8月7日は「鼻の日」。今朝の「林修の金曜言葉塾」では当然、芥川龍之介の『鼻』に触れていました。
せっかくなので、何十年かぶりに、今日は『鼻』をほじくり返して、いや、読み返してみました。
よく知られるようにこの話は、『今昔物語集』や『宇治拾遺物語』に収載されている説話を題材にしています。
それらの古典についての記憶も曖昧なので、この際、その両者も読んでみました。
『今昔物語集』を学校で習ったことなんて、それこそ「今は昔」。
平安末期に成立したとされる、いろんな話を集めてみました的な、全1059話の、奇想天外な説話集です。
最後の方の巻には「宿報」「霊鬼」「悪行」などのサブタイトルが付いていて、なかなかそそられます。
その中の『池尾禅珍内供鼻語(いけのをのぜんちないくのはなのこと)』が、芥川の題材になりました。
『<a href="http://tsuruhara9linic.blog116.fc2.com/blog-entry-574.html" target="_blank" title="宇治拾遺物語">宇治拾遺物語</a>』は、時代が下って鎌倉時代に編纂された「面白話まとめ」。ぐっと凝縮されて、全197話。
半数近くが今昔物語と重なっているので、事実上「厳選・今昔物語集」的な側面もあります。
その『鼻長き僧の事』を今昔と読み比べると、当然、ほとんど同じ内容ですが、ずいぶん読み易くなってます。
古典の2つは、異常に鼻が大きな僧の、その「鼻持ちならない」愚かさを描いた笑い話、という印象でした。
芥川の『鼻』はしかし、巨鼻コンプレックスをもつ僧と、彼を取り巻く人々の、互いの心理を描写した物語。
題材の面白さだけで終わらせないところが、さすがです。そこを夏目漱石が絶賛したのでしょうね。