コサイン教えて何になる

「コサイン教えて何になる」 朝日新聞の見出し。語呂がいいですね。

「サイン教えて何になる」なら七五調で、さらに良いのですが、今回はあえて「コサイン」です。

「サイン」には別の意味もあるので避けて、三角関数の意味しかない「コサイン」を選んだのでしょう。

「高校教育で女子に、サイン、コサイン、タンジェントを教えて何になるのか」

鹿児島県の伊藤知事のこの発言が、波紋を呼んでいます。

知事は発言を撤回し「私もサイン、コサインを人生で1回使いました」と釈明したそうですが、逆に苦しい。

「サイン、コサイン」って、使った回数を覚えておくようなものですか?、しかも1回だけ?

じゃあその、人生で1回だけ使ったという、その「用途」を説明してもらいたいものです。

今回のニュースを聞いて、昔のカシオの関数電卓の、CMのフレーズを思い出しました。

「サイン、コサイン、タンジェント、ログ、エルエヌ、ルート、パイ、カシオで一発ワンタッチ 」てやつ。

ああ、あったあった、と思い出した方は、50代以上です、間違いなく。

「サイン、コサイン」の、文学的用例を探していたら、夏目漱石の『人生』という著作を見つけました。

旧制第五高等学校(いまの熊大)の校友会誌「龍南会雑誌」に、漱石が明治29年に寄稿した論説です。

「(前略)人生は一個の理窟に纏(まと)め得るものにあらずして、小説は一個の理窟を暗示するに過ぎざる以上は、『サイン』『コサイン』を使用して三角形の高さを測ると一般なり、吾人の心中には底なき三角形あり、二辺並行せる三角形あるを奈何(いかん)せん(後略)」

残念ながら、正確には解釈できませんが、「サイン」「コサイン」の位置づけが、なんとなくわかります。

「底なき三角形」に対しては、「コサイン」が使えません。知事の言いたかったことも、少し理解できます。