「56年前、僕を産んでくれて、ありがとう」
などという気恥ずかしいメールを、今朝、母宛に送りました。このようなことは、生まれて初めての試みです。
面と向かって言うことなど、とてもできないし、電話だって同じ。手紙だと仰々しい。
こういうとき、ちょうど良いのが、メールですね。
母は84歳、父は88歳ですが、最近iPadを買って、メールができるようになったようです。驚きます。
ところが、早朝にメールを送ったのに、夜遅くになっても何のレスポンスもありません。
たぶん、気がついていないのです。実家のiPadは、日頃は箱の中にしまい込んであるからです。
昭和一桁生まれの人たちなので、使わないモノはいつも収納しておくのです。次に使う時に気づくのでしょう。
Facebookは、友達が誕生日を迎えると、何か書き込みませんかと勧めてきます。
しかし私は、自分の誕生日の時に、そのような押しつけがましいことを求めてはいません。
なので、友達の誕生日にも、何もお祝いの言葉を書き込まないようにしています。この2,3年前からです。
だいいち、すべてのFacebook友達に等しく誕生祝いを書くという形式的な作業には、疑問を感じます。
かと言って、一部の友達にだけ書き込むのもどうかと思い、結局、だれにも書けなくなってしまったのです。
誰もが読めるタイムラインに「誕生日おめでとう」などと書き込むのは、どうしても違和感があります。
相手に気持ちを伝えたければ、個人宛のメッセージとして、「誕生日おめでとう」と書き込むべきでしょう。
それを敢えて、タイムラインに書き込むのは、自分の気遣いをことさらにアピールするようで、イヤなのです。
「中高年のリア充自慢にうんざりして、若者のFacebook離れが進んでいる」といわれるのにも、頷けます。