昨日のブログ「<a href="http://tsuruhara9linic.blog116.fc2.com/blog-entry-1820.html" target="_blank" title="膾を吹くワクチン行政">膾を吹くワクチン行政</a>」の「膾」が読めなかったという人、いたと思います。「なます」です。
私も少し前まで読めませんでした。「なます」と入力したらこの字が出たので、驚いたぐらいです。
「読めるけど書けない」漢字が多いのも問題ですが、いまは「読めなくても書ける」時代なのです。
パソコンで「あつもの」と入力するだけで、「羮に懲りて膾を吹く」という変換候補が出てきます。
字を知らなくても読みの一部を知っていれば、このような難しい漢字の故事成語を簡単に書くことができます。
こんなことではしかし、いつまでたっても、「羮」も「膾」も、まともに読み書きすることができませんね。
「羮」とは熱い吸い物のことだそうですが、「熱物」ではなく「羮」という一字だからこそ味わいがあります。
「膾」は細切り肉のことだそうで、私がイメージするおせち料理の「紅白なます」とは少し異なります。
まあしかし、「熱物」であっても「紅白なます」であっても、故事成語の言わんとすることは伝わります。
「アツアツの料理でヤケドした人は、なますを食べるときでさえ吹いて冷ます」ということですね。
ところで、この故事成語が、楚の国の人「屈原(くつげん)」の言葉に由来することを、最近知りました。
だいぶ前に「<a href="http://tsuruhara9linic.blog116.fc2.com/blog-entry-579.html" target="_blank" title="ちまき">ちまき</a>」の起源について書いたときに登場した、あの屈原です。妙な再会です。
屈原が楚の王に助言をしたところ、讒言に遭って左遷され、再び助言してもまた讒言に遭って疎外されます。
絶望して放浪中、楚を憂えた詩の中に「羮に懲りて膾を吹く」が出てきます。詩の意味はこんな感じです。
「自分はいちど疎まれても、気持ちを変えず忠誠を誓い続けた。羮に懲りて膾を吹くような人間ではない」
屈原にしてみれば、「羮に懲りずに、また羮を食え」ということでしょうか。<a href="http://tsuruhara9linic.blog116.fc2.com/blog-entry-1774.html" target="_blank" title="猫舌">猫舌</a>の私には、厳しい話です。