTINUED” ではなく、 “TO BE CONCLUDED” と出ました。
「次回へ続く」ではなく、「次回完結」という宣言ですね。これでPART4が作れなくなってしまいましたが。
タイムトラベルを書いた小説といえば、H.G.ウエルズの『タイム・マシン』が、その元祖でしょうか。
子どもの頃に読みましたが、もうほとんど内容を覚えていません。
こんどはそっちが気になったので、AmazonでKindle版『タイム・マシン』を買って、読んでみました。
驚きました。まず冒頭から、さまざまな矛盾やパラドックスを、もっともらしい理屈で言いくるめています。
こんなに理屈っぽい本だっけ、子どもの頃に読んだのは。でも読み進むと、文明批判の物語でした。
タイムマシンは、人類の未来の姿を描くための手段であって、この小説の主題ではなかったようです。
ところで私は、小学6年生のとき、学級新聞に『土星のタイムマシン』という物語を連載したことがあります。
残念ながら、その現物は手元にありません。自分で書いたのに、物語の内容も忘れてしまいました。