参院選と改憲議論

「選挙戦」などと言いますが、政治家って、選挙以外の常日頃こそ、全力投球で戦うべきじゃないんですかね。

それにしても、このたびの参院選は、与党圧勝でした。

どうせすぐ結果が出るのに、途中経過をいちいち報道するテレビ番組など、面白くもないので見ませんでした。

焦点のひとつは、改憲勢力が3分の2の162議席を上回るかどうかでした。電子版で各紙の見出しを見ると、

毎日「改憲勢力3分の2超す」・・・3分の2超を憂慮した記事です

朝日「3分の2に迫る」・・・3分の2超を認めていない、負け惜しみ的な態度

読売「与党大勝 改選過半数 改憲派3分の2超す」・・・大喜び

産経「改憲勢力3分の2超 発議可能に」・・・改憲する気まんまん

今朝の毎日の記事にはあきれました。昨日の午後、都内某所でアンケートに応じた29歳の男性の話とのこと。

記者「3分の2という数字を知っていますか」

男性「それって雇用関係の数字じゃない?」

記者「改憲に必要な議席数」

男性「えっ、9条がいじられるってこと? みんな知らないんじゃないか」(と驚いた)

改憲発議ができる3分の2の議席を、与党らが獲得したこと自体は、まったく民主的な手続きによるものです。

その結果を憂慮するなど、国民をバカにしてます。改憲の議論さえ忌み嫌う考え方には、私は賛同できません。

これから改憲議論が徐々に進んでいくことでしょう。変えるとすればどう変えるか、それがいちばん大事です。

改憲内容については、十分な議論に議論を重ねた末に、発議してもらいたいものです。

国民投票が、意外とアテにならないことは、英国の件でよくわかりました。発議前の議論がなにより重要です。

ヘッジトリマー

晴天の日があったかと思えば、今度は雨ばかり。庭に雑草が生えまくり、生垣は伸び放題。

ときどき自分で庭木の剪定をしてますが、一度にやると疲れるので、今年はこまめにチョコチョコやってます。

剪定で私が使う「刃物」は、ノコギリ、剪定ばさみ、<a href="http://tsuruhara9linic.blog116.fc2.com/blog-entry-1481.html" target="_blank" title="高枝切りばさみ">高枝切りばさみ</a>、ヘッジトリマーの4点です。

ヘッジトリマーというのは、ノコギリザメみたいな、先の長い刈り込み機です。ヘッジとは生垣のこと。

素人なので、エンジン式なんて使いません。電動式です。数年前に、ハンズマンで買いました。

面白いように刈れるのですが、ずっと高い場所を刈っていると、腕が疲労します。

たまに近所の小学生が近寄ってくることがありますが、そのような時は作業を中断します。危険だからです。

子どもというのは、危険かどうかよりも、好奇心の方が優先するのです。

その、数年間使ってきたヘッジトリマーが、先日作業中に突然、故障しました。

よく見ると、刃の根元に枝が挟まっています。電動式は力が弱いので、太い枝が挟まると止まるのです。

ところが、ラジオペンチで枝を引き抜いても、トリマーは作動しません。オーバーヒートしたのでしょうか。

そろそろ買い替え時なのかもしれません。またハンズマンです。次に買うのは、もっと強いヤツにしよう。

とか思いながら、電源コードに目をやると、サクッと断線してるじゃないですか。

どうやら、トリマーでコードを切断してしまったようです。実はコレ、2度目。前回の失敗を忘れてました。

2本の銅線のうち、1本が完全に離断して、断面の銅がキラキラ輝いています。もう1本は無事のようです。

もしも、2本同時に刃物が接触すると、ショートしてブレーカーが落ちます。これは経験済みです。

小学生の頃、爪切りで電源コードを切ったらどうなるんだろうと、試したことがあります。

テレビのコードを、爪切りで挟んで切断してみたら、凄い音がして、火花が散って、ヒューズがとびました。

忖度政治

「忖度(そんたく)」って言葉は、日常会話ではあまり使いませんが、政治問題ではよく目に(耳に)しますね。

池上彰氏が最近、メディアを(そしてもちろん安倍政権も)批判して、こう言っています。

「報道機関の側が勝手に自主規制したり、忖度したりして、自ら自由を狭めている」

メディアは、官邸に睨まれないよう過剰な配慮をしている、というわけです。

「気配り」の国日本では、「察する」ことが大事です。その意味で「忖度」は本来、日本人の美徳のはず。

でも最近は「忖度政治」のように、「忖度」にはネガティブな、言うなれば「美徳の裏返し」を感じます。

「忖度」って漢字は、パソコンでかな変換したらすぐに出てきますが、自分で書くのは意外と難しいですね。

「忖」=「心+寸」。単純な字面なのに、「忖度」以外で使うことがないので、覚えにくいのでしょうか。

「寸」は「右手の手首に親指をあて、脈をはかるさまから、はかるの意味を示す」と、漢和辞典にはあります。

したがって「忖」は、「脈をはかるように、人の心をはかる」という意味だと。なるほど。

診察中には、必要に応じて患者さんの脈を触れます。時には、問診でもしながら1分間ぐらい触診し続けます。

診断的な意味だけでなく、ずっと手を握って会話をしていると、意思の疎通も図りやすい気がします。

こういうことなんでしょうかね「忖度」って。

なお、漢和辞典に異を唱えるつもりはないですが、<a href="http://tsuruhara9linic.blog116.fc2.com/blog-entry-722.html" target="_blank" title="脈を診る">脈を診る</a>とき手首には、示指と中指の先を当てるべきです。

平板化と中高化

待合室で、本棚の上に登ろうとする子どもに、「あぶないよ」と母親が声をかけたりしています。

この「あぶない」や「あかるい」などの形容詞のアクセントが、だんだん変わってきているのが気になります。

私は従来通り、「あぶない」は「低高高高」の「平板」発音をします。「くまもと」と同じアクセントです。

ところが最近よく耳にするのは「低高高低」の「中高(なかだか)」発音。「たのしい」と同じ発音です。

名詞の「<a href="http://tsuruhara9linic.blog116.fc2.com/blog-entry-1326.html" target="_blank" title="平板化">平板化</a>」とは対照的に、形容詞は「中高化」するのが、とくに若い人の間でみられる傾向のようです。

となると、もともと中高発音の「たのしい」とか「うれしい」も、昔は平板発音をしていたのでしょうかね。

いま使われている形容詞のほとんどが中高型アクセントであり、平板型は例外的なようです。

「平板式の語を暗記すれば、後はほとんど最後から二拍めまで高い中高型だと思ってよい」と金田一春彦氏。

金田一氏が「暗記すれば(よい)」と言ってるのは、35個の平板式形容詞です。

例えば、赤い、厚い、甘い、遅い、重い、硬い、軽い、きつい、眠い、明るい、危ない、くすぐったい、など。

このうち「厚い」は、同音異義語「熱い」や「暑い」との弁別のためにも、平板アクセントは残るでしょう。

しかしそれ以外の言葉のいくつかは、自分でもしばしば、中高型発音してますね。これはあぶない(平板)。

道の探求

新しい道を探検するのが、好きです。

車でもチャリでも、時間に余裕があれば、見知らぬ土地にどんどん入り込みます。

探求心や好奇心が旺盛なので、見たこともない風景に感動し、新しい街並みを見つけて感慨にふけります。

いやそれ以上に、多分、<a href="http://tsuruhara9linic.blog116.fc2.com/blog-entry-1299.html" target="_blank" title="後退するのがイヤ">後退するのがイヤ</a>なんでしょうね。いったん侵入した路地は、進み続けたいのです。

ときどき、渋滞した道路から、細い脇道に入っていく車がありますね。

裏道を知り尽くした人なのか、たまたま脇道の方向に行き先があるのか。

私はチャレンジャーなので、そのような車を追いかけて、知らない脇道にずんずん入って行ったりします。

多くの場合、後悔することになるのですが、しかしそれでも、新しい道を開拓したことに違いはありません。

自転車ではとくに、いつも新しい道を探検するつもりで走っています。

住宅地の袋小路に嵌まったり、川や崖に行く手を阻まれたりしても、それで得られるものは、あるのです。

どうしようもなく迷っても、スマホでマップを見れば、すぐに解決します。便利な世の中です。

なのでこの数年、サイクリングはホントに楽になりました。

自動車には、カーナビが装備され、道に迷うということが、減ってきました。

やがて運転者は、カーナビに任せっきりで道についての情報に疎くなり、地理がわからなくなるでしょうね。

ちょうど、パソコンの日本語漢字変換に慣れて、漢字を書けなくなってきたのと似ています。

壁紙修復DIY

熊本地震で、当院の備品等は一部損壊しましたが、建物自体の被害は比較的軽微でした。

そんな中で、壁紙(クロス)は、あちこちで裂けました。数えてみると、大小合わせて50カ所以上。

壁と建具の揺れ方のミスマッチが原因でしょうか。ドアや窓に近接する部分で、壁紙がいちいち裂けています。

ハウスメーカーに修復の見積を依頼したところ、予想よりも1桁高い、腰を抜かすぐらいの金額でした。

足場を組み、エアコン等を外し、壁の下地を修復し、壁紙をすべて貼り替えるという、壮大な工事です。

申請すれば、国からの補助も出るのですが、それでも高すぎます。というわけで、DIYです。部分修復です。

修復にはどのような道具が必要か、ネットで予習してから、ハンズマンに出かけました。が、売り切れ。

壁紙修復関連用品が、ことごとく売り切れています。むむむ、甘かったか。というわけで、Amazonで発注。

そのグッズが届いたので、先週から診療の合間などに少しずつ、修復を行っています。

以下、文章ではわかりにくいのは承知で、その手順を書いてみましょう。

(1)修復部付近の壁紙を剥がす(めくる)ために、カッターで切り込みを入れ、壁紙を観音開きにする

(2)デコボコに盛り上がった下地をカッターで削る

(3)パテを塗って窪みを埋めて平らにし、パテが乾いて縮んだら塗り重ね、乾かす

(4)壁紙用の糊を塗って、観音開きしていた壁紙を元に戻して貼り付け、ローラーでならす

(5)乾いたあとで、隙間があればコーキングを入れ込む

素人がやったにしては、思いのほか仕上がりが良く、なかなか楽しいDIYですね。

丸シールで点描画

大村雪乃という美術家の方が、「丸シール」で表現した風景画が、先日の日経で紹介されていました。

横浜の夜景です。市販の12色の文具シールを貼っただけの作品だそうですが、驚きます。現物を見てみたい。

そのシールって、たぶん、当院で予防接種のときに使っている、ニチバンの「マイタックシール」ですよね。

シールの色数がワクチンの種類よりも少ないので困ってる、などと<a href="http://tsuruhara9linic.blog116.fc2.com/blog-entry-781.html" target="_blank" title="以前書いた">以前書いた</a>ことがあります。

でも贅沢は言えません。大村氏はその12色の、数種類のサイズのシールで、風景画を描くわけですから。

大村氏が丸シールを使って「点描」するときの手順が、なかなか今風で興味深い。

(1)風景をデジカメで撮影

(2)パソコンで点描に変換

(3)その画像を見ながら、パネルにシールを貼る

画像編集ソフト「イラストレーター」で読み込んだ画像上に、丸いスタンプを押していくそうです。

画像を、わずか12色の大小の点描に集約していくところに、創作要素が入っていくのでしょう。

油絵などとは異なり、なんか安っぽい作品のようにも思えますが、そこが作者の狙いのようです。

安価な素材で表現するところに、都市の夜景の美しさなんてまやかしではないか、との皮肉を込めているとか。

シールの大きさを1種類にすれば、作業は格段に簡単になります。夏休みの宿題にうってつけかも。

地震関連死認定基準

熊本地震の影響で体調を崩すなどして亡くなった方のうち6人が、「地震関連死」と認定されました。

先月熊本市が設けた「平成28年熊本地震関連死認定基準」に基づく、初めての認定です。

その認定基準による「地震関連死」の定義を簡潔に書けば、こうです。

「熊本地震の影響による死亡であり、地震と死亡との間に相当因果関係が認められるもの」

「影響」とは、地震及びその後の余震に起因する、次の各項目による、肉体的・精神的影響となっています。

(1)家屋・家財の倒損壊

(2)医療機関や介護施設等の機能低下・停止

(3)ライフラインの途絶や交通事情等の悪化

(4)避難生活、ストレスやショック、その他生活環境の変化

地震後の屋根の修理で転落した場合や、地面のデコボコによる交通事故は、認められないようです。

それはちょっと、無慈悲じゃないですか。

屋根の修理中に余震が起きて、ふらついて転落したのなら、地震との因果関係は相当あるでしょう。

地震後のストレスが原因で寝不足で、屋根の修理中にふらついたとしても、同じことかもしれません。

いや、余震もストレスもなくたって、屋根の修理作業自体が、地震に起因するものでしょう。

地震さえなければ死ぬことはなかった、と考えられる人を全部、震災関連死として認定してもいいのでは。

名演奏で号泣

池辺晋一郎という、ダジャレ好きの作曲家がいますが、今朝の日経に面白いエッセイを書いていました。

「ものの名前」というタイトルで、地名や曲名や、やっぱり地名の問題を、わりと真面目に取り上げています。

その内容はともかく、池辺氏が、地名の由来や変遷について興味深く考察している点が、じつに興味深い。

このオジサンって、たいした人なんでしょうけど、ダジャレがベタなんですよね、テレビ番組で見てると。

NHKの「N響アワー」では、池辺氏のダジャレに対する、アシスタントの女性(女優)の反応が見物でした。

檀ふみさんは、さすがにうまい切り返しでしたが、途中でアシスタントが若村麻由美さんに変わりました。

しばらくは毎週、ヒヤヒヤしながら見てましたが、だんだん慣れてくるものですね。

この番組では、とくに思い出深い回があります。

それは、尾高忠明が指揮した、ブラームスの交響曲第一番の演奏を聴いたときのこと。

この曲は私も、中学1年の時に、先輩の田中雅弘さんから奨められて聴いて以来、ずっと大好きな曲です。

尾高氏が渾身の指揮。N響のメンバーが驚愕の演奏。あれはもう、涙が出そうになるぐらいの、名演奏でした。

そしたら若村麻由美も、番組中なのに、号泣です。泣きすぎて、その後のトークができなくなりました。

これは彼女の情緒不安定によるものではありません。よく見たら、あの池辺氏も、少しウルっとしてましたよ。

泣くのをギリギリこらえていた私も、2人の様子を見て、目頭が熱くなってきました。

この番組は録画してたので、すぐDVDに焼きました。DVDは書斎のどこかにあるはずですが、行方不明です。

数年前からときどき探しているのですが、見つかりません。書斎は震災前から、ひどい状況だったのです。

自動運転車の能力

さきほど職場からの帰宅中に、「テスラ Model X」にすれ違いました。私が初めて見たテスラです。

よっぽど、Uターンして、追いかけていこうかと思いました。

ファルコンウイングを開いて車から降りてくるドライバーのドヤ顔、または照れくさい顔を見たかった。

そのテスラの、「Model S」が、米国で死亡事故を起こしました。ベータ版の半自動運転モードだったとか。

問題は、システムトラブルが原因ではなく、純粋に、自動運転車の能力不足によるものだったという点です。

強い日差しとトレーラーの白い車体を識別できず、減速しないままトレーラーに巻き込まれたとのこと。

人の目で見ればすぐわかる事を、車が感知しなかったことが衝撃です。自動運転の根幹にかかわる大問題です。

ドライバーは、DVDで『ハリー・ポッター』を鑑賞していたという話もあります。

それだけ自動運転機能を信じて(油断して)、乗車していたわけです。

目の前にトレーラーが出てきたのに、車がまったく減速しないことには、さぞや驚いたことでしょう。

こんなことでは、自動運転車など怖くて乗れませんね。

人間を超える危険感知能力があるからこそ、自動運転車に任せる気になるのです。

子どもや自転車や、無謀運転や居眠り運転の車が往来する一般道で、完全自動運転など可能なのでしょうか。

今回の死亡事故は、自動運転に突き進んでいる我々に、少し冷静さを取り戻させてくれたようにも思えます。