ホテルオークラ建て替え

ホテルオークラ東京の本館が、本日をもって閉館し、明日から、高層ビルへの建て替えが始まります。

文化的な価値も高く、取り壊し見直しの嘆願運動も起きるほどでしたが、計画通り進められるようです。

欧州のみならず、日本よりも歴史の浅い米国ですら、開業から100年以上の老舗ホテルが温存されています。

日本は寺社仏閣は温存しても、実用的な建造物を、最初の形のまま使い続けるという発想が足りません。

お前には関係ない話だろう、と言わないで下さい。私も1回だけ、オークラに宿泊したことがあるのです。

バブル真っ盛りの、1990年のことです。

当時、製薬会社主催の研究会には、旅費も宿泊費もメーカー負担で参加していました。古き良き時代でした。

ある医薬品の臨床治験に関わっていた関係で、メーカー主催の検討会のために、たびたび上京していました。

どういうわけか、東京の宿泊ホテルは毎回異なり、いつも一流。そのうち1回が、ホテルオークラでした。

タクシーで到着すると、まずその外観の風格に圧倒されたのち、メインロビーで度肝を抜かれます。

後にも先にも、これほど迫力があるロビーには、お目にかかったことがありません。

迫力があるのに威圧されるわけではなく、和風のたたずまいなのにインターナショナルな雰囲気でした。

あのような圧倒的な、日本モダニズムの空間が、はたして新しいホテルに引き継がれるのでしょうか。

外観もそう。多少個性を持たせたとしても、高層ビルというのはたいてい、似たり寄ったりになりがちです。

都心の一等地に、あえて低層ビルでいくという、これ以上ない贅沢な選択肢はなかったのでしょうか。

地上11階のまま、そのかわり地下50階建てにする、っていうのはどうでしょう。氷山みたいなビルです。

江津湖花火大会

荒天のため順延された、熊本の「江津湖花火大会」ですが、今日はなんとか開催できたようです。

勤務医の頃は、会場が市民病院の真ん前なので、この花火大会はよく見ていました。病院の窓からですが。

さて昨日のこと。私は花火を見に行く予定はなかったものの、心配になるぐらい、ひどい雨でした。

午後からどんどん雨脚が強まり、どう考えても無理だろうと、熊本市のサイトを覗いてみたのです。

すると、14時半時点の公式Facebookページには、「予定通り実施」「雨具をご準備下さい」とあります。

夜には小雨になるという予測なのか、あるいは翌日に順延しても、どうせ雨が続くだろうということなのか。

他人事ながら気になって、その後も診療の合間にちょくちょくFacebookを確認していました。

ほとんど土砂降りになっても、まだ「順延」の表示が出ません。これで花火をやるとは、熊本市は鬼なのか。

公式Facebookページには、大雨の会場で待っている市民の、悲鳴のようなコメントが次々と投稿されました。

17時ごろ、「テレビで順延と言ってたよ」などのコメントが出始めました。

サイト主の熊本市はノーコメントのまま。業を煮やした市民からの情報が、先に上がってきたわけです。

熊本市の問題点は次の2つ。

(1)ひどい雨なのに、順延の決定が遅すぎた

(2)公式サイトの情報を更新するのが遅れ、順延決定後もしばらく、「予定通り実施」の表示が出続けた

会場やその周辺で、雨の中を何時間も待ち続けている市民の情報源は、テレビではありません。ネットです。

情報をリアルタイムで拡散することができるインターネットを、熊本市は生かしきれませんでした。

コサイン教えて何になる

「コサイン教えて何になる」 朝日新聞の見出し。語呂がいいですね。

「サイン教えて何になる」なら七五調で、さらに良いのですが、今回はあえて「コサイン」です。

「サイン」には別の意味もあるので避けて、三角関数の意味しかない「コサイン」を選んだのでしょう。

「高校教育で女子に、サイン、コサイン、タンジェントを教えて何になるのか」

鹿児島県の伊藤知事のこの発言が、波紋を呼んでいます。

知事は発言を撤回し「私もサイン、コサインを人生で1回使いました」と釈明したそうですが、逆に苦しい。

「サイン、コサイン」って、使った回数を覚えておくようなものですか?、しかも1回だけ?

じゃあその、人生で1回だけ使ったという、その「用途」を説明してもらいたいものです。

今回のニュースを聞いて、昔のカシオの関数電卓の、CMのフレーズを思い出しました。

「サイン、コサイン、タンジェント、ログ、エルエヌ、ルート、パイ、カシオで一発ワンタッチ 」てやつ。

ああ、あったあった、と思い出した方は、50代以上です、間違いなく。

「サイン、コサイン」の、文学的用例を探していたら、夏目漱石の『人生』という著作を見つけました。

旧制第五高等学校(いまの熊大)の校友会誌「龍南会雑誌」に、漱石が明治29年に寄稿した論説です。

「(前略)人生は一個の理窟に纏(まと)め得るものにあらずして、小説は一個の理窟を暗示するに過ぎざる以上は、『サイン』『コサイン』を使用して三角形の高さを測ると一般なり、吾人の心中には底なき三角形あり、二辺並行せる三角形あるを奈何(いかん)せん(後略)」

残念ながら、正確には解釈できませんが、「サイン」「コサイン」の位置づけが、なんとなくわかります。

「底なき三角形」に対しては、「コサイン」が使えません。知事の言いたかったことも、少し理解できます。

台風の爪痕

<a href="http://tsuruhara9linic.blog116.fc2.com/blog-entry-1029.html" target="_blank" title="豊後街道">豊後街道</a>を車で走ると、杉の<a href="http://tsuruhara9linic.blog116.fc2.com/blog-entry-1040.html" target="_blank" title="倒木">倒木</a>が目立ちます。今日もその撤去作業が、あちこちで行われていました。

平成3年と平成11年の台風では300本近く倒れたそうですが、<a href="http://tsuruhara9linic.blog116.fc2.com/blog-entry-1421.html" target="_blank" title="今回の台風">今回の台風</a>でも多数倒木があったと思われます。

加藤清正が植えた歴史的価値のある杉ですが、剪定をしない自然な樹形なので、風雨に弱いのでしょう。

わが家はちょうど、庭木の剪定と裏庭の片付けをした後だったので、台風被害はほとんどありませんでした。

しかしクリニックは、テレビアンテナを設置した屋上のポールが、根本からポッキリと折れてしまいました。

かなり太い鉄のポールです。パラボラアンテナが受けた風力は、さぞかし凄まじかったのでしょう。

地デジは普通に映りますが、BS/110度CS放送がまったく映らなくなりました。

赤道上の静止衛星に向くべきパラボラが、北の空に向いています。残念ながら、そっちに衛星はいません。

さっそく、修理を依頼しました。で、そこで思い出したのです。修理代には<a href="http://tsuruhara9linic.blog116.fc2.com/blog-entry-769.html" target="_blank" title="火災保険">火災保険</a>が適用されることを。

火災保険といいますが、風災への補償も行われます。ただし、風災に対しては、次のような条件があります。

「損害額が20万円未満の場合には、保険金をお支払いできません」

このような「保険金をお支払いできません」という条件でよく目にするのは、次のような場合でしょう。

「戦争、外国の武力行使、革命、政権奪取、内乱、武装反乱その他これらに類似の事変または暴動」

文字面を見るだけで身震いしそうな項目です。保険金請求どころではないでしょう。

戦争はともかく、この日本で、いったいどのような状況で、誰が革命なんて起こすのでしょう。

万一また民主党が政権を奪取したら(ほぼあり得ませんが)、保険金の支払いに影響は出るのでしょうか。

そんなことを考えてるうちに、修理完了。ポールを屈曲部で切断し、太いポールに差し込んで固定しただけ。

修理費用2万7千円。なんだ安いな。これでは保険金の支払対象外です。嬉しいような、がっかりしたような。

自転車通勤路の探求

自転車の交通規則遵守が厳しく求められるようになり、自転車通勤の私にとっては面倒な日々です。

見通しの良い交差点。通行車両なし。歩行者もいない。でも信号は赤。止まって待ちますか?

自動車なら必ず従う信号も、自転車なら自己判断で無視してたのですが、それも難しくなりました。

誰かがどこかで見ているかもしれません。信号無視する大人の姿を、少なくとも青少年には見せたくない。

私が愚直に赤信号を待っていると、後ろから高校生たちの自転車が、どんどん追い越していきます。

しかも彼ら彼女らの耳にはイヤホン、下手すると手にはスマホ!

自転車通行可の歩道というのも考えもの。自転車が、歩道を走らなければならない雰囲気になるからです。

その歩道が、右側にしかない道路があります。歩道の右側走行は認められているので、そっちを走ります。

ところがやがて道が狭まり、その歩道が消滅したりします。自転車はいきなり、違法右側走行となるのです。

車道が2車線に分かれ、左車線が左折専用レーンに変わる道。自転車では直進ができないことになります。

このように、自転車にとってきわめて不利な走行ポイント(またはトラップ)が、至る所に待ち受けています。

より安全に(取締りを回避するという意味でも)走るためには、どうすべきか。突き詰めたらこうなります。

(1)信号機のある交差点は通らない

(2)歩道の無い道を走る

ついこの前までは、幹線道路をスイスイ走って通勤していた私ですが、今では細い裏道ばかりを走っています。

漢和辞典を比べる

「<a href="http://tsuruhara9linic.blog116.fc2.com/blog-entry-1400.html" target="_blank" title="日本国語大辞典">日本国語大辞典</a>(小学館)」(オンライン版)を使っていることは、前に書いたとおり。

あまりにも充実した辞典なので、暇さえあれば読みふける日々です。「新明解」とはまた別の面白さですね。

国語辞典だけではありません。最近は漢和辞典にも、はまっています。今日はその話題。

「新潮日本語漢字辞典」は座右の書。漢字をじっくり調べるときは、まずこれ。紙質が良くて愛着がわきます。

「字通(<a href="http://tsuruhara9linic.blog116.fc2.com/blog-entry-324.html" target="_blank" title="白川静">白川静</a>)」(オンライン版)も頻繁に利用しています。ちょっと使うときは、オンライン版が便利。

白川静でいうなら、「字統」と「字訓」はオンライン版がないので、買おうかどうしようか、悩み中。

「角川漢和中辞典」も持っていますが、「新潮」や「字通」に比べると見劣りしますね。

「新漢語林(大修館)」は、学習用として定評があります。

大修館書店といえば、言語学に強い出版社。高校の教科書でも使ったような(うろ)覚えがあります。

標準的な漢和辞典として、これは持っておくべきでしょう。ダウンロード版で入手しました。

文筆家でもなければ、これらで十分なのですが、私はどうしても「大辞典」が欲しくなる性分なのです。

それが「大漢和辞典(大修館)」。全15巻(25万円也)。いくらなんでも買いませんよ。

と思っていたら、その精選版ともいうべき「広漢和辞典(大修館)」があるじゃないですか。全4巻。

で、それが今日、届いたのです。4巻で9.2kg。もちろん、中古本です。

今夜は、これらの漢和辞典の使い比べをしてみました。まずは、私の名字にもある「鶴」の字の比較検討から。

「新潮」には「鶴亀」のような、訓読みの用例も掲載されています。これは意外と、画期的なことなのです。

「字通」は、白川静の世界に没入できるところが、最大の特徴。読み物のような雰囲気を感じます。

「新漢語林」では、私が何十年も信じていた筆順が、間違いだったと知りました。自分の名前の漢字なのに。

「広漢和」すっごく詳しいです。でも内容の4分の3は、漢文の用例なので、閉口しました。

というわけで、コスパでは「新漢語林」、趣味的には「字通」、総合的には「新潮」が、私のオススメです。

台風直撃

台風が通り過ぎました。熊本をかすめる台風はときどき来ましたが、今回の15号は、まさに直撃でした。

休診日なのに、風雨があまりにも激しいので、心配で(興奮して?)いつもよりも早く起床したぐらいです。

一般の職場では、今朝の皆さんの話題は「いやあ、風がすごかったね」などと、台風一色だったことでしょう。

「よその屋根瓦が飛んできて窓に当たりそうになったよ」「ウチは犬小屋が飛んでった」「ウチは浸水した」

こういった場合、より被害の大きかった人、より怖い目に遭った者が、その場の話題をさらうことになります。

ちょっとした「被害自慢」です。まあ、本当に重大な被害に遭った場合には、自慢にもなりませんが。

こういった、ネガティブなことを言う場合も、自慢と言えるのでしょうか。辞書を引いてみると「自慢」とは、

「自分で、自分に関係の深い物事を褒めて、他人に誇ること」(大辞泉)

「自分のことや自分に関係のあることを他人に誇ること」(大辞林)

「(略)自分のこと、自分の持ち物、自分が所属するものなどの良さを他に対して得意げに示すこと」(<a href="http://tsuruhara9linic.blog116.fc2.com/blog-entry-1400.html" target="_blank" title="日国">日国</a>)

「被害自慢」はつまり、めったに遭遇できない貴重な体験をしたことを誇示する、ということなのでしょう。

まあこのようなことを書いておれるのも、わが家に大きな損害が無かったからです。これは幸いなことです。

前に住んでいた家では、<a href="http://tsuruhara9linic.blog116.fc2.com/blog-entry-257.html" target="_blank" title="ガレージの屋根">ガレージの屋根</a>を吹き飛ばされたこともあり、台風直撃はいつも恐怖です。

野次馬としての読書家

村上春樹氏の自伝的エッセイ『職業としての小説家』が、9月10日に発売されます。

その初版10万冊のうちの9万冊を、紀伊國屋書店が出版社から買い取るというニュースに、驚きました。

じゃあ、紀伊國屋に行かなければ手に入らない、レア本になるのでしょうか。調べてみると目次には、

「さて、何を書けばいいのか」「どんな人物を登場させようか?」「誰のために書くのか?」

などと、そそられる言葉が並びます。コレさえ読めば、ブログなどスイスイ書けそうな気がしてきました。

紀伊國屋は9万冊のうち3,4万冊を自社で売り、残りを他社の書店に供給する予定とのこと。しかも、

「初版の大半を国内書店で販売しネット書店に対抗する」

と明言しているそうで、Amazonに対する敵意がむき出しです。

Amazonが扱うことができるのは、残り1万冊のうちの一部だけになりますが、サイトを見ると、

「ただいま予約受付中です」

と、いつも通りの平然とした態度。大量仕入れのあてでもあるのか、それともただの強がりか。

一方で、出版元の「SWITCH PUBLISHING」のサイトを見ると、次のようにアナウンスされています。

「紀伊國屋書店さまが幹事となって(略)他社の書店の配本部数をとりまとめていただけることになりました」

「弊社は(略)ネット書店とも流通の協力を得て、今後も雑誌、単行本の発行発売を続けていく所存です」

なんか微妙。紀伊國屋を持ち上げつつも、ネットを敵には回したくない雰囲気です。

どうなってるんでしょうね、今回のいきさつって。紀伊國屋が、一人で息巻いているようにも見えますが。

まったり、こってり

疲れた夏の日の夕食には、あっさりした料理よりも、パンチの利いた、こってりしたものを食べたくなります。

『美味しんぼ』に出てくるような、「まったりして、それでいてしつこくない」料理では、満足できません。

「まったりして、そのうえにしつこい」料理、大歓迎です。からだが濃厚な成分を求めるのでしょうかね。

そもそも、「まったりして、それでいてしつこくない」料理など、あり得るのでしょうか。

「それでいて」という言葉がすでに、矛盾をはらんでいることをにおわせます。

英語なら “rich but light” でしょうか。少なくとも外国人には、理解不能な味覚表現かもしれません。

「しっぽり」とか「ほっこり」のような、「んっんり」ていう形の副詞って、日本的で味わい深いですね。

このような言葉には、他にどのようなものがあるのでしょう。全部知りたくなります。

そこで、「XっYり」のYに任意の1字を挿入し、辞書で後方一致検索するという、地道な調査を行いました。

Y=「あ段」では該当なし。

Y=「か」だと「あっかり」「うっかり」「がっかり」「きっかり」「ごっかり」「ずっかり」など全22個。

「あっかり」は方言。「ごっかり」は「がっくり」と同義。「ずっかり」は、ずばり、の意味だとか。

Y=「き」では18個。「ちょっきり」なんて言葉、久しぶりに見ました。

Y=「く」では、うわっ、数えたくもないほど多い。

えーっと、すみません。疲れたので、調査終了です。

ちなみに、「ぐっすり」の語源が “good sleep” だというのは、私の好きなガセです。

お風呂が沸きました

仕事から帰ると、真っ先に風呂に入ります。風呂上がりのビールが、美味しいからです。

今日も自転車で、汗ダラダラで帰宅したら、ちょうど風呂場の方からアナウンスが聞こえてきました。

「お風呂が沸きました」

最近の家電類は、いろんなお知らせを女性の声で教えてくれます。単なる電子音より、ソフトで分かり易い。

しかし考えてみると、「沸く」のは「風呂」ではなく「風呂の湯」ではないのか。だから本来は、

「お風呂のお湯が沸きました」と言うべきでしょう。いや待てよ、自動詞「沸く」を厳密に考えれば、

「お風呂のお湯が沸いています」の方が適切かもしれません。

そこらへんは、どうなっているのか。やや納得できないまま、お湯に浸かると、次なる疑問が湧いてきました。

わが家はオール電化です。深夜電力で温められて保温されているお湯が、浴槽などに給湯される仕組みです。

給湯の時点で「沸いた」わけではないのです。したがって、

「お風呂にお湯が入りました」と、アナウンスするのが正しいかもしれません。いや、もっと親切に言うなら、

「お風呂に設定量のお湯が入りました」と言うべきでしょう。いや、もっと正確に言うなら、

「浴槽に設定量のお湯が入りました」が望ましいでしょう。とか考えているうちに、のぼせました。