完璧なカタコト

大河ドラマ『<a href="http://tsuruhara9linic.blog116.fc2.com/blog-entry-1559.html" target="_blank" title="真田丸">真田丸</a>』、盛り上がってきましたね。題材もキャストも、脚本も良いです。

これ以外のテレビドラマは、最近ほとんど見ませんが、ふと見かけた民放ドラマが妙に面白かった件。

フジテレビの『ナオミとカナコ』がそれです。高畑淳子が演じる、中国人女社長がウケます。

そのしゃべりが「完璧すぎるカタコト」とまで評されるぐらいの、はまり役アルヨ。みな見るヨロシ。

このドラマを見て、ゼンジー北京を思い出しました。もう、ゼンジー北京を知らない人も多いでしょうか。

「ワタシ中国ハ広島ノウマレアルヨ」とか「タネモシカケモ、チョトアルヨ」とか言ってた、手品芸人です。

この中華風のカタコトは、文明開化期の横浜や、戦時中の満州に由来があるといわれています。

これらを掘り下げるとまた面白いのですが、まだ研究途上なので、今日は書きません。

ステレオタイプな使われ方だけでなく、いまでも実際に、中国の方は似たような言葉遣いをされます。

助詞を省いてしゃべる患者さん(中国人)には、日ごろの診療でもよく遭遇します。意味はまったく通じます。

促音(っ)や長音もしばしば脱落していますが、これもほとんど支障はありません。会話は成立します。

助詞や促音や長音が無いと、言葉は全体に短縮され、会話の時間が短くなります。ある意味、省エネです。

ただしどうしても、せっかちに聞こえますね。そこがどうも私の、香港映画のイメージと重ナルノコトヨ。

忸怩たる思い

甘利明経済再生相が辞任しました。世間では「ゲスノート」の呪いだとも言われています。

数日前に甘利氏が安倍首相に、閣僚辞任の可能性を打ち明けたところ、

「たとえ内閣支持率が10%下がっても、続けてもらいたい」と励まされて逆に、

「これ以上、迷惑をかけられない」との思いを強めたとのこと。

つまり、「やめてほしくない」と信頼されているからこそ、「やめなければならない」と決心したわけです。

先週のダボス会議のときには、甘利氏は自分の疑惑を否定しつつ、

「安倍総理大臣にご迷惑をおかけしていることは、本当にじくじたる思いがあります」と述べました。

周囲の外国人は、同時通訳のイヤホンを付けていましたが、「じくじたる思い」はどのように通訳されたのか。

辞書には “I blush with shame…” とありますが、それだと「恥じ入るばかりだ」と同じような気がします。

「忸怩(じくじ)」と敢えて言う、その古めかしいニュアンスは、日本語特有の表現なのでしょうか。

古い用例を探したら、森鴎外の『カズイスチカ』がありました。鴎外の医学的経験を題材にした小説です。

読んだことがなかったので、さっそくネット(青空文庫)で読んでみました。

ある患者の、病気の真相を医者に教えられ、それに気付かなかった助手(書生)が自分を恥じる場面。

その印象的なシーンで「忸怩たるものがあった」という表現が出てきます。

おそらく、注意力不足・観察力不足・想像力不足・勉強不足、などという反省があったのでしょう。

しかしそんなことを言うなら、私など、似たような忸怩たる思いは、毎日のことですけどね。

小保方氏の本を読む

<a href="http://tsuruhara9linic.blog116.fc2.com/blog-entry-1180.html" target="_blank" title="小保方晴子氏">小保方晴子氏</a>が、本を出しました。『あの日』(講談社)です。

昨日発売されて、Amazonではすでに、ベストセラー1位に躍り出ています。

先入観なしで読みたかったのですが、つい、Amazonのレビューを見てしまいました。

そして、その評価の異常さに驚きました。肯定と批判の両極端なのです。中間的評価がほとんどありません。

今朝、確認した時点では、星5つから1つまでの人数が、20、3、1、2、31、ですよ。

高評価のレビューは、小保方氏に同情的で、理研やマスコミには批判的。多分、STAP細胞を信じてる感じ。

低評価のレビューは、小保方氏を徹底的に批判し、この本など読む価値も出版する価値もなし、としています。

評価が両極端なのは、<a href="http://tsuruhara9linic.blog116.fc2.com/blog-entry-1172.html" target="_blank" title="STAP細胞">STAP細胞</a>問題の面白さを表していますね。

この本にレビューを書くような人は、小保方ファンかアンチ小保方かの、いずれかなのでしょう。

そのいずれでもない人は、そもそもこの本自体に興味がないのです。

で、私はと言いますと、今となってはただ、冷静に彼女の手記を読んでみたいと思いました。

そこで今朝、近所の紀伊國屋書店に、今回は開店時間を間違えずに行ってみましたが、ありません。

売り切れではなく、熊本ではまだ、販売されていないのです。流通の関係か。地方都市の悲哀を感じました。

帰宅してAmazonを見ると、「在庫切れ、入荷時期未定」との表示に変わっています。ありゃりゃ。

いま入手できなければ、多分読まないでしょう。ということで、今回もKindleで購入。3時間半で読了。

内容については、ここでは書きません。理系でないと読みにくいかも。評価は分かれるでしょうね。星2つ半。

サードウェーブ

「サードウェーブコーヒー」なるものが近年流行しているそうですが、私は完全に、波に乗り遅れています。

そもそも、コーヒーショップとか喫茶店とかに行くこと自体が、最近はほとんどありません。

MacBook Pro持って、近所のスタバでブログでも書こうかと、何度か考えましたが、まだ実現していません。

だって、オヤジがスタバでMacでブログですよ、いかにもイヤらしいでしょう。

そんなスタバとかタリーズとかが「セカンドウェーブ」で、その次の動きが「サードウェーブ」だそうです。

厳選した豆で、きちんと淹れる。なんだか、普通の自家焙煎店と同じような気もしますが、気のせいか。

コーヒーを飲む時間を楽しむのがスタバなら、サードウェーブは、コーヒー自体を楽しむ場所なのでしょうか。

「ミヤマ珈琲」なる店が、最近わが家の近所にできました。「喫茶室ルノアール」の系列店のようです。

郊外型フルサービスのサードウェーブの店ですが、調べてみると全国に7店舗(埼玉3、東京2、熊本2)のみ。

どうして熊本なんでしょうね。ルノアール創業者の出身地なのか。採算がとれるのか。よくわかりません。

コーヒーに目覚めた学生時代には、街中の純喫茶や、こだわりの自家焙煎店に、よく通っていました。

喫茶店のことを「サテン」と呼び、ふざけて「キッチャテン」などとも言ってましたが、いずれも死語ですね。

ところが、辞書を引いてみると、意外な事実(私が知らなかっただけの事実)が判明しました。

「キッチャテン」は俗語ではなく、むしろ昔は「キッサテン」よりも一般的な言い方だったということ。

「茶道」をかつて「チャドウ」と言ったはよく知られていますが、まさか「キッチャテン」もそうだとは。

ジカ熱が流行中

アメリカ大陸ではいま、治療法もワクチンもない「ジカ熱」が流行し、感染が拡大しています。

ジカ熱の病原体「ジカウイルス」は、<a href="http://tsuruhara9linic.blog116.fc2.com/blog-entry-1068.html" target="_blank" title="デング熱">デング熱</a>の病原体「デングウイルス」に近いウイルスです。

ジカ熱はデング熱よりも軽症ですが、妊婦が感染すると、胎児の小頭症をもたらす可能性が指摘されています。

いずれもネッタイシマカのほかに、日本のデング熱騒ぎでも登場した、ヒトスジシマカでも媒介されます。

なので日本でデング熱が発生することがあれば、ジカ熱も紛れ込んでいる可能性があります。

現に一昨年、日本でデング熱が流行した時、タイ帰りの男性が、日本国内でジカ熱を発症していたようです。

ジカ熱は、デング熱よりも軽症だからこそ、患者に自覚が足りず、感染が拡大しやすい可能性があります。

そこで昨日、ジカ熱の現状と対策を探ろうと、厚労省のサイトを見ようとしたら、これが見られません。

ちょうど「アノニマス」によるサイバー攻撃を受け、ホームページが閲覧できない状態になっていたからです。

サーバーに大量のデータが送りつけられる「DDoS(ディードス)攻撃」です。

もうそろそろ復旧してないだろうかと、昨夜はたびたび厚労省のサイトを見ましたが、何度見てもダメ。

そのようなアクセスを何度も試すことが図らずも、DDoS攻撃の片棒を担ぐことになっていたかもしれません。

手元に素数を

<a href="http://tsuruhara9linic.blog116.fc2.com/blog-entry-1573.html" target="_blank" title="史上最大の素数">史上最大の素数</a>を、自分の目で見たい、できれば手元に置きたい(?)。素数好きなら、きっとそう思うはず。

探したら、ありました。その素数をダウンロードできるサイトが。さっそくゲットです。無料です。

しかしそれは、ただただ数字が延々と続く、約22MBのテキストファイルでした。そりゃそうでしょうけど。

文字数をカウントすると、22,338,618字。これは、報じられている素数の桁数に一致します。間違いない。

なるほど、1バイト文字が2200万あれば、22メガバイトになるんですね。そこにも納得。

それにしても、2200万桁の恐ろしく巨大な数値が、正確にダウンロードできるということに驚きます。

まあ、当たり前と言えば当たり前。単なる文章と思えば、2200万字なんて、・・・いや、かなりの分量です。

新聞一紙の文字数は、約11万文字(22万バイト)だそうなので、件の最大素数は新聞100日分に相当します。

紙面全体に素数だけ印刷しても、100日かかるというわけ。こりゃ3日目で飽きるか(初日から飽きる?)。

総文字数が約1500万字といわれる広辞苑があるのだから、素数だって1冊の本にできますね(誰が買う?)。

ダウンロードした文書は、1行に数字100個、1ページ57行、全3920ページ。印刷する気には、なりません。

最終ページだけは、3行と18文字。文字数を計算すると、100 x 57 x 3919 + 318 = 22,338,618。OK。

この文書を見れば、その史上最大の素数の何桁目の数字が何か、ということが一目瞭然。すばらしい。

たとえば、私の生年月日にちなんで19600917桁目の数値は、6です。私のプライムナンバーと言えましょう。

だからどうした、って話ですが。まあ、素数を手にしたという、所有欲は満たされました。(だからどうした)

中村梅之助さん死去

中村梅之助さんが、亡くなりました。

「遠山の金さん」は子どもの頃よく見てました。「<a href="http://tsuruhara9linic.blog116.fc2.com/blog-entry-31.html" target="_blank" title="花神">花神</a>」の村田蔵六役も良かった。私には思い出深い人です。

満85歳で亡くなられたので、「享年85」です。

「享年85歳」では「年」と「歳」が重複するとされるので、「歳」は付けない場合が多いようです。

辞書を見ると、享年とは「天から享(う)けた年」の意味。

そのときの年齢を指すので、生存中でも使えるそうですが、たいていは、死亡時の年齢を意味します。

ところが読売テレビの道浦俊彦氏は、平均寿命より若く亡くなった人には「享年」を使わない、と言ってます。

享年とは「天から享(う)けた寿命」だから、というのがその理由だそうですが、納得しかねます。だって、

平均寿命などという統計学的な数値と、享年という文学的な表現に、いったい何の関係がありますか?

何歳で亡くなろうとも、それがその人の寿命(すなわち享年)だと考えてはいけませんか?

享年という言葉を正しく使うために、最新の男女の平均寿命を、常に把握しておく必要があるのですか?

同じ85歳でも、もしも女性だったら、平均寿命を下回っているので、享年は使えないってことですか?

「天から享けた寿命」というのは、その人が生まれたときの<a href="http://tsuruhara9linic.blog116.fc2.com/blog-entry-938.html" target="_blank" title="平均余命">平均余命</a>で考えるべきではないのですか?

「享年」の適用に理屈をつけることには、無理があると思いますよ、道浦さん。

過去最大の素数発見

過去最大となる、約2233万桁の素数が発見されました。「そーすか」とか言ってる場合じゃありません。

世界中の研究者が、より大きな素数を探すプロジェクトの中で、今回のそれは見つかりました。

「2のn乗-1」という形の素数を探そうという、「グレート・インターネット・メルセンヌ素数探索」。

インターネットを介して100万台以上のコンピュータを接続した、分散コンピューティングによる成果です。

これまでの最大素数は、2013年に発見された1742万桁。今回の発見で、桁数はずいぶん飛躍したものです。

素数は無限に存在するので、このような大発見は今後も限りなく繰り返されるのでしょうか。

いま「素数は無限に存在する」と書きましたが、なぜそんなことが言えるのか、その証明法は簡単です。

最大の素数をNとしたとき、すべての素数の積=2x3x5x…xNに1を加えた数は、どの素数でも割り切れません。

つまりそれは、新たな素数ということになります。これはNが最大の素数であることと矛盾します。てな感じ。

<a href="http://tsuruhara9linic.blog116.fc2.com/blog-entry-40.html" target="_blank" title="円周率">円周率</a>の桁数追究とは異なり、素数探求の進歩は、<a href="http://tsuruhara9linic.blog116.fc2.com/blog-entry-1111.html" target="_blank" title="暗号業界">暗号業界</a>にも大きな影響を与えそうです。

<a href="http://tsuruhara9linic.blog116.fc2.com/blog-entry-596.html" target="_blank" title="前にも書いた">前にも書いた</a>ように、よく使われている重要な暗号が、素数を利用しているからです。

でもいつか、だれか天才が、画期的な素数発見手法をあみ出すんでしょうね、きっと。

もうその頃には、素数なんて、偶数と同じぐらい簡単に見つかるものに、なっているかもしれません。

女性の名前

「女性の名前には植物系が人気?」と今朝の新聞に出ていました。明治安田生命の調査結果です。

2015年生まれの、女児の名前のランキング上位には、「葵」「菜」「花」などが多く使われているとのこと。

1位から順に「葵」「陽菜」「結衣」「さくら」「凛」「花」「結愛」「花音」「心結」「陽葵」という具合。

間違いなく言えるのは、「子」の付く名前が、激減していることです。

しかしそのことよりも、私が面白いと思ったのは、その記事にあった「人気ランキング首位の変遷」です。

昭和初期は「和子」が13年連続首位だったり、その後「恵子」「陽子」を経て、昭和末期は「愛」ブーム。

いつか、当院職員の一覧表を眺めていて、ふと気付いたことがありました。

そのリストを、生年月日順(つまり、年齢順)に並び替えてみたら、驚くべき規則性が見つかったのです。

女性職員11名の名前の文字数が、年上から順に、2, 2, 2, 3, 3, 3, 3, 3, 1, 1, 1だったのでした。

生まれ年でいえば、50〜60年代=2文字、70年代=3文字、80年代=1文字と、はっきり分かれていました。

世の中には、いろんな名前があるでしょうけど、このような傾向は、ある程度一般的なのかもしれません。

そこで、当院の<a href="http://tsuruhara9linic.blog116.fc2.com/blog-entry-1539.html" target="_blank" title="患者データベース">患者データベース</a>を使って、女性10534人の、名前の文字数を分析してみました。

まず1920年代生まれまでは、大半が3文字なんですね。そのほとんどは、「シヅヱ」のようなカタカナです。

30年代以降、3文字は減り続ける一方で、2文字の割合が増え、2010年代では80%に迫る勢いです。

ただし例外的に、80年代だけ、2文字の伸びが止まっています。これは1文字が増えたためです。

1文字の名前は、70年代生まれから急に増え始め、80年代と90年代は9%台。その後は少し減っています。

当院職員の、70年代の3文字は偶然でしょうけど、80年代の1文字は、当時の流行を反映しているようです。

この、名前分析。面白そうなので、もう少し研究してみます。

ごめんください

店に入るときに「ごめんください」と言わなくなりました。少なくとも私は、何十年も言ってない気がします。

ゆめタウンの入口で「ごめんください」などと言ったら、バカ受けです。

昔、私の父はよく、店に入るとき「ごめんなさい」と言っていました。恥ずかしかったですね、子ども心に。

「ごめん(御免)」はもともと「許可」の意味です。

「ください」は、「ご覧ください」のように、「ご(御)」を伴う漢語に付くと、願いを表します。

なので「ごめんください」は、「(入店の)許可をお願いします」ということになります。

他人の家を訪れたときも、あるいは別れるときも、その許しを願う意味で「ごめんください(ませ)」です。

「なさい」も、「おやすみなさい」のように、「ご」や「お」を伴う言葉に付いて、その行為を願うもの。

その意味では、入店時に「ごめんなさい」と言っても間違ってはいないことが、今ごろになってわかりました。

店主が通常は店の表に出ていないような個人商店では、入店するときの「ごめんください」が必須です。

「客が来ましたよ」「入りますよ」と伝えるためです。それを聞いて、店主がやおら奥から出てくる。

「ごめんください」の出番が減ったのは、そのようなレトロな店が減ったためかもしれません。