熊本市民病院被災

熊本市民病院は、私が開業する前の7年間(2000〜2007年)、小児心臓外科医として奉職した病院です。

今回の地震で建物が損壊し危険があるため、入院患者全員が、4月17日までに転院または退院しました。

4月28日からは、耐震基準を満たしている場所で外来診療を一部再開しましたが、入院診療は止まったまま。

いちばん問題となっているのは、熊本市民病院が地域の中核だった部門「総合周産期母子医療センター」です。

総合周産期母子医療センターとは、リスクの高い母体と胎児や新生児に、高度な医療を専門に行う施設です。

センターには、大規模な新生児集中治療室(NICU)と母体胎児集中治療室(MFICU)が備わっています。

熊本県内外から、新生児医療の最後の砦として最重症の赤ちゃんが搬送され、最高度の医療を行ってきました。

ところが今回は、NICUなどにいた赤ちゃん38人を、熊本県内外の病院に搬送しなければなりませんでした。

熊大病院にも総合周産期母子医療センターはありますが、熊本市民病院の方が、より高度なセンターでした。

なぜなら市民病院には、新生児科や産婦人科を支える診療部門が、きわだって充実していたからです。

たとえばそれは、重症新生児の外科手術を行う技術のある、小児心臓外科や小児外科や麻酔科の存在でしょう。

私が勤務してた頃、新生児の心臓手術ができるのは、熊本・鹿児島・宮崎の3県では熊本市民病院だけでした。

各地の大学病院や基幹病院から、心臓手術を依頼されて患者の搬送を受けることを、誇りに思っていました。

今回の地震は、病院の建物が古かったというだけで、この総合周産期母子医療センターを壊滅させました。

復旧には時間がかかるでしょうけど、この際、さらに高度で機能的な新センターを再建してほしいものです。

ちなみに、熊本市民病院に小児心臓外科が開設されたのは23年前。初代部長は、恩師・米永國宏先生でした。

手術数はどんどん増え、病院の新生児医療レベルの高さを背景に、新生児の心臓手術を行うまでになりました。

あるいは、心臓手術を支えるために、皆が努力して、病院全体のレベルが上がったという側面もあるでしょう。

今日、5月3日は、熊本の新生児医療に大きく貢献された、米永先生の命日、十三回忌でした。