忸怩たる思い

甘利明経済再生相が辞任しました。世間では「ゲスノート」の呪いだとも言われています。

数日前に甘利氏が安倍首相に、閣僚辞任の可能性を打ち明けたところ、

「たとえ内閣支持率が10%下がっても、続けてもらいたい」と励まされて逆に、

「これ以上、迷惑をかけられない」との思いを強めたとのこと。

つまり、「やめてほしくない」と信頼されているからこそ、「やめなければならない」と決心したわけです。

先週のダボス会議のときには、甘利氏は自分の疑惑を否定しつつ、

「安倍総理大臣にご迷惑をおかけしていることは、本当にじくじたる思いがあります」と述べました。

周囲の外国人は、同時通訳のイヤホンを付けていましたが、「じくじたる思い」はどのように通訳されたのか。

辞書には “I blush with shame…” とありますが、それだと「恥じ入るばかりだ」と同じような気がします。

「忸怩(じくじ)」と敢えて言う、その古めかしいニュアンスは、日本語特有の表現なのでしょうか。

古い用例を探したら、森鴎外の『カズイスチカ』がありました。鴎外の医学的経験を題材にした小説です。

読んだことがなかったので、さっそくネット(青空文庫)で読んでみました。

ある患者の、病気の真相を医者に教えられ、それに気付かなかった助手(書生)が自分を恥じる場面。

その印象的なシーンで「忸怩たるものがあった」という表現が出てきます。

おそらく、注意力不足・観察力不足・想像力不足・勉強不足、などという反省があったのでしょう。

しかしそんなことを言うなら、私など、似たような忸怩たる思いは、毎日のことですけどね。