「父の日」に関連して昨日、実家の父と電話で会話したからなのか、昨夜見た夢にも、父が登場しました。
昨夜はまた、そこそこに揺れた余震があり、さらに未明からは、ひどい雷鳴と共に大雨が降り出しました。
「地震・雷・火事・親父」のうち3つまでが、一晩の間に登場した格好です。「火事」は必要ありません。
4つ目の「親父」は「大山風(おおやまじ)」で台風の意味だ、という説もありますが、私は採用しません。
恐ろしいモノのトップ4を並べたこの表現の、用例を探して辞書を引くと、太宰治が出てきました。
「地震雷火事親爺、それ以上に怖い戦争が起ったなら先づ山の中へでも逃げ込まう」(『思ひ出』1933年)
ちょうど今日、6月19日は「桜桃忌」。太宰の遺体が発見され、それが奇しくも太宰の誕生日だった日です。
太宰の時代に恐怖の対象だった戦争は、いまだとテロでしょうか。
地震など、ちょっと前までは他人事で、私はあまり怖れていなかったのですが、いまや断トツの恐怖です。
雷は、子どもの頃には単純に怖かったものの、いまは電子機器への影響や停電が怖いですね。
火事には遭ったことはありませんが、怖ろしいことはよく知っています。
さて親父はどうでしょう。自身が親父になって四半世紀以上経つのに、怖れられるような自覚がありません。
そういえば波平も、昔よりも優しくなったような気がします。いまの親父など、そんなものかもしれませんね。