聴診と真っ直ぐな心

日ごろ聴診する音は、心音(心雑音含む)、呼吸音(肺雑音や喘鳴などを含む)や、腸蠕動音、血管雑音です。

そうそう、いつも水銀血圧計で血圧を測る時には「コロトコフ音」も聴いてました。

ただ聞こえてくる音を「聞く」のではなく、じっくりと耳を傾けて「聴く」ので、『聴』の字を使います。

「聞く」は受動的局面で使い、「聴く」は能動的局面で使うと、大ざっぱに言えるでしょうか。

「夜中に変な物音を聞いた」とか、「クリニックの悪評を聞いた」など、イヤなものなら「聞く」ですね。

音楽鑑賞なら「ピアノ曲を聴いた」ですが、それが不本意な場合には「ピアノを聞かされた」となります。

「耳できく感覚」は「聞覚」ではなく「聴覚」であり、その能力は「聴力」です。能動的な感覚なのです。

40代半ば頃から、視力はかなり悪くなってきましたが、聴力においてはまだ、支障を感じません。

人の話の場合にはたいてい「聞く」ですが、つつしんで聞くときは「拝聴する」などと言います。

心を傾けてきく場合に「聴く」を使うということでしょうか。

「十四の心で耳を傾けることを『聴く』といいます」などというのは、金八先生風の、作り話です。

『聴』の旁(つくり)は、『徳』と同じで、「直+心」だそうです。漢和辞典には、そう書いてあります。

「真っ直ぐな心で耳を傾けることを『聴く』といいます」と言えば、正しいウンチク話になるかもしれません。