隗より始めよ

「院内感染対策は “隗より始めよ” – 新人が入った今こそ対策を」という、医療系の記事が目に留まりました。

新人の初期研修こそ大事、という意味はわかりますが、それよりも「隗より始めよ」の使い方がおかしい。

中国戦国時代、郭隗という人物が燕の昭王に言ったとされるのは、

「まず、凡庸な自分を抜擢してください。そうすれば、優れた人材が次々と集まりますよ」

(1)優秀な人間を集めたければ、まずは、優秀ではない者を優遇することだ

「隗より始めよ」は元々この意味。隗の抜擢は、サクラのようなものなのです。これが転じて、

(2)大事をなすには、まず、手近なところから着手せよ

サクラのような悪い意味が薄れ、建設的な良いイメージになりました。ところが、

(3)まず、言い出した自分から行動せよ

となると、ニュアンスがずいぶん異なってきます。最近では、このような使い方も多いとか。さらに、

(4)何事も、最初が肝腎

となっては、まるで意味が違います。今回の院内感染の記事は、まさにこの用法。さらに曲解されて、

(5)まず、身近にいる私を信じて、使って下さい

プロジェクト立ち上げの際、「オレにやらしてください!」と新人が果敢に手を挙げる、ドラマのシーンとか。

学校でこの故事成語を習ったとき、まず自分を売り込もうとする隗の態度に、いやらしさを感じました。

たぶん私の理解では(5)だったのです。はたして隗の真意は、どうだったんでしょうかね。