奥本大三郎氏が今朝の日経に書いていたエッセイ「ペン胼胝(だこ)」を読んで、発見したことについて。
ペン胼胝なら、私の中指にも大きいのがあります。高校時代、ふとクラスメートの手を見て驚いたものです。
同じぐらい勉強している(はずの)友人よりも、私のペン胼胝の方が、はるかにデカいのはなぜ?
毎日書いている文字数が、他人よりも際だって多いのか。あるいは、シャーペンの握り方に問題があるのか。
それ以来、他人の手を見るとまず、ペン胼胝の有無や大きさを観察するという、変な癖が付いてしまいました。
そして、これまでに出会ったほとんどの方々よりも、私のペン胼胝の方が大きかったのです。
しかしこれは自慢ではなく、学生時代には、むしろ私のコンプレックスとなりました。なにせ不格好です。
さいわい、年齢を重ねるうちに、ペン胼胝のことなど、いつのまにか気にならなくなっていきました。
そんな私に、おそらく四半世紀ぶりに、ペン胼胝のことを思い出させたのが、奥本氏のエッセイでした。
ところが今日、何気なく自分の手を見て、腰を抜かすほど驚きました。ペン胼胝が、無いのです。
あの隆々とした、土手のような、固くて不格好なペン胼胝が、忽然と姿を消しているのです。
文字を書くのはパソコンばかり。長年ペンを握らないと、ペン胼胝も「退化」するということでしょうか。
しかしそれよりも、ペン胼胝が消えたことに、今日の今日まで気付かなかったことに、愕然としたのでした。